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■ Record Mirror Singles Chart December 10, 1966
01 Green Green Grass Of Home - Tom Jones (Decca) 昭和41年12月第2週、UKチャートのナンバー1はトム・ジョーンズの「思い出の グリーン・グラス(米11位)」でした。 1940年サウス・ウェールズ生まれのトム・ジョーンズが「It's Not Unusual (『よくあることサ』米10位/英1位)」で英米のヒットチャートに登場したの は、この前年1965年のこと。いかにも労働者階級出身といった感じの厳つい身体 で豪快に歌うジャンプ・ナンバーは勿論、バラードも甘く歌いこなす彼はたちま ち音楽界のスターとなりましたが、さらなる人気の確立を目指してこの時期打ち 出されたのが“ポップ・カントリー路線”。ここ何回かこのコーナーで取り上げ ている通りイギリスではポップなカントリーが常に人気で、ある年などはアメリ カのジム・リーヴスが没後であるにも関わらず、どのアーティストよりも多くの ヒットを飛ばす、なんてこともありました。 ショ−・ビジネス界でステップ・アップを目指していたジョーンズが取り上げ たこの「〜グリーン・グラス」は、前年にカントリー・シンガーのポーター・ワ ゴナーが放ったヒットで(米カントリーチャート4位)、獄中で故郷の風景に思 いを馳せる・・という内容は、日本では1962年に公開されたイギリス映画「コン クリート・ジャングル」のシーンをヒントに作られたのだそうです。この曲を皮 切りに彼は「Detroit City(67年英8位/米27位、オリジナルはボビー・ベ ア)」「Funny Familiar Forgotten Feeling(『忘れじの感傷』67年英7位/米 49位、オリジナルはドン・ギブソン)」と立て続けにカントリー・ソングをヒッ トさせ、お茶の間レベルの人気を獲得。この成功が69年からのTV番組「トム・ジ ョーンズ・ショー」につながったのは間違いないでしょう。日本でも「〜グリー ングラス」は人気を呼び、現在なお我が国でもっとも人気のあるカントリー・ソ ングの一つになっています。 ポップ・カントリー路線で人気を博したアーティストがもう一人。3位のヴァ ル・ドゥーニカンはバラード・シンガーとして、そしてTVショーのホストとして も人気だったアーティスト。この「What Would I Be」は彼の得意とする路線と はちょっと違って、ペトゥラ・クラークの「Don't Sleep In The Subway(67年 米5位/英12位)」あたりを思わせる如何にもこの時期っぽいユニークなコード 進行のポップス。聴く人によっては“ソフト・ポップスの佳作”と評価するかも 知れません。この曲を作ったトレント・ダーレンというソングライターの記録を 色々と調べてみたのですが、他の作品を見つけることが出来ませんでした。野心 的な新進作家の一人だった、と思うのですが。。
レコード会社を移籍し、才能あるボーカリスト/ソングライターのマイク・ダ ボを迎えた彼らはこの年の夏にボブ・ディラン作の「Just Like A Woman(英10 位/米101位)」で見事復活。続くこの「ミスター・ジェイムスの花嫁さん」も TOP10ヒットを記録しました。余談になりますが日本でも当時この曲はそこそこ ラジオで好評を博したようで、続くシングル「Ha Ha Said The Clown(67年英4 位)」には「ピエロの花嫁さん」と“花嫁さんシリーズ”の日本題が付けられる ことに。これで終わったからよかったのですが、もしこれが続けば「Mighty Quinn(68年英1位/米10位)」は「エスキモーの花嫁さん」に、「My Name Is Jack(英8位/米104位)」は「ジャックの花嫁さん」に、「Fox On The Run(英 5位/米97位)」は「キツネの嫁入り」に(??)なるところでした。。 9位「わが心の金曜日(67年米16位)」のイージービーツは、オーストラリア 出身のバンド。イギリスに渡って録音したこの曲はサイケデリックな時代の空気 を現在に伝える傑作ロック・ナンバー。急激な成功にバンドは続くヒットを残す ことなく2年ほどで空中分解し、メンバーたちはオーストラリアに帰ってそれぞ れ音楽活動を続けたそうです。その中の一人、ジョージ・ヤングはプロデューサ ーとなり、その後彼の2人の弟が結成し、ヤング自らプロデュースしたグループ が、オーストラリア最大のロックバンドAC/DCなのだとか。 残る曲をサクサクと紹介しましょう。6位はすっかりお馴染みシーカーズ。過 去2年間驚異的な成功を収め、この翌年にも現在TVCMで聴くことができる人気曲 「ジョージー・ガール(英3位/米2位)」が世界中でヒットを記録しましたが、 メンバーたちは相当精神的に参っていたようで、67年夏には女性ボーカルのジュ ディス・ダーハムがソロ作「Olive Tree(『オリーブの樹』英33位)」を発表、 60年代末迄にグループは解散しました。メンバーの一人キース・ポトガーが70年 代に入って“ニュー・シーカーズ”を結成、再び大きな成功を収めることになる という話は、いつかこのコーナーで詳しく取り上げられれば。
(2003.12.9)Flashback Homecopyright (c) 2000-2003 by meantime, all rights reserved. |