TOP10 HITS OF LAST CENTURY
Presented by meantime

■ Record Mirror Singles Chart November 9, 1963
01 You'll Never Walk Alone - Gerry and The Pacemakers (Columbia)
02 She Loves You - The Beatles (Parlophone)
03 Blue Bayou/Mean Woman Blues - Roy Orbison (London)
04 Sugar And Spice - The Searchers (Pye)
05 Do You Love Me? - Brian Pool and The Tremeloes (Decca)
06 Be My Baby - The Ronettes (London)
07 Let It Rock/Memphis Tennessee - Chuck Berry (Pye)
08 I Who Have Nothing - Shirley Bassey (Columbia)
09 Then He Kissed Me - The Crystals (London)
10 If I Had A Hammer - Trini Lopez (Reprise)
昭和38年11月第2週、UKチャートのナンバー1はジェリーとペースメーカーズの
「ユール・ネヴァー・ウォーク・アローン」でした。
今年の前半にこの年のUKチャートを紹介したことがありましたが、その時はま
だビートルズがようやくTOP10に顔を出したくらい、他はポップ系のアーティス
トが大半を占めるというチャートでした。それから9ヶ月後、ヒットチャートは
随分様変わりし、各地のビート・バンドの台頭が見られます。
そんな中、63〜64年前半にかけてはビートルズを凌ぐ勢いでブリティッシュ・
ビートブームの先頭を突っ走ったのがジェリー・マースデンとペースメーカー
ズ。ビートルズと同じくリヴァプール出身の彼らはメジャー・デビューとともに
「How Do You Do It?」「I Like It」そしてこの「You'll Never 〜」と3曲連続
ナンバー1を記録、新世代のロックの登場を印象づけました。この歌は1945年に
上演されたミュージカル「回転木馬(Carousel)」のためにリチャード・ロジャ
ースとオスカー・ハーマシュタイン2世が作曲したバラード。マースデンの歌声
はアップ・テンポの曲だとカラッと明るい印象なのですが、これがバラードにな
ると独特な哀愁を帯び、これがまたいい感じ。この路線がウケてしまったためそ
の後バラード作品が続き、ビート・バンドとしてはやや後退してしまう印象があ
りますが、彼のバラードはどれも味わい深く現在も十分楽しめます。
この曲はその後地元リヴァプールのサッカー・チームの応援歌となって客席か
ら大合唱が起こるようになり、さらにはイングランド代表チームを応援する際に
も歌われるように。ジェリーさん“国民的歌手”ですね。我が国Jリーグでも、
とあるスタジアムではサポーターによるこの歌の合唱が沸き起こるのだとか。一
度その場に居合わせてみたいものです。
続いて2位はリヴァプールの“二番手!?”ビートルズ。デビュー曲の「Love Me
Do(62年英17位)」が結構渋い曲調で、続く「Please Please Me」は当初ロイ・
オービソン風のサウンドで作られていたそうですが(確かに彼の「Running
Scared(61年米1位/英9位)」調でこの曲を歌ってみると、見事にハマります)
それを思いっきりアップ・テンポにして彼らは大ブレイク(英2位)、続く初の
ナンバー1ヒット「From Me To You」は置いといて(私はあまり好きじゃな
い・・)、その次のこの「シー・ラヴズ・ユー」で“アイドル・バンド”として
の彼らの重要な要素である“ちょっとバカっぽくてカワイイ”イメージがほぼ完
成します。決め手はあの「Yeah! Yeah! Yeah!」。ごくありふれたフレーズの
“Yeah!”を、三度続けると現在でも「あ、ビートルズ!」と誰もが思ってしま
うのは何故なんでしょうね?彼らはこれを最大の武器に、1964年アメリカのヒッ
トチャートを席巻していくことになります。
ブリティッシュ・ビ−ト系のグループを続けて紹介しておきましょう。4位の
サーチャーズもリヴァプール出身のバンド。12弦ギターを多用したスマートなサ
ウンドは後に“フォークロックの先駆け”という評価のされ方もしましたが、こ
の言い方はあながち大袈裟でもなく彼らのレパートリー(殆どが他のアーティス
トのカバーでした)にはフォーク・ソングも多数含まれていて、65年初頭にはマ
ルヴィナ・レイノルズという通好みな女性フォークシンガー(話が脱線しますが
高田渡の「自衛隊に入ろう」の元歌が、彼女の作品であることを私は最近初めて
知りました)の反戦歌「What Have They Done To The Rain」のカバーをアメリ
カのTOP40に送り込んだりもしています。この「シュガー・アンド・スパイス」
はプロデュースを担当していたトニー・ハッチが変名で彼らに提供した曲で、ア
メリカでは66年にクライアン・シェイムスが再ヒットさせています(最高
49位)。
続く5位に入っているのは、ビートルズと因縁浅からぬ仲にあるサセックス出
身のブライアン・プールとトレメローズ。ビートルズはEMIレコードと契約する
前にデッカのオーディションも受けており、そこで彼らを蹴落として契約を勝ち
獲ったのがこのトレメローズの面々。デッカ・レコードはクリフ・リチャードと
シャドウズのようにフロント・マンとバック・バンドがはっきり分かれているグ
ループを欲していたのと、リヴァプールのような田舎のグループでは連絡が取り
にくい(!)という理由で決断したようですが、こればかりは“縁”の問題なの
で後からどうこう言うべきではないのかも知れませんけれども「逃した魚は大き
い」。現にビートルズの大ブレイク後、当時のデッカ社の採用担当者全員がクビ
になった、なんて逸話も残されています。真実かどうかは判りませんが。
で、ブライアン・プールとその一党ですが、彼らのデビュー・シングルである
「Twist & Shout(これまた因縁深い!)」が成功し(最高4位)、続くこの「Do
You Love Me」がナンバー1を記録と、デッカの思惑通りヒットを連発、ビート・
ブームを謳歌しました。その後66年にデッカはブライアン・プールを独立させ、
トレメローズはクビに。皮肉にもプールはソロヒットを一曲も飛ばすことが出来
ず、逆にトレメローズは他社でそれまで以上にヒット曲を量産する・・という顛
末になります。彼らに関しては、デッカは何処までもツキに見放されていたよう
です。
そろそろアメリカ勢にも目を向けてみましょう。3位と7位には「R&R第一世
代」が登場。3位ロイ・オービソンの「ブルー・バイヨー」はリンダ・ロンシュ
タットのカバー(77年米3位)でも知られている名曲。名称の多いこの時期の彼
ですが、中でもこの曲はベストの部類に入る一曲でしょう。カップリングの「ミ
ーン・ウーマン・ブルース」はエルヴィスが映画「ラヴィング・ユー」の中で歌
っていた曲のカバー。彼お得意の、うがいのように喉を鳴らすフレーズが登場し
ます。7位チャック・ベリーの方は当時散々な60年代前半を過ごした後でした。
彼が経営していたモーテルで働いていた女性が、彼に解雇された腹いせに「職場
で売春を強要された」と裁判所に彼を訴え、R&Rに対する風当たりの強い時期で
したから人種偏見に満ちた屈辱的な裁判の後彼は有罪判決を受け2年間収監され
ることに。チャック・ベリーの名は暫し音楽シーンから姿を消すことになりま
す。
しかし人生悪いことばかりではなく、彼が出獄する頃にはイギリスはビート・
ブーム花盛り。ベリーは“ブリティッシュ・ビートの教祖”として再び注目を集
めるようになりこのシングル(「メンフィス」は1960年の「レット・イット・ロ
ック」は1959年の作品)でTOP10に返り咲き。この勢いで翌64年にはアメリカに
再上陸を果たしTOP40入りを記録することになります。成功の後発表したアルバ
ムには「St. Louis to Liverpool」という象徴的なタイトルが付けられました。
6位と9位には“スペクター・サウンド”が登場。6位は60年代ポップス永遠の
マスターピース「私のベビー」、9位はクリスタルズの「キッスでダウン」。彼
が生み出した“ウォール・オブ・サウンド”は当時大変な影響力を持ち、ライバ
ル会社は挙ってその“模造品”を制作。つい最近当時の作品を集めた「模造品集
(A Wall Of Soundalikes)」なんてCDも出されたほど数多くのレコードがリリ
ースされました。
以前も触れたことがありますが、この何ヶ月か後スペクターは友人のジ−ン・
ピットニーとともに渡英し、ローリング・ストーンズのセッションに参加するこ
とになるのですが、これは恐らくロンドン・レコードで配給されイギリスでヒッ
トを記録していた自分の作品のプロモーションが主目的で、そのついでに同社の
新人だったストーンズのレコーディングにつきあった、という感じだったんでし
ょうね。後からすれば“必然”のような印象がありますが、当時のストーンズは
まだブレイク前。“幸運の産物”的出来事だったのではないかと思われます。
最後2曲は簡単に。8位シャーリー・バッシーはお馴染みのダイナミックな女性
シンガー。「I」はベンE.キングのヒット曲のカバーで、例によって思いっきり
声を張り上げています。10位はアメリカのエンターテイナー、トリニ・ロペス。
テキサス州出身の彼はバディ・ホリーと親交を持ち、それをきっかけにデビュー
のきっかけを得ましたがなかなか成功を収めることが出来ず、一時はホリー死後
のクリケッツのボーカリストに、なんて話もあったそうですがそれも叶わず。ロ
サンゼルスのクラブでフォークソングをラテン・ビートで料理する芸風が非常に
受け、その評判がフランク・シナトラの耳に届いて彼のリプリーズ・レコードと
契約。60年代半ばから後半にかけて物凄い数のヒットアルバムを生みました。こ
の曲はピーター、ポール&マリーのバージョンでもよく知られるピート・シーガ
ーの作品。彼の作品はライブ・レコーディングで収録される場合が多く、この曲
も観客の歓声が楽しい雰囲気を醸し出しています。
(2003.11.11)
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