TOP10 HITS OF LAST CENTURY
Presented by meantime

■ N.M.E. Singles Chart February 8, 1964

01 Needles And Pins -The Searchers (Pye)
02 I'm The One - Gerry & The Pacemakers (Columbia)
03 The Hippy Hippy Shake - The Swinging Blue Jeans (HMV)
04 Diane - The Bachelors (Decca)
05 Glad All Over - The Dave Clark Five (Columbia)
06 5-4-3-2-1 - Manfred Mann (HMV)
07 As Usual - Brenda Lee (Brunswick)
08 Twenty Four Hours From Tulsa - Gene Pitney (United Artists)
09 Don't Blame Me - Frank Ifield (Columbia)
10 I Want To Hold Your Hand - The Beatles (Parlophone)

 昭和39年2月、イギリスの「New Musical Express」誌ヒットチャート1位はサ ーチャーズの「ピンと針」でした。

 今回のチャートはリバプール出身のバンドが1位〜3位を独占という、凄いこと になっていますね。まさに“マージー・ビート”全盛期。ここで1位の座についているサーチャーズは、パイ・レコードの名プ ロデューサー/ソングライターのトニー・ハッチのもとセンスのいいカバーヒッ トを数多く放ったロックバンド。この曲のオリジナルはアメリカの女性シンガー、ジャッ キー・デシャノン(63年米84位)で、彼女はソングライターとしても多くのヒッ ト曲を残しましたが、これについてはフィル・スペクター門下でアレンジャーを 務めていたジャック・ニッチェと、その見習いだったソニー・ボノ(ソニー&シ ェールがブレイクする前)の二人の共作を取り上げた形になっています。

 続く2位は当時リバプールでビートルズの最大のライバルといわれたジェリ ー・マースデン率いるペースメーカーズ。ビートルズに続いてジョージ・マーテ ィンのプロデュース、ブライアン・エプスタインのマネージメントでシーンに送 りだされ、ビートルズのセカンド・シングルとして用意されていた(彼らは拒絶 し、オリジナルの「Please Please Me」をリリース)「How Do You Do It?(恋 のテクニック)」をヒットチャートのナンバー1に送り込んで“リバプール初の 全英ナンバー1バンド”の称号を得ました。以降もペースメーカーズは「I Like It」バラードの「You'll Never Walk Alone」と立続けに1位を記録、今回の 「I'm The One」も最高2位と、この時点ではビートルズをも凌ぐ活躍を見せてい ました。その後彼らはバラード路線に向かい、66年までにはヒットチャートから 姿を消すことになるのですが、「You'll Never 〜」はその後リバプールのサッ カーチームのテーマ曲となり、また64年の「Ferry Across The Mersey(「マー ジー河のフェリーボート」英8位/米6位)」は80年代後半にマージー河で皮肉に も起こったフェリーボートの沈没事故に対するチャリティ・ソングとしてリバイ バル。旧友ポール・マッカートニーらと吹き込んだシングルは89年に全英ナンバ ー1となるなど、マースデンは現在に至るまで“リバプールの名物親父”的存在 として活躍しているようです。

 3位は前述の2組と比べるといくぶん小粒、スウィ ンギン・ブルー・ジーンズの「ヒッピー・ヒッピー・シェイク」。デビュー前の ビートルズもレパートリーとしていたという、ロサンゼルスのメキシコ系ロッカ ー、チャン・ロメロという非常にマイナーなアーティストの代表曲のカバーであ るこの曲は、おそらく1963〜64年にイギリスで生まれたR&Rレコードの中で最も 活きのいいものの一つ。彼らもカバー曲を得意としており、現在CDを聴いてもな かなか魅力のあるバンドであったことが判りますが、やはりこの路線では長続き せず翌年には第一線から姿を消しました。

 ビート・グループの間隙を縫って、4位に登場しているのはアイルランド出身 のフォーク系ボーカルグループ、バチェラーズ。ビート・ブーム吹き荒れる中彼 らは、R&R以前の時代のポップスを次々と蘇らせ、ヒットチャート上位に送り込 みました。この「ダイアン」は“スイート・バンド”といわれた1920年代のダン スバンドのリーダー、ナット・シルクレット1928年の大ヒット(米2位)がオリ ジナルというとてつもなく古いもので、まだまだこの手の音楽にも需要があるこ とを示しました。面白いことに彼らは、このチャートに登場しているビート・バ ンドたちとともにアメリカに輸出され、明らかに場違いであるにも関わらず、そ こそこの成功をかの地でも収めたのでした(「ダイアン」は最高10位を記録)。

 5位、6位はリバプール勢に対抗して登場した他の地域のバンド。日本でも人気 のあったデイヴ・クラーク・ファイヴの「グラッド・オール・オーバー」。ハン サムなドラマー、デイヴ・クラーク率いるこのバンドはロンドン北部のトッテナ ム出身のため“トッテナム・サウンド”と呼ばれ、ヒットチャートのトップを独 走していたビートルズをこの「Glad 〜」が蹴落とした時にはロンドンの新聞に “ロンドンっ子、リバプールを打負かす”とデカデカと記事が載ったのだとか。 このヒットをきっかけに彼らもアメリカに進出、「エド・サリヴァン・ショー」 への積極的な出演などにより本国以上の人気を博していくこととなります。6位 はイングランド南部出身のマンフレッド・マン。こちらのリーダー、マンフレッ ドはキーボーディストで、JazzやR&Bを得意としたバンドでした。比較的通好み な存在だった彼らがブレイクしたのは、イギリスの音楽番組「レディ・ステデ ィ・ゴー」の主題歌としてこの「5-4-3-2-1」を吹き込んだのがきっかけ。続い て「Do Wah Diddy Diddy」が英米で1位を記録し、マンフレッド・マン及び周囲 の人々によるバンドの長〜い歴史が続くこととなります。

 7位と8位にはビート・ブーム吹き荒れる中でも根強い人気を誇ったアメリカ人 アーティストが登場。アメリカのヒットチャートではイギリス勢来襲の1964年を 境に、それまで活躍していたアーティストたちがヒットを出すことが出来なくな るケースが多発しましたが、どういう訳か当時イギリスで人気を確立していたア メリカ人アーティストは、本国でも引き続きヒットを放っていく確率が非常に高 かったようです。ブレンダ・リーはコニー・フランシスと並ぶもう一人の“オー ルディーズの女王”で、ナッシュビルを本拠に“デッカ・カントリーの歌姫(ま たは小娘)”として非常に長期間に亘って安定した活躍を続けました。今回のシ リーズを通じてそうなのですが、イギリスのチャートでは非常に“ポップ・カン トリー”が強い印象がありますね。国民性なのでしょうか?

 8位は今年R&Rの殿堂入りを果たしたジーン・ピットニー。前回紹介したデル・ シャノン同様イギリスの音楽シーンと非常に密接な関係を持ち続けたピットニー は、ちょうどこの頃友人のフィル・スペクターと共にイギリスを視察。ローリン グ・ストーンズのレコーデング・セッションに参加し、帰国する飛行機内でビー トルズの面々と遭遇。彼らのアメリカ上陸を、上陸する側から目撃した数少ない アメリカ人となったのでした。ピットニーは今回ランクインしている「タルサか らの24時間」に続いて、まだブレイクに至っていなかったストーンズに提供され た「That Girl Belongs To Yesterday(英7位/米49位)」をヒットさせ“ジャ ガー=リチャード作品を初めて全米チャートにランクインさせた男”という、ビ ートルズにとってのデル・シャノン的存在にもなるのでした。

 9位は前回も登場したフランク・アイフィールド。“イギリスのウィリー沖 山”みたいな人だと思っていただければいいと思います。「Don't Blame Me」は 1930年代にヒットしたポップソングのリメイクで、ヨーデル風裏声を交えながら ポップ・カントリー調に仕上げています。最後10位はビートルズの「抱きしめた い」。ここにたどり着くまでにこの曲のヒットの背景は説明済みな気がしますの で詳しくは述べません。ちょうどこの頃アメリカのヒットチャートで1位を獲 得、前述の通り上陸も果たし、アメリカの音楽界にとって大変な一年が幕を明け ることになるのです。


(2003.2.12)

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