TOP10 HITS OF LAST CENTURY
Presented by meantime

■ 東京で1番売れているレコード 1960年3月

01 悲しき十六才/ケイシー・リンデン(London)
02 ローハイド/フランキー・レイン(Columbia)
03 恋の片道切符/ニール・セダカ(Victor)
04 渚にて/ジミー・ロジャース(Roulette)
05 レッド・リヴァー・ロック/ジョニーとハリケーンズ(London)
06 ショーレム/アーサ・キット(Kapp)
07 五つの銅貨/ダニー・ケイ(London)
08 褐色のブルース/アラン・ゴラゲール楽団(Epic)
09 カラーに口紅/コニー・フランシス(MGM)
10 聖者の行進/ダニー・ケイとルイ・アームストロング(London)

 邦楽チャートでは「僕の恋人東京に行っちっち・・」の守屋浩「僕は泣いちっち」がナンバー1を記録していた昭和35年2月、洋楽チャートの1位はケイシー・リンデンの「Heartaches At Sweet Sixteen」でした。

 ケイシー・リンデンはニュージャージー出身の女の子で、この「悲しき十六才」は彼女の本国における3曲目のヒット「Goodbye Jimmy, Goodbye(59年米11位)」のB面に収録されていた曲。彼女は最初のヒット「Billy(58年7位)」は1910年代にレコード化されていた曲、続く「You'd Be Surprise(58年50位)」も1920年代の曲と、いにしえのレパートリーを与えられて連続ヒットを記録しており、3曲目にようやく制作陣が本気でオリジナル曲を用意したのが(推測ですけど・・)「Goodbye Jimmy 〜」。これが「グッバァイ〜」というフレーズが非常にしみじみした感じで、ガールポップ史上に残る名曲なんですが日本人はこれを無視、カップリングの「ヤヤ、ヤンヤ」で始まる“胸キュンソング” 「Heartaches 〜」を支持しました。

 この曲は当時洋楽の日本語カバーが盛んになり始めていた我が国で「独りぼっちお部屋で・・」の歌詞で始まるカバーバージョンが親しまれただけでなく、その5年後「ヤヤ、ヤンヤ」が田代美代子とマヒナスターズの「愛して愛して愛しちゃったのよ」で蘇り大ヒットを記録しました。よっぽど日本人の琴線をくすぐるフレーズだったんですね。なおケイシーさんはこれに続く「You Don't Know Girls(59年92位)」を最後にヒットチャートから姿を消すことになりました。

 続いて2位は「ローレン、ローレン」の「Raw Hide」。同名のTV映画(時代を感じさせる言葉ですね)は前年の11月に日本で放映が開始されたそうで、この頃は時間になると皆がTVの前に釘付けになるため銭湯が空っぽになったという時期(これは別の番組の話か・・)。フランキー・レインは40年代から活躍しているポップシンガーで、同時期に活躍していたシナトラやペリー・コモより男っぽく豪快にスイングする感じが凄くいいんですが、サービス精神も非常に旺盛な人で、当時人気が高まっていたウェスタン調の曲も積極的に取り上げヒットチャートに登場させていました。この分野に関して当時彼は第一人者的立場にあったようで「ハイ・ヌーン」や「OK牧場の決闘」も日本では彼のバージョンがヒット。ある意味当時日本におけるイメージ上の“アメリカの声”を担っていた人だったのかも知れません。

 3位は先週に続き登場ニール・セダカの「One Way Ticket (To The Blues)」。この曲は日本のみヒットで、アメリカでは「Oh! Carol(米9位)」のシングルのB面に収録されていました。彼はシンガーとして活躍する一方でソングライターとして他のアーティストに曲を提供してもいましたが、この曲は当時人気絶頂だったフランキー・アヴァロンに提供しようと思ったところボツになり、しょうがなくて自分で歌ったというもの。それが日本で大当たりするんだから、人生何が起こるかわかりません。フランキー君もこの曲を吹き込んでおけば、安定した営業先が地球上に一箇所増えたんですけどね(彼の場合、そんなこと必要無いくらい現在も本国で人気を保っているようですけど・・)。

 4位は50年代のR&Rシーンで大変な人気を博したジミー・ロジャースの「Waltzing Matilda(米41位)」。アメリカのヒットチャートを見ると、R&Rがその主流を占めるようになるのは1957年あたりから。そこに威勢よく登場した彼は、そのハンサムなルックスも相俟って時代のヒーローの一人となりました。しかし彼が歌っていたのはロカビリーではなく、もっとフォーク寄りの穏やかな音楽。この曲はオーストラリアを代表する有名曲で、タイトルだけ見ると彼の地の人々がワルツを踊っているような光景が目に浮かびます。が、実はこの“ワルツィング・マチルダ”とは行軍時に携帯する毛布のようなもののことなんだそうで、それを担いで勇ましく行進する兵隊たちを歌ったマーチ・ナンバー。

 この曲が日本でヒットしたのは、この当時公開されていたスタンリー・クライマー監督、グレゴリー・ペック主演の核戦争映画「On The Beach」に使用されたことから。核戦争映画に陽気な歌、という発想は「博士の異常な愛情」でかかる「We'll Meet Again」に先駆けたものですね。

 5位に入っているのは、以前このコーナーでも紹介したことのあるジョニーとハリケーンズの「Red River Rock(米5位)」。これも以前書いたかも知れませんが、当時アメリカではインストバンドがブームとなっており、後でいうところの“ガレージバンド”が各地でヒットレコードをリリースしていた時期。ジョニーとその一党はやや“ハコバン”寄りの“大人な”バンドでしたが、そのサウンドは現在も一聴に値するカッコよさがあります。

 さて「Red River Rock」はアメリカ民謡「Red River Valley」のロック化でしたが、ユダヤ民謡(?)を取り上げてこの月6位にランクインしているのはアーサ・キット。彼女は50年代前半から様々な国のエキゾチックな曲を吹き込んでヒットチャートを賑わせており、中には「證誠寺の狸ばやし」の英語版なんて楽しいものもあって、その筋の好事家必聴の作品を多数残しています。この曲のタイトルはユダヤ語で「こんにちは」を意味する言葉だそうで、曲の終始「エレヌ、ショーレム、マラヘイムー」の三語で押し通してしまうというやや強引な展開。御丁寧に有名なユダヤ民謡「ハヴァ・ナギラ」のフレーズまで登場して、なんともお気楽な一曲ではあります。

 7位と10位にはこの頃大ヒットしていた映画のサントラからのカットが登場しています。ダニー・ケイ主演の映画「The Five Pennies」はジャズ初期の名手、レッド・ニコルズの伝記映画。でもその実半分以上はダニー・ケイのワンマンショーのようなものですが。この時期ジャズの名プレイヤーたちの伝記映画というものが数多く製作され、その幾つかは現在も度々上映されることがありますが、多くはどうもきれいごと過ぎて物足りない印象。しかしこの映画は別の意味で観る価値があります。まずダニー・ケイの人なつっこいんだけど、どこか心許せない“無邪気な邪悪さ”を発揮する前半部分が楽しめるのと、多くの場合無味乾燥のまま終わるこの手の映画の中で、過剰な“涙”の部分を盛り込んだところ。ま、あくまでも比較上の話しなのですが。

 いい加減曲の紹介に移りましょうね、7位の「The Five Pennies」はニコルズが率いていたバンドの名前に引っかけて作られた曲で、映画の物語の一つのすじを形成する「わが子との触れ合い」を象徴するナンバー。ここではケイのクルーナー調の歌が楽しめます。そして10位の「The Five Pennies Saints(一般には「When The Saints Go Marching In」で知られる)」は現在東京都内では「大江戸線のテーマ」としてお馴染みの(?)オールドジャズのスタンダード。1920年代の当事者として30数年の時を隔てて登場するルイ・アームストロングの客演がいい感じ。

 8位はアラン・ゴラゲール楽団の「Blues De Memphis」。これも映画絡みのヒット曲で、人種差別をテーマにした重い内容の「墓にツバをかけろ」に使用されていたもの。ゴラゲールはフランスのジャズマンで、当時彼の国ではモダンジャズとフランス映画の新しい波「ヌーベルバーグ」の結びつきが興味深い動きを見せていたのですが、それについては次回以降取り上げましょう。

 最後9位はオールディーズ古典中の古典、コニー・フランシスの「Lipstick On Your Collar(米5位)」。ポップという意味でも、ロックという意味でも、この時期に生まれた曲でこれ以上よく出来たものはないでしょう。しかもその内容がボーイフレンドの浮気を咎めるという他愛無いものであるところがなおのこと素晴らしい。それにしてもあの意味不明な「イェンイェンイェンイェンイェ〜ンイェ〜ン」という気が違ったようなコーラスは、どういった経緯から生まれたんでしょうね?これは気になります。


(2001.3.13)

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