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1967年はカリフォルニアを中心とした西海岸で様々な音楽ムーブメントが生ま
れ、ヒットチャートに影響を及ぼした年でありました。まずはそれら“西海岸
系”を紹介してみましょう。この年の重要な音楽イベントといえばモンタレー・
ポップ・フェスティバル。このイベントのテーマ曲的な売り出し方をされた4位
の「花咲くサンフランシスコ」は、この時代の象徴的なヒット曲といえるでしょ
う。曲を提供したジョン・フィリップスはママス&パパスのリーダー、発売した
オード・レコード(後のキャロル・キングの大成功が印象的)はママパパが所属
するダンヒル・レコードの社長ルー・アドラー(モンタレー〜のプロデューサー
でもあります)が立ち上げた、という鉄壁の西海岸人脈が裏についていたので、
この成功は“予定どおり”だったのでしょう。
結局マッケンジーは、ソロアーティストとしてはほとんど一発屋としてシーン
から姿を消しますが、その後もママパパ人脈と交流を保ち続けており、1988年ビ
ーチ・ボーイズのナンバー1ヒット「Kokomo」にはフィリップスとともにソング
ライターとしてクレジットされ、再編されたママパパにも参加(このときの顔触
れは、スパンキー&アワ・ギャングのスパンキー・マクファーレンまで参加する
スーパーグループでした)と、現在に至るまで活動を続けています。
で、前出のルー・アドラーが西海岸の音楽シーンで影響力を持ち始めたのは、
恐らくジョニー・リヴァースのマネージャーを務めるようになってから。アーテ
ィストとして非常に息の長い活躍を続けたリヴァースはプロデューサーとしても
優れた感覚を持っており、新鋭のソングライター、ジミー・ウェッブをいち早く
登用したり、自ら興したレーベル、ソウル・シティから“黒人版ママス&パパ
ス”としてフィフス・ディメンション(先日彼らのソウル・シティ時代のアルバ
ムが輸入盤で一気に再発されました。どれも聴き応えあるので一聴をお薦め)を
デビューさせたりしています。6位に入った「ビートでジャンプ」は、リヴァー
スが見い出した二者、ウェッブとフィフス・ディメンションが最初に成功させた
コラボレーション。ウェッブはこの曲でグラミー賞を獲得し、短いながらも永遠
にその輝きを失うことのない彼の黄金時代が始まります。
ジョニー・リヴァースといえば、彼とアドラーが全米にその名を売り出すこと
に成功したのがLAのクラブ「カフェ・オ・ゴー・ゴー」でのライブ盤。このク
ラブのハコバンドとして彼の後に出演したグループには、ドアーズやバッファロ
ー・スプリングフィールドなどメジャー予備軍が犇めいていました。その中から
いち早くメジャーデビューにこぎつけ、ロック・レヴォリューションの代表的存
在となったドアーズの「ハートに火をつけて(6位)」は、この時代のサウンド
のキーワードであるハモンドオルガンの延々と続くソロが印象的ですが、ヒット
したシングルバージョンは大胆にも2分台に短縮。このシングルバージョンっ
て、現在CDで聴くことはできるんでしょうか?
西海岸以外の動きにも目を向けてみましょう、まずはガレージ系二組。2位に
入っているのはオハイオ出身のガレージバンド、ミュージック・エクスプロージ
ョンの「狂ったハート」。結果的に一発屋で終わってしまったこのグループ最大
の功績は、この曲をプロデュースし、後にブッダ・レコードでバブルガム・ミュ
ージック旋風を巻き起こすジェリー・カサネッツとジェフリー・カッツの“スー
パーKプロダクション”が注目されるきっかけを作ったことに尽きるでしょう。
スーパーKの二人は、この数ヶ月後オハイオ・エクスプレス名義の「Beg, Borrow
And Steal(67年米29位)」以降快進撃をスタートします。一方「狂ったハート」の面々は、ス
ーパーKの意向を汲んだバブルガム調の作品を発表し続けるものの成功は収めら
れず。いつしか他のアーティストの制作スタッフへと・・こういう話、よく聞く
ような気がします。6位の「小舟のデート」はニューヨーク出身のさらに泡沫バ
ンド、エヴリー・マザーズ・サン(企画ものっぽい名前!)最大のヒット曲。余
談ですがこの年の後半には“エヴリー・ファーザーズ・ティーンエイジ・サン”
なるアーティストの「A Letter To Dad」という曲が小ヒット(93位)していま
す。
3位は9位と一緒に紹介します。ニュージャージー出身のボーカルグループ、
フォー・シーズンズのリードボーカリストであるフランキー・ヴァリのソロヒッ
ト「君の瞳に恋してる」は、ボーイズ・タウン・ギャングのディスコ版、ローリン
・ヒルのヒップホップ版など絶えずカバー
され、映画でも「ディア・ハンター」や数年前の「陰謀のセオリー」などで取り
上げられている名曲。昨年末に発表されたアメリカの著作権管理団体BMIのオ
ールタイムランキングによると、この曲は同団体(1940年発足)史上5番目に著
作権料を稼いだ曲なんだそうです。9位は彼の母体フォー・シーズンズ(この時
代グループとソロ活動を並行させるアーティストは非常に珍しかったのです)の
「カモン・マリアンヌ」。時代に呼応してややハードな作風となっているこの
曲、グループにとっては60年代最後のTOP10ヒットとなりました。
5位はイギリスのシンガー、ペトラ・クラーク。1965年の名作ティーンポップ
「Downtown」をナンバー1ヒットさせた時既に30歳を越えていた彼女は、その後
アメリカでシンガーとして、女優として目覚ましい活躍を続けます。「Don't
Sleep〜」はこの時代のポップスの名作にも挙げられる一曲で、イギリスという
よりも当時彼女が所属していたアメリカのレーベル、ワーナー色の強い幻想的な
サウンド。
最後10位は、これも新しいロックの可能性を提示した一曲と言っていいでしょ
う、プロコル・ハルムの「青い影」。当時日本のディスコではチークタイムで必
ずかかったという(なんか踊りにくそう・・)この曲、この路線を更に露骨にや
ると、翌年ブレイクするヴァニラ・ファッジになるのではないか?というのが私
の勝手な見方。
(2000.7.11)Flashback Homecopyright (c) 2000-2003 by meantime, all rights reserved. |