1位 Hey Paula - Paul & Paula('62米1位/英8位)
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日本でも馴染み深い男女デュオ、ポールとポーラの名称は、当初はグループ名ではなくこの曲のタイトルであったという。テキサス州の大学生レイ・ヒルデブラントと、彼の下宿先の主人の姪だったというジル・ジャクソンの2人はラジオのチャリティ・ショーに出演するためのレパートリーとして「ポールとポーラ」を用意。この演奏を聴いた地元のラジオDJに気に入られてデモテープが制作されたが、全編6分もあったというこの曲はレコード向きではなく、売り込み先のプロデューサーの手により半分の尺に編集された。若いカップルの求婚歌という内容は全米のラジオで受け入れられ全米ナンバー1を記録、「ポールとポーラ」の残された半分は続いて「ヤング・ラヴァーズ('63米6位/英9位)」としてシングルカットされ、こちらも大ヒットを記録している。
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2位 Rhythm Of The Rain - The Cascades('63米3位/英5位)
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カリフォルニア州サンディエゴ出身のポップ・グループ、カスケーズはホワイト・ドゥワップの流れを汲む作風を得意としていたが、メンバーのジョン・ガモウらによって作られた「悲しき雨音」には独特の洗練された雰囲気があり、それが彼らのキャリアに突出した成功をもたらした。プロデュースはバリー・デヴォーゾン、アレンジがペリー・ボトキン・ジュニアの“「妖精コマネチ」コンビ”、レーベルが後にアソシエイションが成功する「ヴァリアント」ということで、ごく初期のソフト・ロック的味わいもあるこの曲は、その後カントリーやアダルト・コンテンポラリーなど様々なジャンルのアーティストにカバーされて幾度もヒットチャートに登場。アメリカでは歴代上位10傑に入るエアプレイ回数を誇る古典的名作となっている。
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3位 L'isola Di Arturo - Elio Bruno Orchestra
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“南の島に住む少年のもとに、父親が若い後妻を伴って帰ってきた。少年は美しい継母に一目で恋をしてしまう・・”という、その後何百回も世界中で繰り返し再生産される、下世話な表現をすると「義母もの」の元祖的存在である映画がこの年公開された「禁じられた恋の島」。テーマを作曲したのはイタリアの映画音楽ではお馴染み、我が国の洋楽チャートにも「鉄道員」や「刑事」以降物凄い数の作品を送り込んでいるカルロ・ルスティケリだが、これはオリジナルのサントラ・バージョンではなく(アーティスト名の由来等詳細を確認することは出来なかったが)「太陽はひとりぼっち」同様覆面アーティストによる“和製洋楽”なのだという。“権利がなければ自分で作れ”という当時のレコード会社のアグレッシブさが伺える作品である。
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4位 The Longest Day March - Mitch Miller with His Orchestra & Chorus
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1944年6月、連合軍がナチス・ドイツ圧制下にあったヨーロッパ大陸へ再上陸を果たし、第2次世界大戦の形勢逆転に大きな影響を及ぼした「ノルマンディー上陸作戦」を、ノン・フィクション・ノヴェルを元に壮大なスケールで描いた約3時間に及ぶ大作映画「史上最大の作戦(主演はジョン・ウェインとヘンリー・フォンダ)」のテーマ。約30年に亘ってアメリカ映画界に娯楽作品を送り込み続けた映画プロデューサー、ダリル・F・ザナックの依頼でこの曲を作ったのはポール・アンカで、彼は一兵卒として映画にも登場(彼が歌うバージョンも当時発表されている)。日本でヒットを記録したのはミッチ・ミラーお得意の男性コーラスが勇ましいマーチ調の録音、数多い彼の“マーチ・ヒット”の中でも代表的な作品となっている。
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5位 Sherry - The 4 Seasons('62米1位/英8位)
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ニュージャージーの音楽シーンのベテラン、フランキー・ヴァリは過去10年に亘って様々な名前でレコードをリリースしたが、ヒットチャート上の実績は殆どなし。心機一転「フォー・シーズンズ」としてグループを再編成、録音したのがオーディションにより加入した新メンバー、ボブ・ゴーディオが以前在籍していた「ロイヤル・ティーンズ」時代にライブのレパートリーとしていた「シェリー」。この曲には当初別の名前がつけられており(「テリー」だったらしい)、試行錯誤が繰り返された後このタイトルに落ち着いた。ヴァリの耳を劈くようなファルセット・ボイスが印象的なこの曲は忽ちヒットチャートを駆け上って全米ナンバー1を獲得。その後60年代アメリカ有数のヒットメーカーに伸し上がる彼らの、成功の第一歩であった。
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6位 The Great Escape March - Mitch Miller with His Orchestra & Chorus
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再びミッチ・ミラーの登場、再びマーチ曲。スティーブ・マックイーン以下個性的なキャストによりエンターテインメントの要素をてんこ盛りに織り込んだアクション/サスペンス映画の金字塔「大脱走」のテーマは、エルマー・バーンスタインによる迫力あるサントラ・バージョンの出来が何より一番だと思うが、ラジオで実績のあるミラー盤の人気も高かった。TV番組「ミッチと唄おう」を持ち、1958年〜62年にかけアルバムチャートに20枚近くの作品を次々と送り込んでコロンビア・レコードの屋台骨を支えた彼だったが、一方で大変なロック嫌いとしても有名で、僅かな例外を除いてロック・アーティストとの契約を頑に拒否。60年代半ばには同社を時代遅れな存在に陥れかねない状況にまで追い込むという失政を犯した人でもあった。
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7位 Johnny Get Angry - Joanie Sommers('62米7位)
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1941年ニューヨーク生まれのジョニー・ソマーズが新興のワーナー・ブラザーズと契約を果たしたのは彼女が18歳の時。初録音は人気俳優エドワード・バーンズの「クーキーのラヴ・ソング」のデュエット相手だったそうだが、すぐに自己名義でジャズ・アルバムを発表。ポピュラー路線が身の上の彼女だったが、62年に録音したノヴェルティ色の強い「内気なジョニー」はユニークなポップスで、忽ち“ガール・ポップの古典”と化した。この年日本ではミュージカル・ナンバー「ワン・ボーイ(11位)」もヒットしているが、当時の音楽ファンは両者の作風の違いに驚いたことだろう(こちらの方が異端なのだが)。この年の年間チャートにはもう一曲「Memories, Memories(すてきなメモリー)」も登場している(66位)。
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8位 I'm Gonna Knock On Your Door - Eddie Hodges('61米12位/英37位)
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1959年、フランク・シナトラが主演したコメディ映画「A Hole In The Head(波も涙も暖かい)」は、後年シナトラの重要なレパートリーとなる「High Hopes(望みを高く)」の主題歌でも知られるが、ここで彼の息子役を演じていたのが当時12歳のエディ・ホッジス。これは61年に歌手デビューした彼が放った最初のヒットで、日本ではその翌年に本国で「Bandit Of My Dream(『夢の盗賊』米65位)」のB面に収録されていた「Mugmates(コーヒー・デイト)」がヒットし('62年間47位)、それに続く形でリリースされた。ちょっととぼけた感じのボーカルが楽しいナンバーで♪I'm Gonna Knock On Your Door, Tap On Your Window Too...というフレーズは後年スティービー・ワンダーの「Until You Come Back To Me」に引用されている。
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9位 (You're The) Devil In Disguise - Elvis Presley('63米3位/英1位)
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この時代のポップスの多くに「悲しき〜」の邦題がつけられたが、エルヴィスもその対象となった。60年代中期のエルヴィスに多くの作品を提供しているビル・ジャイアント、バーニ・バウムとフローレンス・ケイの3人が書いたこの曲は、外見や仕種は天使のように可憐でも、中身は冷淡な心を持った“小悪魔”を歌ったもので、別に「悲しく」はない。幸せな時代のポップスを代表するようなこの曲は、入隊騒動でも人気が衰えることのなかったエルヴィスの時代がひとまず終結する時期に生まれたヒットとしても印象深く、これに続く「Bosa Nova Baby(米8位)」以降65年の「Crying In The Chapel('65年米3位)」を例外として、彼のシングルは69年の「In The Ghetto(米3位)」まで全米チャートのTOP10入りを果たすことはなかった。
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10位 Telstar - The Tornados('62米1位/英1位)
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米ソが競って宇宙開発に明け暮れた1960年代。62年にアメリカはTVの衛星中継用の通信衛星「テルスター」を打ち上げたが、これに便乗し同名のインスト曲を発表したのがイギリスのグループ、トーネドース。イントロ部分の不思議な“スペース・サウンド”を作り上げたのはプロデューサーのジョー・ミークで、前年のジョン・レイトン「霧の中のジョニー」と並ぶ成功作となった。イギリスでこのシングルがヒットチャートに登場したのは62年8月末のこと、その好評を受けてアメリカ発売され、全米チャートのトップに立ったのがちょうど衛星が打ち上げられた同年12月22日付のチャートと、リリース・タイミングのよさも好成績の要因となったようだ。彼らの活躍は約1年間で終わったが、後の「ブリティッシュ・インヴェーション」の先駆け的存在であった。
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