TOP10 HITS OF LAST CENTURY
Presented by meantime

■ 洋楽ラジオ・チャート1968年間(その1)

01.サウンド・オブ・サイレンス/サイモンとガーファンクル
02.マサチューセッツ/ビー・ジーズ
03.ヘイ・ジュード/ビートルズ
04.レディ・マドンナ/ビートルズ
05.雨に消えた初恋/カウシルズ
06.ハロー・グッドバイ/ビートルズ
07.ホリデイ/ビー・ジーズ
08.ドック・オヴ・ベイ/オーティス・レディング
09.ジョアンナ/スコット・ウォーカー
10.すてきなバレリ/モンキーズ

1位 The Sound Of Silence - Simon & Garfunkel('65米1位)
 「静寂の音」と題されたこの詩的な歌が最初にリリースされたのは1964年、サイモンとガーファンクル(以下S&G)のファースト・アルバムだった。セールスが思わしくなく解散状態に陥った2人はその後海外に渡るなどして思い思いの活動を行っていたが、ある地域のラジオでこの曲が人気となっていることを知ったコロンビア・レコードはS&Gに断りなくボブ・ディランのレコーディングに参加していたミュージシャンを使ってこれをフォーク・ロック化。それが思わぬヒットとなったことから2人は急遽帰国し再びタッグを組むこととなった。結局全米ナンバー1にまで上り詰めた新録盤だが当時日本での反応は今ひとつ('66年間77位)、この年に映画「卒業」のサントラに使用されたことで爆発的な人気を獲得することとなった。
2位 (The Lights Went Out In) Massachusetts - The Bee Gees('67米11位/英1位)
 1968年の我が国音楽界は「GSブーム」の絶頂期で、中でもタイガースがトップ・グループとしてブームを牽引していたが、彼らと同じレコード会社(ポリドール)に所属していたことから、ステージ・レパートリーとして度々取り上げられていたのがビー・ジーズの作品。これが功を奏したのか3枚目のシングル「マサチューセッツ」は創刊間もないヒットチャート誌「オリコン」で邦楽各曲を抑えて見事ナンバー1を獲得、続いてタイガースもビー・ジーズ風サウンドの「花の首飾り」を大ヒットさせるなど、ポップスの一つの流れを作った。両者の(形ばかりの)交流はその後も続き、翌69年にはバリー・ギブが「Smile For Me」を提供、タイガースの主演映画にグループがカメオ出演するなど、親密ぶりがアピールされた。
3位 Hey Jude - The Beatles('68米1位/英1位)
 「サージェント・ペパーズ〜」の発表、「愛こそはすべて」の世界中継、その後のインド渡航・・と物凄い勢いで話題を提供し続けた1967年のビートルズが続いて打ち出したのが「自己レーベルの立ち上げ」。新会社「アップル」からリリースされた第一弾シングル(日本ではまだ「オデオン」レーベルからの発売)は、自由なレーベル・カラーをアピールするためか演奏時間が7分を超える超長尺盤になった。ポール・マッカートニーがジュリアン・レノンのために、彼の両親(ジョンとシンシア)の離婚に気を落とさないよう作ったというこの曲は、正直後半の繰り返し部分をこれほど引っ張らずにさっさとフェイド・アウトしてもいいと思うのだが、これをシングルで出すこと、ラジオでかけることが当時では“ヒップ”だったのだろう。
4位 Lady Madonna - The Beatles('68米4位/英1位)
 68年に入ってからのビートルズはそれまでのサイケデリック路線から、ルーツを見つめ直したシンプルなR&Rを追及する路線へと移行していったが、それを象徴するのが「レディ・マドンナ」。ニューオリンズ・スタイルのピアノ(直接参考にしたのはそれを下敷きにしたイギリスの「トラッド・ジャズ」のとある曲だそうだ)をメインに据えたポール・マッカートニー作のブギウギ調R&Rで、母子家庭(?)の家主として、てんてこ舞いな生活を送る女性の一週間を曜日毎に描写した詞の内容が面白い。50年代〜60年代前半にニューオリンズ・ピアノで一世を風靡したベテランR&Bアーティスト、ファッツ・ドミノはこの曲をいち早くカバー。彼のバージョンは全米チャートの100位に登場し、暫しの復活を果たした。
5位 The Rain, The Park, And Other Things - The Cowsills('67米2位)
 ローズ・アイランド州ニューポート出身の兄弟グループ、カウシルズはメジャー・デビューの際により親しみやすいイメージを打ち出すためグループに母親のバーバラを加入させるという大胆な作戦に出、結果生まれた家族のハーモニーが好感度高く受け止められて幻想的な「雨に消えた初恋」が大ヒット。その後末娘のスーザン他家族を次々とグループに加えながらヒットを連発し、後に成功を収める「パートリッジ・ファミリー」のプロト・タイプ的なアイドルとなった。当時日本で彼らは「牛も知ってるカウシルズ」のキャッチ・フレーズで有名になったが、本国にも同じような発想の人がいたようで彼らは「牛乳を飲もう」キャンペーンのCMキャラクターに起用され、キャンペーン・ソング音源も残されている。
6位 Hello, Goodbye - The Beatles('67米1位/英1位)
 ビートルズの「サイケデリック期」最後の大ヒット。彼らが67年後半に制作し、多くのメディアから酷評を受けたTV映画「マジカル・ミステリー・ツアー」でも使用されていたこの曲は、複雑なサウンドの中繰り返されるメロディに、はっきりいって気紛れで余り意味のない歌詞(マッカートニー作)がのせられた、もしかしたら「最も意味のない歌詞の全米/全英ナンバー1ヒット」の一つなのかもしれない。このシングルのB面にはやはり「マジカル〜」で披露されていた「I Am The Walrus('67米56位)」が収録されており、こちらはレノンの“妄想サイケ”最高峰。現在もファンの多い曲だが流石に彼らもやり過ぎ感を覚えたのかこの路線はこれで一区切り、彼らの“中期”は1967年をもって終焉を迎えた。
7位 Holiday - The Bee Gees('67米16位)
 英米におけるレコードの発売元が違ったせいか(イギリスはポリドール、アメリカはアトランティック)60年代後半のビー・ジーズは国毎に違ったヒット・リストを築いていったが、日本ではそのどちらもがシングル発売され、結果他の何処の国より彼らのヒットが多く生まれることとなった。「ホリデイ」は「マサチューセッツ」同様ロビン・ギブがメインを務める名曲で、ロビン人気の高かった日本ではこのとおりの大ヒット(シングルがこの2曲のカップリングで発売されたことも相乗効果となった)。近年は“ビー・ジーズ≒バリー・ギブ”の印象の強い彼らだが、ある年齢以上の音楽ファンにとってロビンは相変わらず根強い人気で、2005年に実現した彼の単独来日公演にも、熱心なファンが大勢会場に足を運んだという。
8位 (Sittin' On) The Dock Of The Bay - Otis Redding('68米1位/英3位)
 1962年、とあるR&Bグループの専属運転手としてレコーディング・スタジオに足を踏み入れたオーティス・レディングは、余った時間を使って自作曲「These Arms Of Mine」を録音する機会に恵まれ、幸運にもそれがヒットに。60年代半ばには“ソウル・ミュージック”の旗手としてR&B界で確固たる地位を築いた彼は67年のヨーロッパ・ツアー、そして「モンタレー・ミュージック・フェスティヴァル」への出演で白人聴衆に衝撃を与え、クロスオーバーなブレイクを果たした。続く68年は更なる飛躍が期待された年だったがその直前の12月10日に彼は飛行機事故で急逝。新たなキャリアを指し示すことになったであろうバラード「ドック・オブ・ベイ」はこの世の置き土産として、死後世界中で大ヒットを記録した。
9位 Joanna - Scott Walker('68英7位)
 1967年に解散したウォーカー・ブラザーズだが、日本に於ける彼らの人気のピークはそれ以降に訪れ、その盛り上がりの凄さは翌68年の1月に日本でのみ再結成ツアーが実現するという「奇跡」さえ生んだ。解散後のメンバーたちは「アナベラ」のジョン、「トゥインキー・リー(この年の年間49位)」のヒットやバックバンドのレイン、GSのカーナビーツと共演したゲイリーとそれぞれが活躍したが、何より一番人気はスコット。「ジョアンナ」はベテラン・ソングライターのトニー・ハッチ作の感傷的なバラードで、ウォーカーズ時代を彷彿させるムーディさが好評となりこの年を代表するヒットに。スコットはその後60年代いっぱいピンナップ・アイドルの王座に君臨し、我が国でも多くのティーン向け雑誌の表紙を飾った。
10位 Valleri - The Monkees('68米3位/英12位)
 1966〜67年の全米チャートを席巻した“TVから生まれたアイドル”モンキーズは、説明するまでもなく彼ら主演のTVショーに登場する4人組の架空バンド(その後実際にライブもやるようになる)。我が国でもデビュー曲「Last Train To Clarksville(『恋の終列車』'66米1位/英23位)」が年またぎのヒット('66年間38位/'67年間30位)となったが、その後はTVショーの未放映が響いたか今ひとつの成績に。日本でようやく「モンキーズ・ショー」がスタート(67年10月)し、来日公演も実現したこの年にリリースされた「すてきなバレリ」は本国における最後の大ヒットといっていい曲で、遅ればせながらの大ブレイク。この後徐々に解体へと向かう彼らを、日本のファンは熱心に応援し続けていくこととなる。


(2006.2.14)

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