1位 From Russia With Love - Matt Monro('63英20位)
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我が国の洋画界で今日まで長く人気を保つばかりでなく、洋楽チャートにも数々の大ヒット曲を送り込んできた長寿シリーズ「007」の第一作「007は殺しの番号(ドクター・ノオ)」が我が国で公開されたのは昭和38年のこと。続いてこの年には「007/危機一発」が公開され、その人気は決定的なものとなった。主題歌である「ロシアより愛をこめて」を歌っていたのは“イギリスのシナトラ”の異名をとるバラード・シンガー、マット・モンローで、この曲の人気の高さから後年映画がリバイバルされた際はタイトルが「ロシアより〜」に改題されたほど。60年代イギリスのポピュラー界を代表する存在である彼は、何故かビートルズ人気にのっかってアメリカでもブレイク、「Walk Away('64米23位/英4位」がTOP40ヒットを記録している。
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2位 Where Have All The Flowers Gone - The Kingston Trio('62米21位)
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50年代後半よりラジオのヒットパレードを賑わせてきたフォーク・ミュージックが、そろそろ社会性を帯びた音楽として認知され始めたのがこの年。かつてパット・ブーンの「4月の恋('58)」で花は主人公である若いカップルの花嫁姿を飾るものとして歌われたが、伝説的なフォーク・シンガー、ピート・シーガーによって書かれたこの曲では戦場で還らぬ人となってしまった青年に手向けられるものとして登場し、時代の移り変りを感じさせる。キングストン・トリオはこの曲がアメリカでヒットする前年の61年にリーダー格のデイヴ・ガードが脱退し、代りに若きシンガーソングライター、ジョン・スチュアートが加入。彼はグループ活動ばかりでなくソングライターとして、70年代にはソロ・アーティストとしても大ヒットを残している。
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3位 Live Young - Troy Donahue
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TVシリーズ「ハワイアン・アイ」「サーフサイド6」、映画「避暑地の出来事('59)」「恋愛専科('62)」などで人気者だった“青春スター”トロイ・ドナヒューが、61年本邦公開の「二十歳の火遊び」、翌62年の「スーザンの恋」に続いてコニー・スティーヴンスと共演したコンビ3作目が、この年公開された「パーム・スプリングスの週末」。カリフォルニアのリゾート地を訪れた学生たちによる陽気な恋愛物語の主題歌として吹込まれたこの曲は、ドナヒューが歌手にはあまり向いていないことを証明する出来だが、陽気な曲調が我が国では好評だった。90年代まで息の長い活躍を続けた彼だったが、歌手としての活動は経歴上抹殺されてしまったらしく、彼の音楽キャリアに関する情報は海外のデータベースを検索しても殆ど見つけることは出来ない。
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4位 Short In Love - Gus Backus
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1937年ニューヨーク州ロング・アイランドに生まれ、50年代にはドゥ・ワップグループ「デル・ヴァイキングス」のメンバーだったこともあるというガス・バッカスは、徴兵され駐留したドイツで音楽活動を継続。除隊後もかの地に留まることを決心した彼はポリドール・レコードと契約し、ドイツ語吹き込みによるポップスが次々とヒット。60年代を通じてヨーロッパ大陸ではクリフ・リチャードに匹敵する人気を誇ったという。「恋はスバヤク」はこの人気者ぶりを国外にもアピールするため62年にナッシュビルで録音された英語作品の一つで、作曲は数多くのヒットを生んだソングライター、ジョンD.ラウダーミルク。残念ながら母国に錦を飾ることはなかったが、この曲は日本のリスナーに発見されてインターナショナル・ヒットとなった。
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5位 Movin' - The Astronauts
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デュアン・エディやナンシー・シナトラのプロデューサーとして知られるリー・ヘイズルウッドが手がけ、63年にデビューしたインスト・バンドがコロラド州出身のアストロノウツ。第一弾シングル「Baja(『サーフィンNo.1』米94位)」がHOT100に登場し、何枚かのアルバムを発表したものの、本国では殆ど知られることのなかった彼らだったが、ここ日本ではまったく状況が違い独自にシングルカットされた「太陽の彼方に」が大ヒット。これは藤本好一(バックは寺内タケシとブルージーンズ)の「ノッテケ、ノッテケ・・」と歌詞がつけられたボーカル・バージョンのヒットが大きかったようだ。彼らは翌年来日しベンチャーズと共に全国を巡業。“エレキの伝道師”として我が国のポップス史に無視の出来ない足跡を残した。
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6位 Washington Square - The Village Stompers('63米2位)
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50年代末〜60年代前半、我が国のヒットパレードに毎年のように生まれた“トラッド・ジャズ”スタイルのヒット曲の一つである「ワシントン広場の夜はふけて」を演奏したヴィレッジ・ストンパーズは、ニューヨークのグルニッジ・ヴィレッジを活動拠点としていた8人組バンド。各々大学時代から音楽活動を続け、中には教鞭をとったり、オーケストラのメンバーとして活躍する者もいたという彼らは当地の作曲家兼コメディ・ライターで、ウディ・アレンと活動をともにしたこともあるというボブ・ゴールドスタインが書いたこの曲で突然ブレイク。バンジョーの音色が印象的なナンバーだったが成功は続かず、「ロシアより愛をこめて」のインスト・バージョン(米81位)などあと数曲を残してヒットチャートから姿を消した。
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7位 My Bonnie - The Beatles with Tony Sheridan('64米26位/英48位)
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1964年に東芝レコードはビートルズのシングル盤を次々と発売したが、その乱発ぶりがこの年間チャートでは皮肉な結果を生んでいる。1961年、ライブハウス「スター・クラブ」巡業のためドイツのハンブルグを訪れた「シルバー・ビートルズ」は、イギリス人シンガー、トニー・シェリダンのバックバンド「ザ・ビート・ブラザーズ」としても一時期ステージに立っていたが、折よく現地でレコーディングの機会を持ったシェリダンはそこでも彼らを起用。結果生まれた「マイ・ボニー」ではポール・マッカートニーのコーラスがはっきりと聴き取ることができる。ビートルズ・ブームで再発見されたこの録音は世界中でヒットを記録。他に音源を持たなかったポリドールの一押しで、我が国ではこの年彼ら最大のヒットという成績を残している。
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8位 Viva Las Vegas - Elvis Presley('64米29位/英17位)
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前年公開された「バイ・バイ・バーディ」で大スターとなったアン・マーグレットが、エルヴィスと共演した映画「ラスベガス万才」主題歌。トロピカルなリズムが楽しいナンバーで大ヒットとなっているが、60年代末以降ステージ活動を中心とするようになったエルヴィスがその本拠としてラスベガスを選んだことで、この曲はより重要性を増した。ジャンプスーツに身を包んだ後期の彼が実際にステージでこの曲を歌った印象はあまりないが、彼が当地を象徴する存在となると共に曲は街のテーマ曲となり、現在もTVや映画でこの街が登場すると、まず間違いなくBGMに使用されている。蛇足になるが92年の映画「ハネムーン・イン・ヴェガス」にはエルヴィス・ナンバーがふんだんに使用されているが、意外なことにこの曲はサントラに収録されていない。
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9位 La Ragazza Di Bube - Original Soundtrack
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イタリア映画「刑事('59)」「若者のすべて('61)」などで人気を博したクラウディア・カルディナーレと、「ウエスト・サイド物語('62)」で一躍人気者となったジョージ・チャキリスが主演した「ブーベの恋人」は、ファシズムと戦うパルチザンの青年と、村の少女(モデルが実在したという)の恋愛物語を題材にした1960年出版の小説を原作に制作されたもの。抗戦活動の末捕らえられ、長期間投獄されるブーベと、他の出逢いに心揺れながらも、獄中の恋人を支え続けていくマーラの7年間を描いた“社会派メロドラマ”で、この年を代表するヒット映画の一つとなった。テーマ曲を手がけたのはこの年間チャートの常連であるカルロ・ルスティケリ。もの悲しげな曲調が、映画を観た者にいつまでも強く印象を残した。
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10位 I Want To Hold Your Hand - The Beatles('64米1位/英1位)
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やや大袈裟な表現をすれば“たった一枚で世界を変えた”シングル。本国イギリスでは通算5枚目にあたるこの曲はアメリカ進出のため同国市場を非常に意識して書かれたものなのだそうで、従来よりR&B色(とはいってもガール・グループ風の)強い作風となっている。アメリカでこのシングルが発売されたのは64年1月13日のこと、2月1日付のHOT100では早くもチャートのトップに立ち、これが1位を守る2月7日に彼らは初渡米を果たす・・という理想的な流れを作っている。当初我が国では最初にリリースされる彼らのシングルとして「プリーズ・プリーズ・ミー」が予定されていたそうだが、この盛り上がりを見て急遽2月5日にこちらの国内盤発売を決定、アメリカで巻き起こった一大ブームに、上手くのれる形となった。
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