TOP10 HITS OF LAST CENTURY
Presented by meantime

■ 洋楽ラジオ・チャート1960年間(その2)

11.月影のナポリ/ミーナ
12.ショーレム/アーサ・キット
13.月影のキューバ/セリア・クルス
14.ある恋の物語/トリオ・ロス・パンチョス
15.バッファロー大隊マーチ/アート・ムーニー楽団
16.レッド・リヴァー・ロック/ジョニーとハリケーンズ
17.白銀は招くよ/トニー・ザイラー
18.黒いオルフェ/サウンド・トラック
18.ビキニスタイルのお嬢さん/ブライアン・ハイランド
20.褐色のブルース/アラン・ゴラゲール楽団

11位 Tintarella Di Luna - Mina
 ♪ティンタレーラ、ディ、ルッナ!60年代のイタリアン・ポップスを代表する名曲。1940年生まれの新進歌手ミーナが歌ったこの曲の原題は「月焼け」という造語を意味しているそうで、日焼けだったら真っ赤になるところを、夜間屋根に上って月焼けすると(実際には月光に照らされると)貴方は真っ白な肌に見える、という内容のようだ。ミーナは女性としては声の低いタイプのシンガーで、この曲にはその低音を活かしてしっとりと歌われるヴァース(前唱)部分があるのだが、これがあるのと、素頓狂な♪ティンタレーラ・・でいきなり始まるバージョン(こちらがシングル・バージョン?)とでは、聴いてみて全然印象が違う。ミーナはその後も60年代後半まで我が国のポップ・シーンを賑わせ、本国では現在も大物シンガーとして精力的に活躍中である。
12位 Sholem - Eartha Kitt
 1927年サウス・カロライナ生まれのアーサ・キットは8歳でニューヨークに移住。奨学金を受けて高校のダンスチームに入団すると、公演旅行で訪れたパリでクラブシンガーの職を得、ショービズ入りを果たした。パリで歌う彼女の姿に感銘を受けたのがオーソン・ウェルズで、彼はアーサをニューヨークに連れ戻し舞台女優として起用。53年にはRCAビクターとの契約も実現し、彼女の国籍を問わぬ元祖“ワールド・ミュージック”な芸風はたちまち音楽ファンを魅了、我が国でも「証城寺の狸ばやし」を英語化した「Sho-Jo-Ji」が1955年を代表する洋楽ヒットとなっている。「ショーレム」は59年にキャップ・レコードに移籍し最初にリリースしたアルバムからで、ユダヤ民謡をポップ化したもの。彼女は現在も米芸能界の名物的存在として活躍を続けている。
13位 Magica Luna - Celia Cruz
 “サルサの女王”と謳われ、2003年に亡くなるまでニューヨークのラテン音楽シーンに君臨した女性シンガー、セリア・クルースは、今から45年前既に我が国の洋楽チャートに足跡を残していた。1924年ハバナに生まれた彼女は当地を訪れる観光客に向かって歌い、小遣いを稼ぐ少女時代を送る。第2次大戦後プロのシンガーとしてステージに立ち始めた彼女は50年にラ・ソノーラ・マンセーラ楽団のボーカリストに迎えられ、そこでの成功が彼女の長いキャリアのスタート地点となった。「月影のキューバ(マヒカ・ルナ)」は元々ユダヤ系の曲をラテンにアレンジしたもので、我が国では森山加代子の日本語カバーもヒット。その後キューバ革命を機にアメリカに移住し、後進のアーティストたちに多大なる影響を与えることとなる彼女の、貴重な初期の代表作の記録である。
14位 Historia De Un Amor - Trio Los Panchos
 1940年代末にメキシコで完成され、その後数年間で世界を覆いつくす一大ブームとなったのがペレス・プラードの「マンボ」だが、ほぼ同じ時期にメキシコで大流行し、その影響力はマンボには及ばなかったものの、我が国のポップスに大きな足跡を残したのが、ギターを抱えたトリオ編成でロマンチックに歌い上げる「ボレロ」。このスタイルの代表的な存在となったのがトリオ・ロス・パンチョスで、彼らはメキシコ人メンバーを中心に第2時大戦末期にニューヨークで結成されている。アメリカから発せられた電波にのった「逆輸入」の形で本国メキシコで大ブレイクを果たした彼らは、日本でもこの曲で大変な人気を博し、彼らのスタイルを模倣する邦人アーティストも多数登場した。現在では「ムード歌謡」と呼ばれるジャンルの、大いなる礎となった一曲である。
15位 Captain Buffalo - Art Mooney and His Orchestra
 ジョン・フォード監督の西部劇「バファロー大隊」は軍隊の中で起こった婦女暴行殺人事件をめぐる軍法会議を中心に話が進められていくという異色作。西部劇が「単純明快」以上の何か意味を持つことを模索し始めた時期の作品で、それはこのジャンルの衰退の始まりも意味していた。ストーリーは決して明るくはないが、テーマ曲は明るいマーチで、我が国では山下敬二郎のカバーヒットも好印象を与えたのか翌年の高校野球(甲子園)の入場テーマに使用されるほどに親しまれた。この曲を演奏していたアート・ムーニーは1930年代から活躍するバンドリーダーで、終戦直後の48年には「I'm Looking Over A Four-Leaf Clover」がナンバー1ヒット。1920年代の懐かしいヒット曲を、ビッグバンドと混声合唱でヒットチャートに蘇らせることを得意とした人だった。
16位 Red River Rock - Johnny and The Hurricanes('59米5位/英3位)
 1958年から60年頃にかけてアメリカでは“インスト・ブーム”が起こり、多くのバンドがヒットチャートに登場したが、日本では当時この盛り上がりはいま一つ波及しなかったようだ(インストでも独自に歌詞がつけられ、歌われた時代だった)。そんな中「テキーラ(日本ではドイツのマックス・グレーガー楽団盤がヒットした)」と並んで人気を博したロック・インストがジョニーとハリケーンズの「レッド・リヴァー・ロック」で、これはアメリカ民謡「Red River Valley(赤い川の谷)」をロック化したもの。強烈なオルガン・サウンドが売り物の彼らだが、リーダーのジョニー・パリスはサックス奏者の方(オルガンはポール・テスラックというメンバーが弾いている)。以降彼らは次々と民謡や伝統的なポップスをロック化し、本国アメリカよりイギリスで高い成績を残している。
17位 Ich Bin Der Glucklichste Mensch Auf Der Walt - Toni Sailer
 “黒い稲妻”トニー・ザイラーの代表曲。映画「白銀は招くよ!/ザイラーと十二人の娘(何というタイトル!)」はその名の通りお気楽な内容で、主演の彼はなんと刑事役で登場する。スポーツ選手としての名声と映画人気(この年来日も果たしている)があって素人芸の域を出ない彼の歌もこれだけのヒットとなっているが、そんな彼も60年代半ばには芸能活動を引退。以降はスキーをネタに様々なビジネスを展開している。例えばスキー場で現在も見かけることのある円筒形の帽子「ザイラー」は、彼が映画の中で被ったことからそう呼ばれるようになったそうだし、スキー場の設計も行っており「八ヶ岳ザイラー」他日本には何ケ所も彼が設計に携わったスキーコースが存在するのだという。日本人の「スキー・ライフ」に多大なる影響を及ぼした「外タレ」だったのだ。
18位 Orfeu Negro - Original Soundtrack
 ギリシャ神話に登場するオルフェウスの物語を、リオを舞台に置き換えたというミュージカルがブラジルで初演されたのが1956年のこと、それから2年後にフランス人監督マルセル・カミュが映画化した「黒いオルフェ」は世界中で好評を博し、カンヌ映画祭のパルムドールやアカデミーの外国映画賞などを獲得。大変な成功を収めたが、後年この映画が評価されているのはブラジルの新進ソングライター作品を大々的にフィーチャーしているから。オリジナルのミュージカル音楽を手がけたのはアントニオ・カルロス・ジョビンだったが、映画の主題歌にはルイス・ボンファが起用され、この曲(一般には「Manha De Carnaval(カーニヴァルの朝)」と呼ばれることの方が多い)がスタンダード化した。初期のボサ・ノヴァシーンで盛んに取り上げられた、ブラジル産ポップス最重要曲の一つ。
18位 Itsy Bitsy Teenie Weenie Yellow Polka Dot Bikini - Brian Hyland('60米1位/英8位)
 初めて着たビキニ姿にテレて、砂浜をモジモジ・・という「ビキニスタイルのお嬢さん」の物語は実話なのだという。但し主人公はこの曲を作ったポール・ヴァンスの2歳(当時)の娘なのだそうだが。非常に「60年代」な雰囲気を醸し出しているこのラッキーなナンバー1ヒットでシーンに登場したブライアン・ハイランドはブルックリン出身の高校生で、日本でもカバーヒットが生まれる(この曲を歌った坂本九は「ビキニ(ニキビ)男」のニックネームがつけられた)ほどの好評を博した。この後ハイランドはノヴェルティ路線からロマンチックなポップスに移行し「涙の口づけ」などがヒットするが、日本ではもう一曲「ビキニ〜」とまったく同じスタイルでクラシック・ポップを料理した「ベビー・フェイス」が独自にシングルカットされ、ヒットを記録している。
20位 Blues De Memphis - Alain Goraguer Orchestra
 この年日本で公開されたフランス映画「墓にツバをかけろ」はアメリカのメンフィスを舞台にした物語で、見た目は白人なのに黒人の血を引いていることを理由にリンチに遭い殺された弟の復讐に兄が立ち上がるという内容は、当時人種差別の激しかったアメリカでは制作不可能なものであった。現地の伝統的なジャズをモチーフに“シネ・ジャズ”を作り上げたアラン・ゴラゲールはフランスのジャズ・ピアニスト/アレンジャーで、この作品以外にも「唇によだれ(セルジュ・ゲンズブールと共作)」他幾つかのサントラが残されている。“映画作曲家”ゴラゲールにとって(少なくとも日本以外で)最大の成功作は1973年に発表したアニメ映画のサントラ「La Planete Sauvage(ファンタスティック・プラネット)」で、こちらもカルト的名作として現在評価が高い。


(2005.8.30)

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