TOP10 HITS OF LAST CENTURY
Presented by meantime

■ Popular Best Selling Records In Tokyo, March 1959

01 トム・ドゥーリー/キングストン・トリオ(Capitol)
02 小さな花/ピーナッツ・ハッコー(Dot)
03 煙りが目にしみる/プラターズ(Mercury)
04 狂乱の追跡/ライオネル・ハンプトン(Mercury)
05 アイル・リメンバー・トゥナイト/パット・ブーン(Dot)
06 いとしのクレメンタイン/ジョージ・ハミルトン四世(ABC-Paramount)
07 キサス・キサス・キサス/ナット・キング・コール(Capitol)
08 ハンギング・ツリー/マーティ・ロビンス(Columbia)
09 コメ・プリマ/トニー・ダララ(Polydor)
10 マンドリン・セレナーデ/ヘルムート・ツァハリアス(Polydor)

 邦楽チャートでは平尾昌章の「好きなんだ」が1位を記録していた昭和34年3月、洋楽チャートの1位はキングストン・トリオの「Tom Dooley(米1位)」でした。

 アメリカ国内にとどまらず、世界各地の伝承曲を発掘して聴衆に紹介する“フォーク・ミュージック”がアメリカのヒットチャートでその一角を占めるようになったのは、1950年代前半にウィーバーズが登場して以降。その後R&Rとは別の流れから新しいタイプのヒット曲がポツポツと登場しはじめ、1956年にはジャマイカの音楽“カリプソ”が大ブーム。ハリー・ベラフォンテやイージー・ライダースらがヒットを飛ばしました。で、恐らくそういった流れを意識して結成されたのが、ジャマイカの首都キングストンを冠した3人組の彼ら。

 19世紀にあった殺人犯の絞首刑をもとに作られたこの「トム・ドゥーリー」はモダン・フォークの代名詞的なヒットとなり、彼らの学生っぽいストライプのシャツ(後にビーチ・ボーイズが真似しました)のイメージとともに、ポップミュージックの一分野を築きます。日本でもこれまでこのコーナーで紹介してきたとおり、PP&Mの前にはブラザーズ・フォー、そしてその前にはキングストン・トリオと、“フォーク”のイメージの原点的存在として親しまれました。

 フォークがポピュラーなものとして認知され始めると、当然他のジャンルもこの音楽性を取り入れるようになってきます。前回紹介したジミー・ロジャースはR&Rのイメージとフォークのレパートリーを上手く結びつけて数多くのヒットを放ちましたが、これと似たような動きがカントリーでもありました。6位のジョージ・ハミルトン四世「Clementine」は日本でも良く知られているアメリカ民謡で、これ以前に1946年の映画「荒野の決闘」のテーマ曲に使用され、更に1951年には「俺たちゃ町には住めないからに」の日本語詞がつけられた「雪山讃歌」としても親しまれていた馴染み深い曲。ハミルトンは学生っぽいスマートな雰囲気でソフトに歌うシンガーで、60年代にも「Abilene(63年米15位)」のヒットを記録しています。

 もう一曲、8位のマーティ・ロビンス「The Hanging Tree(米38位)」も音楽的にはフォークではありませんが、題材は「トム・ドゥーリー」と通じるものがあるヒットでした。これはゲイリー・クーパー主演映画の主題歌でしたが、これら一連のフォークとカントリーがごっちゃになったイメージや、西部劇映画の影響で、日本におけるカントリー音楽の概念が、その後長い間に亘ってかなりねじ曲げられてしまった印象があります。

 話を先に進めます。2位に入っているのは、ピーナッツ・ハッコーの「Petite Fleur」。この曲はニューオリンズ系のジャズミュージシャン、シドニー・ベシェが作り、英米ではイギリスのトラッド・ジャズバンド、クリス・バーバーとジャズ・バンドの演奏でヒットしたもの。当時イギリスではデキシーランド・ジャズがリバイバルブームを迎えていたのですが、本国アメリカでは30年代〜40年代にビッグバンドスタイルでデキシーを甦らせた人がいました。それがビング・クロスビーの弟、ボブ・クロスビー。ボブ・キャッツを率いて数多くのヒットを放った彼も当然この曲を録音することになります。で、その演奏でフィーチャーされていたのがクラリネットのピーナッツ・ハッコー。彼は来日して邦人ミュージシャンとの録音も行うなど、当時相当な人気を博したようです。

 余談ですが「小さな花」は日本が世界に誇るガールグループ、ザ・ピーナッツのデビュー曲でもありました。そのカップリングは「南京豆売り(The Peanut Vendor)」で、この選曲発想は「ハッコー」と「ベンダー」の“ピーナッツつながり”なのかな?などとくだらないことを考えている私。

 3位はプラターズの「Smoke Gets In Your Eyes(米1位)」。1955年の大ヒット「Only You(米5位)」でブレイクした彼らはそれ以降連続ヒットの山を築きましたが、どのレコードもバラードという変わり映えのなさが災いしたのか、57年にはそのヒットのペースはダウンし始めます。しかしそういった中で起死回生の大ヒット「Twilight Time(58年米1位)」が生まれ、彼らは人気を持ちなおしました。続いて1930年代のヒットをリメイクした「煙が〜」もナンバー1を記録し、彼らの連続ヒットはその後1961年まで続くことになります。

 プラターズが他の黒人ボーカルグループと比べてユニークだったのは、リードのトニー・ウィリアムスがクラシック(オペラ)風の唱法を得意としていた点。日本では山下達郎も得意としている「アッア〜ッ!」というフレーズが登場するこの唱法のオリジナルは、イタリアにあるようなのですが、このチャートではその「アッア〜ッ!」が堪能できる曲がもう一曲登場しています。それが9位の「Come Prima(米60位)」。この前年アメリカではドメニコ・モドゥーニョの「Volare(米1位)」が大ヒットし、イタリアのポップスが注目されていたことから、この曲もチャートインを果たしたようです。この曲を聴いてみると結構ロッカバラードっぽい曲調で、R&Rの盛り上がりが世界に波及して、各国で新しいポップスを生み出した様子が窺えます。

 4位は渋い、バイブ奏者ライオネル・ハンプトンの「Crazy Hamp」。この曲は「天井桟敷の人々」などでも知られるフランスの名映画監督、マルセル・カルネの作品「危険な曲がり角」に使用されていた曲で、ここでハンプトンはドラムを担当、全部で4分30秒くらいあるうちの3分以上に亘ってど派手なドラムソロを披露しています。

 当時はフランス映画の新しい波(ヌーベル・バーグ)と、モダン期に突入していたジャズの融合が盛んに試みられつつあった時期で、この頃盛んにフランスを訪れていたハンプトンも、このシーンに一役かったという訳。最近は“シネ・ジャズ”とかいってガイド本なども出ているこの分野、いずれ探究してみたいのですが、あまりにも研究課題が多すぎて後込みしがち。その分野に明るい友達を作るのが一番なのかも知れません。

 5位はパット・ブーンの「I'll Remember Tonight(米34位)」。パット・ブーンはエルヴィス・プレスリーとほぼ同時期にヒットチャートに登場し、“田舎の不良”エルヴィスに対し“育ちのいいお坊ちゃま”イメージで互角にヒットを飛ばしたシンガー。この曲は彼の主演映画「恋愛候補生(Mardi Gras)」の主題歌で、日本でのヒットは本国を上回るものがあったようです。そういえば彼、本国でのヒットの多さにもかかわらず、日本のみヒットの多い人でもありました。そこら辺の紹介は、いずれできるかな。。

 7位はナット“キング”コールの「Quizas, Quizas, Quizas」。彼は非常にサービス精神の旺盛なシンガーで、ヒット曲を各国の言語でカバー。中には日本語詞のものもあるのですが、中でも力を入れていたのはスペイン語曲の録音。これは彼が所属していたキャピトル・レコードが、メキシコに近くラティーノも多いロサンゼルスにあることも何か関係あるのかな?などとも考えますが、ともかく彼は「コール・エスパニョール」と題されたシリーズもののアルバムをリリース、これはラテン音楽好きの日本人の間でもかなりの評判を呼んだようです。因みに曲のタイトルは、英語では「Perhaps, Perhaps, Perhaps」、日本語では「きっと、きっと、きっと」の意味。

 最後10位は“魔法のバイオリン”ヘルムート・ツァハリアス「Mandoline Serenade」。この曲はチャップリン後期の映画「ニューヨークの王様」のテーマ曲で、タイトルのとおりマンドリンと、途中から登場する口笛と、彼のトレードマークであるバイオリンが奏でるハッピーなインスト曲。彼は日本における人気の高さがかなり嬉しかったみたいで、1964年にはイギリスで「Tokyo Melody」なる曲をヒット(9位)させています。


(2001.3.21)

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