1位 San Francisco (Be Sure To Wear Flowers In Your Hair) - Scott McKenzie('67米4位/英1位)
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1967年を象徴する音楽イベントが、カリフォルニアで開催された「モンタレー・ポップ・フェスティヴァル」で、このイベントの宣伝のためテーマ・ソングを作ることを考えたのが主催者であるダンヒル・レコードのルー・アドラーとママス&パパスのジョン・フィリップス。「サンフランシスコを訪れる際は、髪に花を飾ることをお忘れなく」というこの「花のサンフランシスコ」は楽観的なヒッピー観を上手く作品に反映させたフォークロックで、見事大ヒット。この曲を歌ったスコット・マッケンジーはフィリップスのアマチュア時代からの友人で、かつては「ジャーニーメン」というグループで活動を共にしたこともある。両者の絆は固く、マッケンジーが再編成ママパパのメンバーになるなどその関係は2001年のフィリップスの死まで続いた。
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2位 Summer Wine - Nancy Sinatra & Lee Hazlewood('67米49位)
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“第二期”ナンシー・シナトラの成功の立役者であるプロデューサー、リー・ヘイズルウッドはこの時期歌手としても作品を発表しており、その中の一枚が当時ガールフレンドだったスージー・ジェーン・ホーカムとデュエットした「サマー・ワイン」だった。66年にリリースされたこの曲はまったく注目されなかったが、翌年ナンシーを相手にセルフ・リメイク。「シュガー・タウンは恋の町」のB面に収録されたこのバージョンは予想外のヒットを記録し、以降断続的にリリースされた二人のデュエット作は全部で4曲がHOT100にランクインを果たした。割を喰う形になったホーカムはその後カントリー・ロックの世界に転向、グラム・パーソンズが在籍した「インターナショナル・サブマリン・バンド」のプロデューサーは彼女である。
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3位 Georgy Girl - The Seekers('66米2位/英3位)
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1960年代前半に登場し、ビートルズら同世代のアーティストに先んじてアメリカで成功を収めたイギリスのポップ・フォークグループ「スプリングフィールズ」のメンバーだったトム・スプリングフィールドは、同じくメンバーで実妹でもあるダスティの独立にあたりグループを解散した後“第二のスプリングフィールズ”の売り出しを思い立ち、白羽の矢が立てられたのがオーストラリア出身のシーカーズだった。親しみやすいフォーク調のシングルを次々と発表した彼らはビート・ブーム期のイギリスで幅広い人気を獲得し、シングル・チャートにおいて一時はビートルズをも凌ぐほどの成績を残している。「ジョージー・ガール」はスプリングフィールド作品の中でも特にポップなナンバーで、我が国でも突出した人気を誇った。
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4位 A Whiter Shade Of Pale - Procol Harum('67米5位/英1位)
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ロンドン近郊で活躍していたR&Bバンド「パラマウンツ」を率いていたゲイリー・ブルッカーは、バンド解散後の66年に詩人のキース・リードと知り合い意気投合。バッハのカンカータ第114番「目覚めよと呼ぶ声あり」を下敷きとしたメロディにシュールな歌詞をのせた「青い影」を完成させ、その録音のためメンバーを募り第一期「プロコル・ハルム」が誕生した。マシュー・フィッシャーのオルガン・サウンドが印象的な「青い影」は“クラシカル・ロック”として受け入れられ世界中で大ヒット、日本ではディスコのチーク・タイムに欠かせないナンバーとなったそうだ。急造だったバンドはその後元パラマウンツのロビン・トロワーとB.J.ウィルソンを加えて強力な布陣を揃え、70年代まで名作を連発していくこととなる。
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5位 Sugar Town - Nancy Sinatra('66米5位/英8位)
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「にくい貴方」の成功後暫く、ナンシーは契約でリー・ヘイズルウッドの作品のみをシングルとしてリリースせねばならず、どれも似たような曲調の“蓮っ葉ガール・ポップ”が続いたため一時期不満が募っていたのだという。そんな中生まれたのがこの「シュガー・タウンは恋の町」で、ヘイズルウッド作品には珍しく「イチゴの片思い」時代を彷佛させる可愛らしい曲調になっていた。前述の通り英米では「サマー・ワイン」とのカップリングで発売されており(日本では別々のシングルとしてリリース)、海外ではこちらの方が好評を博している。なおこの曲が収録されたアルバム「Sugar」のジャケットで彼女が披露したピンクのビキニ姿は当時としてはかなり刺激的で、アメリカでは販売を拒否したレコード店もあったのだとか。
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6位 Penny Lane - The Beatles('67米1位/英2位)
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この年リリースされたアルバム「サージェント・ペパーズ〜」からは一枚もシングルは切られなかったが、ビートルズはそれとは別に3枚のシングルをリリース、そのいずれもが大変な質を誇ったためファンはヒット曲に渇望する暇などはなかった。「サージェント〜」のセッションの中で録音されたポール・マッカートニー作のこの曲は、ジョン・レノン作の「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー(難解だったせいかこちらは洋楽年間チャート42位にとどまった)」とカップリングで発売され、多くの音楽ファンに「ビートルズ最高のシングル」と見なされている名曲。AB面どちらもリバプールに実在する場所が歌われたものだが、「雨」との誤解を避けるためこちらの邦題は「ペニー・レーン」とすべきだったと思う。
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7位 Somethin' Stupid - Nancy Sinatra & Frank Sinatra('67米1位/英1位)
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1966年に「夜のストレンジャー」が大ヒットして以降68年頃にかけて、フランク・シナトラは作品に流行りのポップ・サウンドを取り入れヒットを量産、キャリア何度目かのピークを迎えた。ちょうど娘のナンシーも(説明するまでもないが)人気者となっていた時期で、そこで企画されたのがこの父娘デュエット。“ロック史の伝説”ヴァン・ダイクの実兄であるC.カーソン・パークスが書いたこの曲は彼が妻のゲイルと前年に吹込んだものがオリジナルで、その音源がシナトラ陣営に渡り録音が決定された。スター親子の共演という話題性もありこのシングルは忽ちナンバー1を記録、パークスは当時まだ無名だった弟に先んじて巨額の富を得たという。HOT100では後にも先にもこれが唯一の“親子デュエット・ナンバー1”である。
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8位 Balla Balla - Rainbows
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世界的な知名度を誇るバンドこそ出現しなかったものの、60年代のドイツは各地に熱いロック・シーンが存在し(なにしろ無名時代のビートルズが出稼ぎに行ったほどなのだ)多くのビート・バンドが当時レコードを残している。ベルリン出身のレインボウズもそんなバンドの一つで「バラ・バラ」は65年の暮れに現地で最高3位を記録。典型的なR&Rのコード進行にのって、ひたすら“♪My Baby Baby Balla Balla...”と繰り返される歌詞が「読解力」を要求しなかったためか、この年になって日本でも人気を呼び、スパイダースによるカバー盤まで制作された。本国でも他のヒット記録が見つからない彼らだが「バラ・バラ」人気は根強く、近年もサッカーの応援ソングにこの曲が使用され、CDシングルが発売されているようだ。
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9位 Mini-Mini Rock - The Goosies
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こちらもドイツ産のノヴェルティ・ヒット。ポップス史をひも解いてみると動物名義のヒットは意外と多く、中でも恐らく一番有名なのがシマリスのグループ「チップマンクス」。これはテープの早回し&多重録音で奇妙な声を作り上げるという1950年代ならではのアイディアだったが、1967年にそのアイディアを甦らせ“ガチョウ”名義で「ミニスカート賛歌」を世界的なヒットにしたのが「ミニ・ミニ・ロック」だった。まったく関係ないが数年前「ミニ・ミニ大作戦」という映画があり(主演は“マーキー・マーク”ことマーク・ウォルバーグ)ネーミングは非常に秀逸だったが、劇中ミニスカートの女の子は殆ど登場せず(ミニ・クーパーで強盗を働く映画だったのだ!)ちょっとガッカリしたことを思い出した。
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10位 Somebody To Love - Jefferson Airplane('67米5位)
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サンフランシスコで盛り上がった「フラワー・ムーブメント」、そして「アシッド・ロック」の中心的存在である大型ロックバンドがジェファーソン・エアプレイン。2作目のアルバム「シュールレアリスティック・ピロー」から加入した女性ボーカリスト、グレース・スリックの存在により一躍注目され時代を牽引する存在にまで上り詰め、また音楽業界に無数の“紅一点バンド”を生み出す要因ともなった。「あなただけを」はもう一つの代表曲「ホワイト・ラビット」同様スリックが以前在籍していた「グレイト・ソサエティ」時代のレパートリーで、強烈なロック・サウンドはヒットパレードに新時代が到来したことを当時のリスナーに印象づけると同時に、これを機会にヒットチャートに見切りをつける音楽ファンさえ多数生んだという・・。
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