TOP10 HITS OF LAST CENTURY
Presented by meantime

■ CASH BOX TOP 100 SINGLES: Week ending June 22, 1963

01 SUKIYAKI - Kyu Sakamoto (Capitol)
02 IT'S MY PARTY - Lesley Gore (Mercury)
03 YOU CAN'T SIT DOWN - Dovells (Parkway)
04 DA DOO RON RON (When He Walked Me Home) - Crystals (Philles)
05 BLUE ON BLUE - Bobby Vinton (Epic)
06 HELLO STRANGER - Barbara Lewis (Atlantic)
07 THOSE LAZY-HAZY-CRAZY DAYS OF SUMMER - Nat King Cole (Capitol)
08 I LOVE YOU BECAUSE - Al Martino (Capitol)
09 EASIER SAID THAN DONE - Essex (Roulette)
10 ONE FINE DAY - Chiffons (Laurie)

 昭和38年6月第4週、キャッシュ・ボックスチャートのナンバー1は坂本九の「スキヤキ(上を向いて歩こう)」でした。

 “九ちゃん”坂本九は1941年生まれ。ダニー飯田とパラダイス・キングのボーカリストとして東芝レコードから「悲しき六十才」でデビューを果たしたのが60年、翌年通算8枚目のシングルとして発売されたのが「上を向いて歩こう」でした。この曲は「レコード・マンスリー」誌によるとこの年の暮の2ヶ月間邦楽チャートのトップを独走し、大晦日には「紅白歌合戦」初出場を果たします。

 以降もこの曲は彼の代表曲として様々な場面で歌い続けられることとなりますが、これが海外に持ち出されるきっかけとなったのは、イギリスのパイ・レコード社長ルイス・ベンジャミンが訪日の際この曲を耳にし、帰国して同社所属アーティストのケニー・ボールにレコーディングを指示したことから。「Midnight In Moscow(『モスクワの世はふけて』61年英2位/62年米2位)」のヒットを持つ彼は、曲に馴染みのある日本食「スキヤキ」とタイトルをつけ、得意の“トラッド・ジャズ”スタイルで料理。63年に入ってUKチャートで最高10位を記録したこのシングルはアメリカでもキャップ・レコードを通じて発売され、一部のラジオ局で流されたようです(チャートインはせず)。

 ケニー・ボールのバージョンを聴いて「これのオリジナルを持っている」と日本でホームステイ経験のある学生から東芝盤を手渡されたのがワシントンのとあるラジオ曲のDJで、試しにかけてみたところポップなサウンドと九ちゃんのユニークな唱法がウケてリクエストが殺到。ローカル・ヒットとなった評判を聞きつけたキャピトル・レコードが日本から原盤を取り寄せ、全米でリリースすると「スキヤキ」は瞬く間にヒットチャートを席巻しました。

 このシングルが降って湧いたようなアメリカにおける人気に対応するため急遽リリースされたのは、カップリング曲がオリジナルどおりの「Anoko No Namaewa Nantenkana(あの娘の名前はなんてんかな)」であることからも推測できますが、この「あの娘〜」が「スキヤキ」とはまた別の意味で大変な名曲(迷曲)。街角で見かけた後ろ姿の可愛い女の子を、なんとか振り向かせようと当てずっぽうに次々と女性の名前を呼んでいくという、考えてみると随分とヘンな内容の曲ですが、登場する名前が“いくさん(彼の母親)”だとか、次々と「これはあの人のこと?」と詞を手がけた永六輔の“イタズラ”に思わずにやりとしてしまう楽しい作品。そういえば一番最初に登場する名前は“花子さん(このヒットの10年後に生まれた彼の長女、大島花子は現在歌手として活躍中)”でした。

 2位以下には曲目を眺めるだけでもワクワクしてくる“ゴールデン・ポップス”がずらりと並んでいます。まず2位のレスリー・ゴーア「涙のバースデー・パーティ」はガール・ポップの古典。当時17才だった彼女はホテルのラウンジでゲストとしてステージに上がったところをマーキュリー・レコードのプロデューサーだったクインシー・ジョーンズに認められて契約、最初に吹込んだこの曲がたちまちナンバー1となりました。本当の意味でラッキー・ガールでしたが、彼女はこれだけでは終わらず、60年代を通じて同社に残したレコーディングはどれも質が高く、この時代もっとも才能ある白人女性シンガーだったのかも?と思わせるに充分な内容を持っています。

 「涙のバースデー・パーティ」は大手のマーキュリーから発売された大ヒットでしたが、“ガール・ポップ”は当時基本的にインディ・レーベルの専売特許的な商品でした。ここからしばらくインディ系のガール・ポップを集中的に紹介してみますと、まず4位のクリスタルズ「ハイ・ロンロン」はフィル・スペクターが設立した「フィレス」からリリースされたもの。同社で一番最初に成功を収めたグループであるクリスタルズは、この名前を借りていろんな人々がレコーディングに参加したグループでもありましたが、この曲のリードをとっているのは、オリジナルメンバーのララ・ブルックス。ジェフ・バリーとエリー・グリニッチが作曲したこの曲はロネッツの「Be My Baby(63年米2位)」と並ぶ“スペクター・サウンド”の最高峰です。6位バーバラ・ルイスの「ハロー・ストレンジャー」は、アトランティック・レコードがシカゴでセッションを行った同社としては珍しいタイプのガール・ポップで、コーラスを務めているデルズ(彼女のシカゴにおけるセッションには必ず参加していたようです)がまたドリーミーな雰囲気を盛り上げています。

 ちょっと飛んで9位はエセックスの「言うは行うより易し」ならぬ「内気な17才」。このグループは兵役中に結成されたという女性1人、男性4人の5人組で、短期間ながらリードのアニタ・ヒュームズの甲高いボーカルが印象的なヒットを幾つか残しました。10位「ワン・ファイン・デイ」のシフォンズは、ブロンクス出身のガールグループ。この曲はキャロル・キングとジェリー・ゴフィン作の名曲で、キャロル・キング自身も後にリメイクしていますが(82年米45位)、この時期はレコーディングに相当苦労した曲だったそうで、同じくブロンクス出身の音楽仲間、トーケンズに曲を渡したところこのシフォンズの素晴らしいバージョンが生まれ、大ヒットとなりました。

 ガール・ポップものをザァっとさらった後は、残りの曲を飛び飛びに紹介。3位「じっとしていられない」のダヴェルズは、フィラデルフィア出身のダンス・グループ。リード・ボーカルのレン・バリーは後に「1-2-3(65年米2位)」などでソロとしても成功しましたが、この曲は2年前の61年にフィル・アップチャーチ・コンボがヒットさせていた(米29位)インスト曲のボーカル版。彼らが所属していたフィラデルフィアのパークウェイ、そして親会社のキャメオ・レコードは現在悪名高きアブコ・レコードのアラン・クライン(彼はフィル・スペクター関連やサム・クックの音源などで音楽ファンを泣かせてきています)が権利を押さえており、膨大の数のヒット曲がCD時代になって一度も正式リリースされていないことで有名でしたが、年内に遂にボックスセットが発売されることになった!と先日フィラデルフィアのローカル・ニュースで報じられたそうです。音楽ファンにとっては、それくらいの朗報だったのです。

 残り3曲はすべてポピュラー系。5位ボビー・ヴィントンの「ブルー・オン・ブルー」はバート・バカラックによる美しいバラード。この時期彼はこの曲と「Blue Velvet(米1位)」と“青物”ヒットが続いたので日本では“ブルー男”としてキャンペーンがうたれたようで、この年の暮に出された「There! I've Said It Again(米1位)」には「ブルー・ファイア」という何の関係もない邦題がつけられたりもしました。7位は超ベテラン、ナット“キング”コールの「熱い夏をぶっとばせ」。夏になると一度は聴きたくなるこの曲は、65年に肺癌で亡くなる彼にとって最後のTOP10ヒットとなりました。

 最後8位はアル・マルティーノの「アイ・ラヴ・ユー・ビコーズ」。1952年に「Here In My Heart(米1位)」で華々しくデビューを飾った彼はその後しばらく活動の拠点をイギリスに移し、ヒットチャートから遠ざかりますが(UKチャートでは常連的存在でした)50年代末にカムバック、以降膨大な数のイージー・リスニングヒットを生んでいきます。ヒットメーカーとしての彼の業績も勿論輝かしいのですが、多くの人の印象に残っているのはなんといっても映画「ゴッドファーザー」で彼が演じた歌手「ジョニー・フォンテイン」役。「ゴッドファーザー」はもうすぐ日本における上映権が切れるとかで、もうすぐ最後の上映が開始されるようです。もうに度と観れないということはないでしょうが、暫しのお別れということで、アル・マルティーノの勇姿を眼に焼きつけておくこととしましょう。


(2004.6.22)

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