TOP10 HITS OF LAST CENTURY
Presented by meantime

■ 洋楽ポピュラーシングルチャート1964年10月度

1. ほほにかかる涙/ボビー・ソロ(Seven Seas)
2. 夢見る想い/ジリオラ・チンクィッティ(Seven Seas)
3. 太陽の彼方に/アストロノウツ(Victor)
4. ロシアより愛を込めて/マット・モンロー(Odeon)
5. 2人の星をさがそうよ/ポールとポーラ(Philips)
6. ビートルズがやって来る!/ビートルズ(Odeon)
7. プリーズ・ミスター・ポストマン/ビートルズ(Odeon)
8. マイ・ボニー/ビートルズ(Polydor)
9. サスピション/テリー・スタッフォード(London)
10. ポエトリー/ジョニー・ティロットソン(Seven Seas)

 邦楽チャートでは橋幸夫の「恋をするなら」がナンバー1を記録していたこの月、洋楽チャートのナンバー1はイタリアのボビー・ソロ「ほほにかかる涙」でした。後年から見ると“リバプール・サウンド”一色という印象のある1964年、しかしニッポンでは独自の洋楽チャートが形成されていた訳です。

 イタリア産のポップスは以前から日本で非常に人気があり、映画がらみ等で多くのヒット曲が生まれていました。そしてこの年、新しくもてはやされるキーワードが登場します。それが「サンレモ音楽祭」。1位の「Una Lacrima Sul Viso」も2位の「Non Ho L'eta」も同音楽祭に出品された作品で、それをきっかけに日本でも親しまれました。ボビー・ソロの方はこの時代を代表する作品といっても過言ではない大ヒットで、曲の随所に耳に残るフレーズ(“フック”ともいいます)が登場する名作。日本におけるイタリアンポップス最大のスター、ジリオラ・チンクェッティがシーンに登場するきっかけとなった「夢見る想い」はクラシカルな雰囲気漂うバラード。この後暫くイタリア産のポップス及び「サンレモ音楽祭」は日本の音楽界に多大なる影響を与えていくこととなり、日本の新人歌手が振袖姿で同音楽祭を表敬訪問という光景は、80年代まで毎年恒例のものとなりました(結局いつまで続いたんでしょう?)。

 3位に入っているのは、アストロノウツの「Movin'」。本国アメリカでは「サーフィンNo.1(Baja)」が63年に最高94位というマイクロヒットを記録したのみのバンドですが、日本ではこの「太陽の〜」が大ヒットし“サーフィン・サウンド”の立役者として翌年人気が爆発するベンチャーズの露払い的役割を果たしました。

 で、この曲、インストであるにも拘わらず思い起こされるのは「ノッテケ、ノッテケ」という歌詞。藤本好一(ブルージーンズ)のローカルカバーが発表される際につけられた「ノッテケ、ノッテケ、ノッテケ、サーフィン/なーみに、なーみに、なーみに、乗れ乗れ・・」で始まる“言語感覚的に優れた”歌詞があまりにも曲にハマり過ぎ、音楽的な定義が殆ど為されないまま“サーフィン・サウンド”なるジャンルまで確立してしまいました。この曲及びアストロノウツが日本の音楽界に果たした功績については、もうちょっと後で再び。

 4位は“イギリスのシナトラ”マット・モンローの「From Russia With Love(英20位)」、これはいうまでもなく映画「007危機一髪」主題歌。これ以降「007」シリーズは「サンダーボール」「ゴールド・フィンガー」等あの時代を彩る多くのヒット曲を生み続けていくことになります。続いて5位はポールとポーラの「2人の星をさがそうよ」、これはこの月邦楽チャートで6位にランクインしている田辺靖雄と競作となった吉田正ナンバー。前年「ヘイ・ポーラ」のナンバー1ヒットで華々しくデビューを飾った2人でしたが、64年に入ると本国で発表したシングルはHOT100をかすりもしなくなり、この頃にはかつて「ヘイ・ポーラ」をローカルカバーした田辺とシングルを競作、という状況にまでなっています。時代の移り変わりは恐ろしい・・・。曲調の方はまったくの“青春歌謡”で、洋楽テイストはあまり感じられません。ヤッチンこと田辺靖雄版は、歌を非常に丁寧に歌っている感じが好感持てますが。

 なおこの曲を作った吉田正は数年前に亡くなった際、国民栄誉賞を授かったほどのヒットメイカーでしたが、彼は洋楽風のサウンドとそのとき流行りのキーワードを取り込んだ“洋食テイスト”のポップスを作り出す名手でもありました。50年代にはその手法でフランク永井やマヒナスターズなど一連の“ムード歌謡”で一ジャンルを築いた彼がこの頃取り組んでいたのは“エレキサウンドの導入”で、この月の邦楽チャート1位「恋をするなら」がその最初の成果でした。アストロノウツが本国で前年に発表した「Surf Party」という曲に通じる雰囲気を持ったこの曲が半年以上チャートに居座る大ヒットとなり、その後「太陽の彼方へ」の“ノッテケ・ビート”を取り入れた「チェッ チェッ チェッ」等、後年の「恋のメキシカンロック」に至る“リズム歌謡”路線をまい進していきます。考えてみるとこれら一連の作品は以降続々と登場する“エレキ歌謡”の先駆けであり、数年後歌謡界の新しい流れとアンダーグラウンドなジャズ喫茶(今でいうライブハウス)シーンの盛り上がりが結びついて爆発するGSブームの導火線的な役割を果たしたのではないか?という評価も出来ます。

 さて、「恋をするなら」がGSブームの導火線的存在であったとするのなら、そのブームの直接の触媒となったのはビートルズでしょう。彼らの作品はこの月3曲がランクインしています。まず6位に入っている「A Hard Day's Night(米1位)」は同名映画の主題歌。世界的なデビュー曲「抱きしめたい」がラジオから流れてきたとき、各国の若者に与えた衝撃はかなりのものがあったのではないかと想像されますが、当時恐らくそれ以上にインパクトを持ったのはスクリーン上を駆け回る彼らの姿だったのではないでしょうか。実際新時代の“ポップ”を非常に具体的に提示してみせたあの映画に触発されてエレキギターを手にし、そのキャリアをスタートしたという海外のミュージシャンのインタビューをよく見かけます。7位は日本独自のシングルカット「Please Mr. Postman」。初期の彼らのアルバムに収録されている多くのカバー録音には、さすがの彼らとはいえ曲によって出来不出来がありますが、このバージョンはオリジナルを凌駕したノリを持っているといえるでしょう。余談ですがこれから10年後の74年に全米ナンバー1となったカーペンターズ版を聴いてみると、そのビート感はオリジナルのマーヴェレッツではなくビートルズ版の方を参考にしている様子が窺えます。

 8位はある意味珍品、ビートルズが正式デビュー前(61年)にドイツでトニー・シェリダンのバックを務めた録音「My Bonnie」がランクイン。ポール・マッカートニーが張り切ってコーラスをつけている様子が微笑ましいこの曲、折からのビートルズ・ブームに便乗してアメリカでもリリースされ最高26位を記録しました。

 と、一連のポップスの新しい流れに押され、前年まであれほど隆盛を誇っていたアメリカンポップスはこの月ようやく9位と10位に顔を出すにとどまっています。まず9位はテキサス出身のテリー・スタッフォード「Suspicion(米3位)」。元々エルヴィス・プレスリー62年のアルバム「ポット・ラック」に収録されていた曲で、その2年後にスタッフォードがエルヴィスそっくりに歌って大ヒットしました。最後10位は前年日本独自のカット「キューティ・パイ」がヒットしたジョニー・ティロットソンの「Poetry In Motion」。この曲は60年に発表した彼にとって初めての大ヒット(米2位)で、日本でブレイクした彼の人気に当て込んで過去のレパートリーがリリースされた形。「その動きに詩的なものを感じさせる・・」なんて随分高尚な言葉が使われているこの曲、ポップスのお手本のような曲構成を持っています。で、考えてみたら9位も10位も過去に生まれた曲なんですよね。こういった感じの“いかにもポップス”な音楽は、この年以降徐々に“時代遅れ”のレッテルを貼られていくことになってしまうという・・。


(2000.10.4)

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