TOP10 HITS OF LAST CENTURY
Presented by meantime

■ Record Mirror Singles Chart November 28, 1964
01 Baby Love - The Supremes (Stateside)
02 All Day And All Of The Night - The Kinks (Pye)
03 Little Red Rooster - The Rolling Stones (Decca)
04 He's In Town - The Rockin' Berries (Piccadilly)
05 Um, Um, Um, Um, Um, Um - Wayne Fontana & The Mindbenders (Fontana)
06 I'm Gonna Be Strong - Gene Pitney (Stateside)
07 There's A Heartache Following Me - Jim Reeves (RCA)
08 Oh Pretty Woman - Roy Orbison (London)
09 Downtown - Petula Clark (Pye)
10 Losing You - Dusty Springfield (Philips)
昭和39年11月第4週、UKチャートのナンバー1はシュープリームスの「ベイビ
ー・ラヴ(米1位)」でした。
1960年代を代表するガール・グループ、シュープリームスのメンバー3人は、
出生地こそまちまちながら1950年代の工業化時代に急速に労働人口を増やしたデ
トロイトに移り住み「ブリュワー・ハウジング・プロジェクト(工業団地のよう
なもの?)」で育った労働者の娘たち。ハイスクール時代に各々の活動を通じて
知り合った彼女たちは、地元の人気グループ、ザ・プライムス(後のテンプテー
ションズ)の妹分“ザ・プライメッツ”として様々なコンテストに出場。プライ
ムスとの縁もあって新興レーベル、モータウンのファミリー入りを果たしグルー
プ名も“シュープリームス”と改めました。
しかし、デビュー当初の彼女たちはなかなかヒットを飛ばすことができません
でした。ミラクルズ、メリー・ウェルズ、マーヴェレッツ、マーサとヴァンデラ
ス・・同僚たちが次々とヒットチャートに登場する中、シュープリームスはリー
ドボーカルをそれまでのフローレンス・バラードから、やせっぽちで甲高い声で
歌うダイアナ・ロスに変更。初めてアメリカのTOP40入りを果たした「When The
Lovelight Starts Shining Through His Eyes(『恋のキラキラ星』63年米23
位)」こそマーサとヴァンデラス風でしたが、続く「Where Did Our Love Go
(『愛はどこへ行ったの』米1位/英3位)」によってキュートでポップなシュー
プリームスのイメージを確立し、驚異的な連続ナンバー1記録を打ち立てること
になります。この「ベイビー・ラヴ」は「愛は〜」に続いて発表した、彼女たち
が60年代に放つ12曲の全米ナンバー1ヒット中2番目にあたる曲。
この時期モータウンの作品はまだ英EMIがアメリカのマイナー・レーベル音源
を国内発売する際に使用した「ステートサイド・レコード」からリリースされて
いましたが(「Baby Love」は同レーベル初の全英ナンバー1ヒットでした)翌年
モータウンは海外販売用のレーベル「タムラ・モータウン」を発足。シュープリ
ームスの「Stop! In The Name Of Love(米1位/英7位)」を第一弾に次々とヒ
ットを飛ばし“モータウン・サウンド”はイギリスのポップスの歴史を変えるほ
どの影響力を持つこととなります。
今回のチャートの2位〜5位にはイギリスのビート系バンドが並んでいます。ま
ず2位にはキンクスの「オール・オブ・ザ・ナイト」が。この前にリリースした
シングル「You Really Got Me(英1位/米7位)」で大ブレイクを果たした彼ら
は、続くこの曲でも彼らのトレードマークとなったユニークなコード進行のギタ
ーサウンドを前面に押し出して再び成功を収めました。このフレーズは数年後、
ドアーズの「Hello, I Love You(68年米1位/英15位)」に引用されたとかされ
なかったとかで話題となることになります。そして3位にローリング・ストーン
ズの「リトル・レッド・ルースター」がランクイン。この年の前半「Not Fade
Away(英2位)」の大ヒットで人気グループの仲間入りを果たした彼らは以降勢
いがとどまるところを知らず、この時期は5曲連続ナンバー1ヒットという大記録
を作っていた時期(「リトル〜」はその2曲目)。人気沸騰中とはいえ、こんな
ストレートなブルースナンバー(オリジナルはシカゴのブルースマン、ハウリ
ン・ウルフ)が1位になってしまうというのは、アイドル的人気という面も含
め、もの凄い状態だったということなんでしょう。
4位はロッキン・ベリーズの「ヒーズ・イン・タウン」。当時のビートグルー
プには2タイプあって、ギンギンにR&Bを演奏するグループと、フォー・シーズン
ズあたりを参考にしたコーラスを売り物にしたグループに分けることができまし
たが、ロッキン・ベリーズは後者のタイプ。この曲はアメリカでボーカル・グル
ープ、トーケンズが放ったヒット(64年米43位)のカバーで、物悲しげなコーラ
スが楽しめます。当時アメリカではエンジェルスの「My Boyfriend's Back(
『あたしのボーイフレンド』63年米1位)」とかダーレン・ラヴの「Wait Til'
My Bobby Gets Home(『ボビーが帰ってくるまでは』63年米26位)」のように
「私にちょっかい出すと、彼氏が帰ってきたときに酷い目に遭うわよ。」なんて
曲がいくつかあって、これはそれを男の立場から歌ったもの。「言わなくていい
よ、奴が帰ってきたんだね。でも僕はいつか君が僕のところに戻ってくれること
を祈ってるから。」という、二股かけられてるのにここまで弱くていいのか?と
いう内容。でも気持ちはなんとなくわかる・・。なおこのグループのボーカル、
ジェフリー・タートンはその後“ジェファーソン”と改名し独立。「The Colour
Of My Love(69年米68位/英22位)」「Baby Take Me In Your Arms(米
23位)」のヒットを飛ばしました。
5位にはポップ系のビートバンド、ウェイン・フォンタナとマインドベンダー
ズが。以前紹介したことがありましたがハンサムなボーカリスト、ウェイン・フ
ォンタナを中心としたマンチェスター出身のグループである彼らは、この翌年
「The Game Of Love」で全米ナンバー1を獲得し、ビートブームの頂点に。レコ
ード会社はすかさずフォンタナをソロとして売り出しましたが彼は大したヒット
を飛ばすことが出来ず。逆に地味な面子が残されたマインドベンダーズの方が音
楽シーンを生き残り、メンバーのエリック・スチュアートを中心に10ccへと発展
していきます。この「恋のウムウム」は世界的なブレイクを前に放ったダンスナ
ンバーで、オリジナルはシカゴのR&Bシンガー、メイジャー・ランス(64年米5位
/英40位)。
続く6位〜8位にはアメリカ勢が。6位はジーン・ピットニーの「アイム・ゴ
ナ・ビー・ストロング(64年米9位)」。ティ−ンポップ系のシンガーソングラ
イターとして60年代頭からヒットを飛ばしてきた彼はこの時期あたりから壮大な
バラードを主力としていくようになり、ビート時代に突入した英米のチャートを
力強く生き抜いていきます。7位のジム・リーヴスはカントリーシンガー。これ
も以前書いたかも知れませんが、彼はこの年の7月に飛行機事故で命を落とし
(享年39)それがどういう訳かイギリスでの人気を過熱させ、秋には8枚のアル
バムが同時にUKアルバムチャートに登場するという異常事態に。この曲をはじめ
この年RCAがリリースした彼のシングルは、全てがUKチャートのTOP10にランクイ
ンしました。
8位はお馴染みロイ・オービソンの「おお、プリティ・ウーマン(米1位)」。
これは説明は要らないでしょう。ビートルズをはじめとするイギリス勢に席巻さ
れまくりだった全米チャートでもこの曲は彼らをなぎ倒してナンバー1を獲得。
「アメリカのR&Rここにあり」と存在感を示しましたが、彼の本国における全盛
期はそろそろ終わりを迎えることになります。
最後2曲はイギリスが誇る女性シンガー2名。9位のペトゥラ・クラークはこの
時既に10年のチャートキャリアを持つベテランでしたが、この曲「恋のダウンタ
ウン」で初めてアメリカのヒットチャートに登場。ナンバー1まで獲得して既に
イギリス、ヨーロッパそしてカナダを制圧していた彼女に、新しいマーケット
“アメリカ”が開けました。60年代後半にかけて彼女は世界の“ミス・ショービ
ズ”として君臨することになります。最後10位はダスティ・スプリングフィール
ドの「ルージング・ユー(米91位)」。兄弟フォークグループ“スプリングフィ
ールズ”から独立した彼女はポップな音楽性と確かな歌唱力で次々とヒットを記
録。この曲は元スプリングフィールズの実兄、トム・スプリングフィールドの作
品で、8分の6拍子でスイングする感じのバラードでした。
(2003.11.25)
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