TOP10 HITS OF LAST CENTURY
Presented by meantime

■ 洋楽ラジオ・チャート1962年間(その2)

11.悲しきクラウン/ニール・セダカ
12.レモンのキッス/ナンシー・シナトラ
13.夢の渚/エルヴィス・プレスリー
14.夢のデイト/コニー・フランシス
14.恋の一番列車/ニール・セダカ
16.ジョニー・エンジェル/シェリー・フェブレー
17.愛さずにいられない/レイ・チャールズ
18.花咲く街角/デル・シャノン
19.スピーディー・ゴンザレス/パット・ブーン
19.シェーン(遥かなる山の呼び声)/ビクター・ヤング楽団

11位 King Of Crowns - Neil Sedaka('62米45位/英23位)
 この時期のニール・セダカは徐々に作曲パターンを複雑なものにし、独自の“ポログレッシブ・ポップ”とでもいうべき作風を確立しつつあり、その路線の最高峰はいうまでもなく全米ナンバー1を獲得した「Breaklin' Up Is Hard To Do(悲しき慕情)」なのだが、それに先駆け“試作版”としてリリースされ、英米ではいま一つの成績に終わったのがこの「悲しきクラウン」。ボレロ調(?)のギターにのった哀愁味溢れるナンバーで、彼の新しい一面を垣間見せた。なおこのシングルのB面「Walk With Me(二人の並木道)」は旧来のセダカらしいロッカバラードで、こちらもなかなかの聴きもの。オリジナルシングルを入手されたら、是非とも針を落としてみていただきたい。
12位 Like I Do - Nancy Sinatra
 フランク・シナトラの娘ということで、父の持つリプリーズ・レコードから鳴り物入りでデビューした“カワイコチャン”がナンシー・シナトラ。彼女の2枚目のシングル「To Know Him Is To Love Him(テディ・ベアーズ「逢った途端に一目ぼれ」のカバー)」のB面に収録されていたのがこの曲で、原曲はイタリアのオペラ作家アミルカレ・ポンキエッリが19世紀に作曲した「ラ・ジョコンダ」の一曲「時の踊り」。アメリカでは1940年のディズニー映画「ファンタジア」に使用されたことで知られるこの曲をベースに作られた「Like I Do」は英米で様々なバージョンが制作され、イギリスではモゥリーン・エヴァンスのバージョンが最高3位を記録している。本国に先駆け日本で人気者となり“フルーツ・シリーズ”のシングルを連発した彼女の記念すべき出発点である。
13位 Follow That Dream - Elvis Presley('62米15位/英34位)
 映画「夢の渚」テーマ曲。除隊後のエルヴィスの録音、特にサントラ関係の音源が軽視される風潮は、流石に90年代以降の集中的なCD復刻により影を潜めたと思われるが、中でもこの時期のサントラには名曲が多い。「夢の渚」は“ポップ・シンガー”エルヴィスの魅力(「思い出の指環」など、彼が軽くシャッフルしたりスウィングしたりする感じ)がたっぷり楽しめる曲調で、ここら辺を評価出来ないファンがいるとしたら、失礼かも知れないがその方は“音痴”という他ないのかも知れない。この頃エルヴィスは音楽の添え物でない映画の制作に没頭していたのか、サントラは4曲入りのコンパクト盤しか発売されなかったが、その中にはクリフ・リチャードが後にカバーした「Angel(僕のエンジェル)」のような、ポップスファンにとっての宝物もひっそりと収録されていた。
14位 Someone Else's Boy - Connie Francis
 前年に続く年間TOP20入り。洋楽ポップスの日本語訳詞というと、数年前の一大キャンペーンもあって現在ではまるで漣健児(先日亡くなったシンコーミュージック会長、故草野昌一氏のペンネーム)の専売特許のようなイメージがあるが、氏はむしろ後発で、戦前の「カチューシャの歌」やその後のエノケン時代などまで遡らずとも、戦後の洋楽と日本語詞はかなり密接な関係にあった。コニー・フランシスの訳詞も漣が手掛ける以前は何人かの作家が担当しており、この曲は大御所の“ハマクラ”浜口庫之助によるもの。ティーン・ポップなのに何故か友達の彼氏を寝取ってしまうことを夢想するような、意味深長な歌詞に仕上げてしまった(しかも外人に訳もわからず歌わせてしまった)あたりはハマクラ氏の真骨頂か。ハマクラ研究家諸氏要注目の一曲である。
14位 Going Home To Mary Lou - Neil Sedaka
 前年のチャートに45位でランクインしていたので、年をまたがなければもっと上位にいたかも知れないこの曲は、ニール・セダカお得意の“日本独自ヒット”。この曲は本国でB面も含めてシングル発売の記録がなく、59年頃の録音を日本で発掘した形(日本でも4曲入りのコンパクト盤の1曲として発売された)になっているが、これは当時清原タケシの日本語カバー盤がヒットしたことがオリジナルの再発見につながった模様。前述の通り“プログレッシブ・ポップ”路線を邁進しつつあったこの時期のセダカだが、チャートアクションを見ると日本のポップスファンはより単純明快なヒットソングを求めていたのではないか・・?という様子が窺える。その証拠という訳ではないが、翌年以降10年近く、彼は我が国の洋楽チャートから姿を消すこととなる。
16位 Johnny Angel - Shelley Fabares('62米1位/英41位)
 50年代後半から60年代前半にかけて放映され、日本でも人気となったアメリカのTVドラマ「うちのママは世界一」に出演していた2人の子役、ポール・ピーターセンとシェリー・フェブレーと契約したコルピックス・レコードは、拙いボーカリストと鉄壁のバック・ミュージシャンという“西海岸の公式”でヒットを連発、同じく俳優兼歌手のジェームス・ダーレンを加えて“ティーンエイジ・トライアングル”名義のアルバムを発表するなど、ドリーミーなポップスの量産に努めた。全米チャートのトップまで上り詰めた「ジョニー・エンジェル」はその路線のお手本のような作風で、古き佳きオールディーズの雰囲気を堪能できる一曲。なおこの読みにくい名前は、ラジオジングルで本人が名のった音源によれば“シェリー・ファブレイ”という発音が正解のようだ。
17位 I Can't Stop Loving You - Ray Charles('62米1位/英1位)
 50年代半ば〜後半に革新的なR&Bソングをアトランティック・レコードから次々と発表していたレイ・チャールズは、1960年にメジャーのABCパラマウントへ移籍。より幅広い音楽への挑戦も理由にあっただろうが、彼のアトランティックにおける最後のアルバム「The Genius Of Ray Charles」ではABC時代のスタイルの原形となる音楽を既に完成させており、やはり高額なギャランティが一番の動機だったのだと思う。この年に発表したアルバム「カントリー&ウェスタンを唄う」は当時もっともヒップなR&Bアーティストがカントリーに挑戦、という話題性もあって大ヒットを記録。オリジナルのドン・ギブソン版も58年にカントリー・チャートで最高7位を記録しているが、レイ・チャールズのこの名唱があったからこそ、20世紀を代表する名曲になったのだろう。
18位 Hats Off To Larry - Del Shannon('61米5位/英6位)
 “街角男”デル・シャノンが「悲しき街角」に続いて放ったヒットが「ラリーに最敬礼(意訳)」。「悲しき〜」ではガールフレンドに去られた主人公が、今度はその娘が新しいボーイフレンド(ラリー)にフラれて「ザマァみろ。」という“後日談ソング”で、こちらも飯田久彦がカバーした。イギリスでも高い人気を誇ったシャノンは度々ツアーで当地を訪れ、盛り上がりを見せていたビートルズの活躍にもいち早く注目。63年に「From Me To You」をカバーしアメリカでシングル発売、これがビルボードのHOT100で最高77位を記録(これに関する記述を見かけたことはないが、当時アメリカ進出がままならなかったビートルズの面々は、物凄く嬉しかったはず)し“アメリカで最初にレノン=マッカートニー作品をヒットされたアーティスト”の称号を得た。
19位 Speedy Gonzales - Pat Boone('62米6位/英2位)
 60年代に入ってヒットを生み出すことに四苦八苦していたパット・ブーンが、殆どヤケぎみに打ち出した企画が“アニメ・キャラとの共演”。この前年にデヴィッド・ダンテというシンガーが発表していたこの「スピーディ・ゴンザレス」とは、ワーナー・ブラザーズのアニメ工場から生み出され、50年代後半にTVシリーズがスタートした「メキシコ最速ネズミ」のことで、パット版にはシリーズで声優を務めたメル・ブランク(他にもバグス・バニーやロードランナー、ウディ・ウッドペッカーなど多くのメジャー・キャラが彼の声の産物である)も参加している。タイプ的にはこの前年にヒットしたコースターズの「Little Egypt(米23位)」の亜流といえるこの曲が、パット・ブーンにとって(現在のところ)最後のTOP10ヒットとなっている。
19位 The Call Of Far-Away Hills - Victor Young and His Singing Strings
 西部劇史上屈指の名作とされる映画「シェーン」が最初に日本で公開されたのは1953年(昭和28年)のこと。映画の大ヒットとともにテーマ曲も大変な人気を呼んだが、当時の記録を見るとビクター・ヤングのインスト・バージョンよりも、ミュージカル畑で活躍していた若手女優ドロレス・グレイによるボーカル・バージョンの方が評判はよかったようだ。その後もこの映画は度々リバイバルされ、公開の都度テーマ曲がラジオから盛んに流され幅広い世代の愛聴曲となった。1980年にはこの物語の基本設定をベースに、高倉健と倍賞智恵子の主演(子役は当時10歳の吉岡秀隆)、山田洋次の監督による「幸福の黄色いハンカチ(77年)」に続く“換骨奪胎ムービー”、その名も「遥かなる山の呼び声」が制作・公開されている。


(2005.10.4)

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