TOP10 HITS OF LAST CENTURY
Presented by meantime

■ 洋楽ラジオ・チャート1961年間(その1)

01 太陽がいっぱい/フィルム・シンフォニック楽団
02 峠の幌馬車/ビリー・ヴォーン楽団
03 コーヒー・ルンバ/ウーゴー・ブランコとそのアルパ・ヴィアヘラ
04 悲しき少年兵/ジョニー・ディアフィールド
05 遥かなるアラモ/ブラザーズ・フォア
06 悲しき街角/デル・シャノン
07 カレンダー・ガール/ニール・セダカ
08 栄光への脱出/パット・ブーン
09 黒い傷あとのブルース/アンリ・ド・パリ楽団
10 G.I.ブルース/エルヴィス・プレスリー
10 アラスカ魂/ジョニー・ホートン

1位 Plein Soleil - Film Synphonic Orchestra
 前年に続く年間ナンバー1。アラン・ドロンは1958年に公開された映画「お嬢さん、お手やわらかに!」で日本でも人気者となり、この映画で爆発。以降20年以上に亘って「二枚目俳優」の代名詞的存在として我が国洋画界に君臨するという、近年のキムタクどころではない絶大な人気を誇った。何度かのリタイアと復帰を繰り返しながらも、ドロンは未だ健在である。なお「太陽がいっぱい」は1999年に「リプリー」のタイトルのもとマット・デイモン主演でリメイクされたが、残念ながらデイモンがドロンの後継者であると評する文章を、一度も見かけることはなかった。前回紹介した通りヒットしたシングルはオリジナル・サウンドトラックではなく、「正式音源」がようやく発売されたのは、何度目かのリバイバル上映時の60年代後半になってからであった。
2位 Wheels - Billy Vaughn and His Orchestra('61米28位)
 50年代前半はスリー・サンズタイプのインスト・グループ「ノーマン・ペティ・トリオ」のリーダーとして、そしてR&R時代にはバディ・ホリーのプロデューサーとしても名を知られるノーマン・ペティは、テキサス州クロヴィスでレコーディング・スタジオを経営しており、60年代もそこで様々な興味深いアーティストを手がけていった。ロック・インストブーム時にペティがジミー・ギルマーとファイアーボールズと並んで世に送り出したバンドがテキサス出身のストリング・ア・ロングスで、彼らの「Wheels」は全米3位の大ヒットを記録。幌馬車の車輪がコロコロ転がるような愉快なサウンドが印象的なこの曲をビリー・ヴォーンは素早くカバーし、知名度に勝る日本ではこちらの方が大ヒットを記録した。典型的な“スーパーマーケット・ミュージック”。
3位 Moliendo Cafe - Hugo Blanco Y Su Arpa Viajera
 ♪昔アラブの偉いお坊さんが・・で始まる摩訶不思議な日本語詞がつけられ、どういう訳か約10年毎に我が国でリバイバル・ヒットを繰り返している「コーヒー・ルンバ」は、アラブともルンバとも何の関係もないヴェネズエラ出身のアーティスト、ウーゴー・ブランコが、ハープ状の楽器アルパ(ラテン・ハープ)を弾いたインスト・ナンバーがオリジナル。ホセ・マンソ(ブランコの叔父だそうだ)作曲のこの曲にはオリジナルの歌詞もあるそうで、そちらはコーヒーを飲みながら人生の苦味を噛みしめる・・という、これまたアラブとも“カマタリ”とも関係ない内容なのだとか。英米におけるヒット記録は残されていないが、非英語圏でこの曲は大流行、現在までに数多くのカバー・バージョンが吹込まれ、ラテンのスタンダードとなっている。
4位 Lonely Soldier Boy - Johnny Deerfield
 日本における洋楽ヒットが語られる際、頻繁に登場する言葉が「日本のみヒット」。しかし実際には本当に日本だけでヒットした曲というのは少なく、アメリカでは成功しなかったものの、イギリス他ヨーロッパ各国では大ヒットを記録しているものが殆どである。そんな中「悲しき少年兵」は数少ない純粋な意味での「日本のみヒット」で、本国では無名のディアフィールドは、このヒットをきっかけに暫く日本の東芝レコードと直接契約を結んでいたほど。詞の内容は戦場に赴く少年が出航の際、何処からか女性が自分の旅立ちを惜しむ声を聞いたような気がしたが、兵役を終え帰国してみたら、それは単なる空耳であった・・という本当に大したことのないもので、この儚げな感じがこの時代を代表する「日本のみヒット」を、より強く印象づけている。
5位 The Green Leaves Of Summer - The Brothers Four('60米65位)
 アメリカの歴史上の英雄、デイヴィ・クロケットにジョン・ウェインが扮した映画「アラモ」は、この年有数の大ヒット洋画。この映画で使用されたブラザーズ・フォアの「遥かなるアラモ」はサウンドトラック全編を手がけたディミトリ・ティオムキンとポール・フランシス・ウェブスターが作曲したもの悲しげなバラードで、本国におけるチャート成績はいま一つだったが、日本ではブラフォーの人気を決定づける代表曲としてその後長く親しまれることとなった。なおこの曲の日本盤シングルはマーティ・ロビンスが歌った同じく映画挿入歌の「Ballad Of The Alamo(『アラモの歌』'60米34位)」とのカップリングで、こちらも日本で好評を博している(このチャートでは映画に登場したフランキー・アヴァロン盤の方が年間32位を記録)。
6位 Runaway - Del Shannon('61米1位/英1位)
 1934年ミシガン州グランド・ラピッズ生まれのチャールズ・ウェストーヴァーことデル・シャノンは兵役終了後地元のクラブでハコバン・シンガーを務めていたが、ラジオ局のDJの紹介でビッグ・トップレコードと契約。バンドメイトであるマックス・クルックがステージで弾いたオルガンのフレーズ(マイナーコードで始まる、当時としては珍しい進行)を元に作曲した「悲しき街角」がいきなり大ヒットを記録し、ロック史の教科書上“ロックが下火となった”とされるこの時代に、ロックスターとして人気を博した。この大ヒットをきっかけに日本で彼は“街角男”と称され暫くどのシングルにも「街角」のタイトルが冠せられることとなり、ビートルズ登場後も強烈なロックサウンドとファルセット・ボイスで、英米のヒットチャートを生き抜いていった。
7位 Calender Girl - Neil Sedaka('60米4位/英8位)
 ニール・セダカの数多いヒットの中でも、飛び抜けて明るく楽しいナンバーの一つ。彼が得意とした多重録音によるボーカルで月毎に恋愛が進行していく物語は、数え歌などの伝統がある日本でも受け入れやすい内容で(流石に日本語カバーでは月毎にネタを用意するのが難しかったのか、季節単位の話になっていたが)大ヒットを記録。12ヶ月の出来事を順に並べてみると、新年/ヴァレンタイン/行進(3月の“マーチ”とかけている)/イースター/両親へ紹介/ジュニア・プロム(学年末のダンス・パーティー)/花火/海辺の水着姿/彼女の16歳の誕生日/ハロウィーン/感謝祭/クリスマス・・といった感じ。確かに日本では馴染みのないイベントが多いので、四季毎の内容にした日本語版は大正解だったと言えるかも知れない。
8位 The Exodus Song - Pat Boone('61米64位)
 人気が下降ぎみだったパット・ブーンが日本で久々に放った大ヒットは、映画「栄光への脱出(主演:ポール・ニューマン)」の主題歌。映画は第2次世界大戦後の世界に起った様々なトラブルの原因の何割かを担ったイスラエルの建国にまつわる大作(3時間半!)で、オリジナルのサントラはこの前年に「渚にて」を手がけたアーネスト・ゴールドが担当。スタンダード化したテーマ曲は、本国ではインスト・バージョンの方が成績がよく、ピアノ・デュオのフェランテ&タイシャー(米2位)やマントヴァーニ楽団(同31位)、ジャズ・サックス奏者のエディ・ハリス(同36位)盤がパット・ブーンより好評を博している。なお彼はこの年起死回生の全米ナンバー1ヒット「涙のムーディ・リヴァー」を放っているが、我が国では年間47位と、評判はいま一つだったようだ。
9位 Broken Promises - Henri De Pari with Orchestra
 ピーナッツ・ハッコー(ボブ・クロスビーとボブ・キャッツ)の「小さな花」や、フリップ・ブラックの「恋のブルース」などと同様、この時代の日本で大変な人気を呼んだ“哀愁漂うインスト・ナンバー”の一つ。アンリ・ド・パリ楽団の詳細は不明だが、この時期米コルピックス・レコード(その後間もなくシェリー・フェブレーやジェームス・ダーレンなどのティーン・ポップ路線で大成功を収める)から何枚ものシングルをリリースした記録が残されているので、アメリカを本拠に活躍したアーティストのようだ。ジョン・S・シャハテル作曲のこの曲は小林旭にも取り上げられてボーカル盤(勿論日本語)がリリースされ、ヒットを記録したばかりでなく同名の映画まで製作されるなど、世界中の何処よりも大きな成功を収めている。
10位 G.I. Blues - Elvis Presley
 2年間の兵役を務めあげ、60年3月に陸軍を除隊しドイツから帰ってきたエルヴィスが早速撮影にとりかかった映画が、それまでの軍隊生活をヒントに作られた「G.I.ブルース」。本国では“大人になったエルヴィス”のイメージ定着のため周到に用意されたバラードもののシングル・リリースが優先され、佳曲揃いのサントラ盤からヒットは生まれなかったが、日本では主題歌であるこの曲が大ヒット、60年代エルヴィスの代表的なヒット曲の一つと見なされている。なお同サントラからは続いて「Pocketful Of Rainbow(ポケットが虹でいっぱい;カップリングは後にジョー・ダヴェル盤が全米ナンバー1となった「Wooden Heart(さらば故郷)」)」がシングル・カット。熱心なファンの間では彼のキャリア有数の名唱として非常に人気が高い一曲である。
10位 North To Alaska - Johnny Horton('60米4位/英23位)
 50年代後半〜60年代前半のカントリー界ではフォークへの歩み寄りが一部見られたが、その中の一つの動きと考えていいのかも知れないのが、伝統的なバラッド形式を得意としたジョニー・ホートンの活躍。テキサス州出身のホートンは大学卒業後漁師となり、カリフォルニアやアラスカ沖で遠洋漁業に従事した後音楽界入りしたという変わった経歴の持ち主で、様々な土地や史実を元にした作品を発表。中でも成功したのが59年の「ニューオリンズの戦い」で、これはポップ、カントリー両方のチャートでナンバー1を記録した。「アラスカ魂」はジョン・ウェイン主演の同名映画の主題歌で、ゴールドラッシュに沸く雰囲気を表現した陽気なナンバー。残念ながら60年11月に自動車事故でこの世を去ってしまったホートンだが、残されたヒットは今なお愛され続けている。


(2005.9.27)

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