TOP10 HITS OF LAST CENTURY
Presented by meantime

■ 洋楽ラジオ・チャート1959年間(その1)

01.小さな花/ボブ・クロスビー&ボブ・キャッツ
02.ライフルと愛馬/ディーン・マーティン
03.トム・ドゥーリー/キングストン・トリオ
04.大いなる西部/ジェローム・モロス楽団
05.恋の日記/ニール・セダカ
06.情熱の花/カテリーナ・ヴァレンテ
07.鉄道員/フェランコ・フェラーラ楽団
08.谷間に三つの鐘が鳴る/ブラウンズ
09.騎兵隊マーチ/サウンド・トラック
10.恋のブルース/フリップ・ブラック&ボーイズ・アップステアーズ

1位 Petite Fleur - Peanuts Hucko with Bob Crosby & Bob Cats
 ニューオリンズ出身のクラリネット奏者、シドニー・ベシェがパリで作った「小さな花」は、イギリスのトラッド・ジャズグループ、クリス・バーバー楽団により1956年に録音されたものが(クラリネット・ソロはモンティ・サンシャイン)59年になって全英3位の大ヒットに。これをアメリカで取り上げたのがビング・クロスビーの弟ボブが率いる「ボブ・キャッツ」だが、この時期同楽団は実質スタジオ・グループと化していたようでソロはルイ・アームストロングのオールスター・バンドにいたピーナッツ・ハッコーが担当した。戦時中グレン・ミラーのアーミー・バンドで活躍したハッコーは数々の名門グループを渡り歩いたが、この曲により我が国で大ブレイク。来日も果たし現地録音も残されている。2003年に亡くなるまで精力的に演奏を続けたジャズ史の生き証人であった。
2位 My Rifle, My Pony And Me - Dean Martin
 ディーン・マーティンがアメリカのショー・ビジネス界で注目を集めたのはコメディアン、ジェリー・ルイスと戦後間もなく組んだ“底抜けコンビ”がきっかけで、50年代前半は映画界で数多くの主演映画を制作。歌手としても発足間もないキャピトル・レコードの看板シンガーの一人として人気を博し、我が国でも映画「ナイアガラ」の主題歌「キッス(53年)」やラテンナンバー「キエン・セラ(54年)」などがヒットを記録している。映画「リオ・ブラボー」で歌われたこの曲のシングルは主題歌である同名タイトル曲とのカップリングで発売されたがどちらも甲乙つけ難い人気であり、当時のとある売上ランキングでは「ライフルと愛馬」と「リオ・ブラボー」の2曲が同時にランクインするという(一体どんな集計をしてたんだ!?)珍現象も起こっている。
3位 Tom Dooley - The Kingston Trio('58米1位/英5位)
 サンフランシスコで結成されたモダン・フォークグループ、キングストン・トリオは我が国に“モダン・フォーク”サウンドを定着させ、その後ブラザーズ・フォー〜ピーター、ポール&マリーへと続くポップスの流れを型作った重要アーティスト。スタンフォード大学に通っていたデイヴ・ガードを中心としていた彼らがとあるフォーククラブで耳にした「トム・ドゥーリー」は19世紀に生まれた民謡で、この歌の主人公(実名は“トム・ドュラ”)は実際にガールフレンドを殺害したかどで絞首刑となっている。この曲を収録したデビューアルバム以降、約2年間で実に5枚ものアルバムをチャートのトップに送り込む絶大な人気を博した彼らの代表曲「トム・ドゥーリー」は、簡単なコード2つを覚えれば演奏できるという手軽さがあり、それも我が国で大いに親しまれた要因ではないかと思われる。
4位 The Big Country - Original Soundtrack
 ウィリアム・ワイラー監督の西部劇「大いなる西部」はグレゴリー・ペックとチャールストン・ヘストンが主演(ヒロインは「野郎どもと女たち」のジーン・シモンズ)。舞台は19世紀、水源をめぐり対立する西部の2つの勢力に、東部からやってきた男が乗り込み・・という物語は、この時代を代表する大作西部劇の一つとされている。この作品のオリジナル・スコアを作曲し、指揮もとったジェローム・モロスが映画音楽に関わったのは1930年代後半からと古いが、自ら作曲するようになったのは1948年になってからのこと。「大いなる西部」は彼にとって通算17作目になるそうで、これはアカデミー賞にノミネートされる彼のキャリアのハイライトとなった。他の代表作としてはTVシリーズ「幌馬車隊」、ポール・ニューマン監督第一作「レーチェル レーチェル」などがある。
5位 The Diary - Neil Sedaka('58米14位)
 1939年ブルックリン生まれ、12歳で名門音楽学校ジュリアード音楽院の予備課程に入学を果たした“ピアノの神童”ニール・セダカはその後R&Rと出逢って宗旨替え。高校の同級生ハワード・グリーンフィールドとのコンビでオリジナル曲を量産し、その中から取り上げられた「Stupid Cupid(間抜けなキューピット)」がコニー・フランシスによってヒットを記録したことによりアーティストとしての契約も獲得。第一弾として録音された「恋の日記」は当初フランキー・ライモンとティーンエイジャーズ用に作られた曲だそうで、R&B路線を意識してキング・カーティスがイントロを吹いた没テイクも残されている。この曲をきっかけに我が国でもポール・アンカに続く“ロカビリーのスター”となった彼は、以降数々の忘れ難いオールディーズ名曲を洋楽チャートに残すこととなる。
6位 Tout L'Amour (Passion Flower) - Caterina Valente
 パリのイタリア系芸人一家(母親は“世界で最も才能を持った一人”と讃えられた道化師だったという)に育ったカテリーナ・ヴァレンテは1954年にレコード・デビュー。ドイツの高名なバンドリーダー、ウェルナー・ミューラー(リカルド・サントス)とコンビを組んだ彼女は早くもその年に英語で吹込んだ「The Breeze And I(そよ風と私)」が成功し、この曲はアメリカでミリオンセラーを記録している。彼女の名が日本でも知られるようになったのはこの「情熱の花」がきっかけで、これはベートーベンの「エリーゼのために」のメロディを拝借したユニークなポップス。「歌う通訳」の異名を持つヴァレンテは7ヶ国語をあやつる才女で、日本語でもレパートリーを録音。これ以降様々な言語による彼女の作品が、我が国の洋楽チャートを賑わすこととなった。
7位 Il Ferroviere - Franco Ferrara Orchestra
 前年に続くランクイン。この映画を監督/主演したピエトロ・ジェルミはこの時期役者としても大活躍、この前後に「わらの男(57年)」「刑事(59年)」など我が国でもヒットした映画に出演しており、テーマ曲も当時の洋楽チャートで人気を博している。一方サンドロ少年を演じたエドアルド・ネヴォラは現在まだ57歳で勿論健在。イタリアでTVやステージに多忙な毎日を送っているようだ。なおこのヒットから約40年が経過した1999年、我が国でやはり老鉄道員を主人公にした映画「鉄道員(ぽっぽや)」がヒットしたが、これは勿論浅田次郎の原作や主演の高倉健の演技が果たした役割も大きかったものの、選ばれたタイトルが、ある年齢以上の客層に非常にノスタルジックな感慨を呼び起したことも大きな要因になったのではないか?などという見方も出来なくもない(??)
8位 The Three Bells - The Browns('59米1位/英6位)
 終戦直後のフランスで生まれたシャンソン「Les Trois Cloches」はエディット・ピアフなどにより広く親しまれるようになったが、アメリカでは52年に英語バージョンがリリースされ「The Jimmy Brown Song」としてヒットを記録(14位)。このタイトルが気に入ったのか、自分のレパートリーに取り入れたのがアーカンソー州の高校生ジム・エド・ブラウンだった。その後2人の姉妹とともに「ブラウンズ」を結成しカントリー界で成功を収めた彼はこの年「The Jimmy Brown Song」に再チャレンジ、当時ポップ界で大変な人気者になっていたフリートウッズを思わせるようなソフトなコーラスが大いにウケてナンバー1を記録する大ヒットとなった。ジム・エドはその後67年までグループを継続、以降はソロとしてカントリー・チャートに50曲以上のヒットを残す成功を収めている。
9位 I Left My Love - Original Soundtrack
 こちらも西部劇から生まれたヒット。ジョン・フォードが監督し、ジョン・ウェインとウィリアム・ホールデンが主演した映画「The Horse Soldiers(騎兵隊)」は南北戦争が舞台。北軍の大佐と軍医をウェインとホールデンが各々演じており、敵地での作戦遂行のスリルや南軍側につく人々とのやりとりなど、ドラマ面にも力の入った西部劇になっていた。マーチのリズムにのって男性コーラスが勇ましく歌う「騎兵隊マーチ」を指揮したデヴィッド・バトルフは1902年生まれのベテラン作曲家/指揮者で、トーキー映画が生まれた1930年代以降、キャリアを通じて手がけた映画サントラは優に300作を超える。その後彼はTV界にも進出、「マーベリック」や「サンセット77」などの人気シリーズにも作品を提供し、63年に引退するまで精力的に制作活動を続けた。
10位 For You My Lover - "Flip" Black & Boys Upstairs
 1950年代後半、イギリスではニューオリンズの伝統的なジャズ・スタイルを蘇らせた“トラッド・ジャズ”が大流行、数々のインスト・バンドが登場しそのムーブメントから「小さな花」がヒットしたのは先に述べた通りだが、日本でもう一つ生まれたこのスタイルのヒットが「恋のブルース」。原曲はこの年のサン・レモ音楽祭に出品されたカンツォーネ「Io sono il vento」で、クラリネット・ソロによるインスト・ナンバーに料理されている。この曲を演奏しているフリップ・ブラックも“階上の人々”も現在詳しい情報は手に入らないが、この翌年にニューオリンズを本拠にするレーベル、エイスからシングル「Elmer's Tune」をリリースした記録が残されていることから、地元の伝統的な音楽を継承したジャズ・バンド(またはスタジオ・グループ)であったことが推測できる。


(2005.8.16)

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