TOP10 HITS OF LAST CENTURY
Presented by meantime

■ NME Singles Chart February 26, 1966

01 These Boots Are Made For Walkin' - Nancy Sinatra (Reprise)
02 19th Nervous Breakdown - The Rolling Stones (Decca)
03 A Groovy Kind Of Love - The Mindbenders (Fontana)
04 My Love - Petula Clark (Pye)
05 You Were On My Mind - Crispian St. Peters (Decca)
06 Inside Looking Out - The Animals (Decca)
07 Sha La La La Lee - The Small Faces (Decca)
08 Barbara Ann - The Beach Boys (Capitol)
09 Love's Just A Broken Heart - Cilla Black (Parlophone)
10 Spanish Flea - Herb Alpert & The Tijuana Brass (Pye International)

 昭和41年2月最終週、UKシングルチャートの1位はナンシーシナトラの「にくい 貴方」でした。

 ナンシー・シナトラはいわずと知れたフランク・シナトラの娘。父が設立した リプリーズ・レコードの所属アーティストとして1962年にデビュー、何週か前に 紹介したとおり日本では人気を博しましたが、英米では鳴かず飛ばず。エルヴィ スの映画にヒロインとして出演するなど、もっぱら二世タレントとして活動して いました。

 そんな彼女を1965年に手がけることになったのがプロデューサーのリー・ヘイ ズルウッド。彼は同じリプリーズでディーン・マーティンの息子が結成したグル ープ、ディノ・デシ&ビリーを成功させ「マーティンの息子をヒットさせたんだ から、シナトラの娘も何とかしろ。」とレコード会社から指示を受け(本当にそ ういうやり取りがあったと、昨年再発されたヘイズルウッドのCDのブックレット にありました)彼女の作品を制作。それまで“シナトラの娘さん”というアイド ルイメージだった彼女を、20代半ばを過ぎ、トミー・サンズとの離婚経験もある “大人の女性”として売り出すことにしました。

 ハスキーな地声を生かした第一弾「So Long Babe」で初のチャート入り(65年 米86位)を果たしたナンシーに、続いて与えた作品がこの「〜 Boots」。恋人に 愛想を尽かし、自らの意思で歩み去っていく女性を歌ったこの曲は、ナンシーの 鼻っ柱の強そうなルックスと“ブーツ”の女王様的なイメージが相乗効果となり 大ヒットを記録。英米でチャートのトップに立ちます。

 その後ナンシーとヘイズルウッドのコンビは60年代後半までヒット曲を連発。 中には二人のデュエット曲なんてのまで吹き込むなど、少々悪乗り気味に活躍の 場を広げていきました。その行き着く先が父フランクとの共演「Something Stupid(「恋のひととき」67年米1位/英1位)」で、二人は米HOT100史上唯一の ナンバー1親子共演ヒットを記録しました。

 続いて2位には近々来日公演のあるローリング・ストーンズ「19回目の神経衰 弱」が。彼らは64年のブレイク以来シングルを出せばその殆どが1位になるとい う状態にあり、この曲こそ2位止まりでしたが2年間に6曲のナンバー1ヒットを量 産する最初のピーク期にありました。話を現在に戻しますが、東京ドーム公演に 加えて、武道館と横浜アリーナではチケット代1枚2万円を超えるライブを行う彼 ら。ポール・マッカートニーとストーンズで、これまで何となくチケット代の上 限に感じられていた1万円の壁を完全に突き破ってしまった感がありますね。今 後相場がいたずらに高騰しそうな予感。ま、本当に行きたい人だけが大枚はたい て会場に足を運べばいいので、多くの人々にとっては関係ない話かも知れません が。

 3位は前回も登場したマインドベンダーズの「恋はごきげん」。ウェイン・フ ォンタナとそのバックバンドとしてデビューした彼らは、フォンタナの独立に伴 い独自にシングルを発表。当初はスター性のあるフォンタナが成功を収めるかに 思われましたが、意外にも彼はTOP10入りを果たすことなく低迷。逆に地味な 面々のマインドベンダーズが「〜ごきげん」を英米で大ヒットさせ、溜飲を下げ ました。バンドはその後これに匹敵するヒットを生むことができずに1968年に解 散しますが、解散時のメンバーだったエリック・スチュアートとグラハム・ゴー ルドマンが10CCを結成し成功したことから、ブリティッシュロックの源流的存在 として今日まで語られ続けることとなります。

 さて、1966年になると63〜64年に登場したビート・バンドの多くは息切れ状態 となり、第2波的に登場したグループたちに道を譲るか、バンドのスタイルを変 えながら生き長らえるかの二者択一に迫られることになります。この週6位に登 場しているアニマルズは後者のスタイル。前年紹介した通りかつてリーダーだっ たアラン・プライスが脱退し、ボーカルのエリック・バードンを中心としたバン ドに生まれ変わった彼らはレコード会社を移籍。この「孤独の叫び」を発表した デッカ・レコードに約一年だけ在籍した後、拠点をアメリカに移します。イギリ スのR&B界選りすぐりのミュージシャンを掻き集めたバードンは“エリック・バ ードンと”アニマルズを再始動。フラワー・ムーブメントの潮流に飛び込んでい きました。7位は逆にイギリスらしさにこだわったバンド、スモール・フェイセ ス。“オリジナル・モッズ・バンド”と呼ばれる彼らはR&Bビートと、スティー ブ・マリオットの強烈なボーカルとイギリス訛りで大変な人気を博しましたが、 アメリカでは奇妙な一発屋程度の評価しか当時はされませんでした。

 順位を戻して4位にはこの時代のイギリスを代表する女性シンガー、ペトゥ ラ・クラークが。1964年に「Downtown」が英米で大ヒットし、ヒットチャートフ ァンにその名を知られるようになりましたが、その時点で彼女は既に10年以上の キャリアを持ち、本国以上にフランスで高い人気を誇るというインターナショナ ルな活躍ぶり。この当時日本ではフランスのレコード会社“Vogue”経由で一連 のヒット曲が発売されていました。またフランスには逆に“英語で歌うフランス 人”サッチャ・ディステルというシンガーがおり(1970年にイギリスで「雨にぬ れても」をヒットさせたことでも知られています)クラークと彼はコンビを組ん で長年英仏でTVショーなどのホストを務めたそうです。

 5位にはウェイン・フォンタナ同様ビート・ブームからソロとして抜け出した シンガー、クリピアン・セント・ピータースが登場。「恋がいっぱい」はアメリ カのフォークロック・グループ、ウィ・ファイヴのヒット曲(65年米3位)のカ バー。この曲をはじめピータースはドラマチックに歌い上げるタイプのナンバー を得意とし、66年から67年にいくつかのヒットを残しましたが、一方で大変な “ビッグマウス”でもあったそうで「ビートルズはもう流行遅れ、エルヴィスは 博物館行きだ。俺はデイヴ・ベリー(当時人気のあったソロシンガー)よりセク シーだし、トム・ジョーンズよりエキサイティングだぜ。」と公言してはばから なかったとか。それが本当かどうかは歴史が証明しておりますが。ま、デイヴ・ ベリーくらいには勝てたかな・・?

 8位はブリティッシュ勢に対抗し、次々と高品質のヒット曲を放っていたビー チ・ボーイズの「バーバラ・アン」。この時期の彼ら、というかブライアン・ウ ィルソンはスタジオに篭りきりでかの「Pet Sounds」を制作しており、レコード リリース間隔が空くことを恐れたレコード会社の提案により急遽発売が決定され たのがホームパーティー形式のスタジオライブ盤「Party!」。収録曲の殆どがカ バーで占められており、中にはライバルのはずのビートルズの作品まで素直にカ バーしていたりして、その屈託のなさがまた彼らの魅力だったりするのですが、 そこからカットされたのが1950年代の白人ドゥワップ・グループ、リージェンツ の大ヒット(61年米13位)のカバー。ここで彼らがまた大雑把さを発揮している のが、リードボーカルを友人であるジャン&ディーンのディーン・トレンスに任 せてしまっているところ。やっとの思いで吹き込ませたシングル曲が、他のレコ ード会社所属アーティストによってリードがとられていることを知ったキャピト ル・レコードはさぞかし頭を抱えたことと思われますが、そういった諸問題に関 係なくこの曲は英米で無事大ヒット。この後迷走をはじめるグループの、一つの 時代の終わりを告げるシングルとなりました。

 9位はリバプール出身の女性シンガー、シラ・ブラック。“ビートルズの妹 分”ということで芸名もジョン・レノンによってプリシラ“ホワイト”から“ブ ラック”に改名させられた(彼らしい・・)なんて経緯もありましたが、デビュ ー曲の「Love Of The Loved(レノン=マッカートニー作63年英35位)」こそビ ートナンバーだったものの、彼女の本領はバラードにあり、バカラック・ナンバ ーでも、イタリア産の曲でも器用に歌いこなして10年以上に亘りヒットチャート に登場。ビートルズの次に大きな成功を収めたリバプール出身のアーティストと なりました。最後10位はハーブ・アルパートとティファナ・ブラス。62年の 「The Lonely Bull(62年米6位)」で登場した彼らでしたが、その人気が爆発す るのは65年に入ってから。以降約3年に亘って出すアルバムを次々アメリカのチ ャートのトップ近辺に送り込み、一時代を築きました。イギリスにおける彼の人 気は本国ほどではありませんでしたが、この曲がTOP10入りを果たす程度の波及 効果はありました。


(2003.2.25)

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