TOP10 HITS OF LAST CENTURY
Presented by meantime

■ 洋楽ラジオ・チャート1968年間(その2)

11.ウーマン・ウーマン/ユニオン・ギャップ
12.恋はみずいろ/ポール・モーリア楽団
13.キサナドゥーの伝説/デイブ・ディー・グループ
14.サイモン・セッズ/1910フルーツガム・カンパニー
14.ジャッキー/スコット・ウォーカー
14.ワールド/ビー・ジーズ
17.悲しき雨音/カスケーズ
17.サニー/ボビー・ヘブ
19.初恋の並木道/ナンシー・シナトラとディーン・マーティン
20.パタ・パタ/ミリアム・マケバ

11位 Woman, Woman - Gary Puckett & The Union Gap('67米4位/英48位)
 ミリタリー・ルック流行りの1967年、南北戦争時代の軍服に身を包み音楽シーンに登場したのがサンディエゴ出身のポップ・ロックグループ、ユニオン・ギャップ。彼らのセールス・ポイントはゲイリー・パケットのスムーズなボーカルで、そのサウンドは“10代向けのエンゲルベルト・フンパーディンク”といった印象だった。デビュー・ヒット「ウーマン・ウーマン」の元曲はカントリー・グループ「グレイサー・ブラザーズ」の「Girl, Girl」という作品で、これをベテラン・プロデューサー、ジェリー・フラーが見事なMORヒットに仕上げている。68〜69年にかけて驚異的なペースでフラー作品をヒットさせた彼らだったが70年には人気は下火に。パケットはソロに転向したがこれといったヒットを生み出すことはなかった。
12位 Love Is Blue - Paul Mauriat & His Orchestra('68米1位/英12位)
 1967年に開催された「ユーロヴィジョン・コンテスト」に出品された「L'amour Est Bleu」はフランスの高名なソングライター、アンドレ・ポップの作品で、ヴィッキー・ランドロス(ヴィッキー)によって歌われコンテストの4位に入賞した。この曲をインスト・バージョンとしてアルバムで取り上げたのがイージー・リスニング界のポール・モーリアで、シングルがアメリカで人気を呼んだことから評判は世界的なものとなり、我が国でも大ヒットを記録。完全にお株を奪われた形のヴィッキーだったが日本ではこの年「カーザ・ビアンカ(白い家)」がヒットし(年間65位)、日本語による録音など精力的な活動により人気アーティストとなった。一方モーリアのその後の活躍については、改めて説明するまでもないだろう。
13位 The Legend Of Xanadu - Dave Dee, Dozy, Beaky, Mick & Tich('68米123位/英1位)
 60年代半ばのブリティッシュ・ビートブーム期に結成されたデイヴ・ディー、ドジー、ビーキー、ミック&ティッチ(日本では短縮して“デイブ・ディー・グループ”と呼ばれた)はプロデューサー/ソングライターのケン・ハワード&アラン・ブレイクリー制作の下ポップなシングルヒットを連発し、この時期のイギリスを代表する人気グループとなった。「キサナドゥーの伝説」は彼ら後期の代表曲で、見事全英ナンバー1を記録。日本ではグループサウンズのジャガーズがカバーし、鞭を打つ印象的な効果音がリスナーの耳を惹いて大ヒットに。カーナビーツの「オーケイ!」などGSバンドに取り上げられたことで主に記憶されるグループだが、残された作品はどれも質が高く“元祖ブリット・ポップ”として評価の確立が望まれる。
14位 Simon Says - 1910 Fruitgum Co.('68米4位/英2位)
 1960年代後半はビートルズを筆頭にロック界で様々な音楽的な実験が繰り返された時代だったが、一方で低年齢層向けポップスの公式が確立された時期でもあり、中でもジェリー・カセネッツ&ジェフリーカッツの「スーパー・K・プロダクション」が提唱した“バブルガム・ミュージック”は大変な人気を呼び、現在ではこの手の10代向け即席ポップを総称するジャンル名として認識されているほど。この“バブルガム”を代表する1910フルーツガム・カンパニーは録音セッション毎に参加者が入れ替わる架空のバンドだったが、日本では意外にも人気が継続し、71年にはピンク・フロイドらと「箱根アフロディーテ」にも出演している。彼らの初ヒット「サイモン・セッズ」は子供の遊技を題材にしたもので、ポップのお手本のような作品。
14位 Jackie - Scott Walker('67英22位)
 ウォーカー・ブラザーズを解散し、ソロ活動に乗り出したスコットの第1弾シングル。グループ時代のポップなロック・サウンドから一変して、ここで取り上げているのはベルギーのシンガーソングライター、ジャック・ブレルの作品(英語詞はアメリカのベテラン・ソングライター、モート・シューマンがつけている)。当時のファンはさぞかし面喰らったことと思うが、彼の試みはイギリスで熱狂的に受け入れられ、67〜69年に発表された3枚のソロ・アルバムはいずれもチャートのTOP3にランクインを果たす高評価を受けている。近年若手のアーティストによるトリビュート盤が制作されるほど人気の高い彼の音楽にはこの“ヨーロッパへの視点”が魅力としてあり、それが彼を“カルト・ヒーロー”に祀り上げているのだろう。
14位 World - The Bee Gees('67英9位)
 “ブラザーズ・ギブ”ことギブ3兄弟(バリー、モーリス、ロビン)はイギリスのマンチェスター出身だが、50年代後半にオーストラリアに移住しそこで音楽活動をスタートさせたことから、英米のチャートには逆輸入の形で登場することとなった。60年代前半より豪州屈指の人気グループであった彼らは凱旋デビューにあたってオーストラリア人2人をメンバーに加え、5人組としてロック・シーンに登場。“サイケデリック・サウンドの影響下にあるフォーク・ロックグループ”という印象の強い初期の彼らのイメージをよく表しているのがこの「ワールド」で、ラウドなギター・サウンドや大仰なオーケストラをフィーチャー。何故か日本ではロビンがリードをとった曲の人気が高いようだが、これはバリーがメインで歌っている。
17位 Rhythm Of The Rain - The Cascades('63米3位/英5位)
 1963年に大ヒットを記録した「悲しき雨音」が、何故かこの年にリバイバル・ヒット。この曲以外目立ったヒットを生み出すことが出来なかった彼らは典型的な“一発屋”と言っていい存在だが「〜雨音」効果は絶大(リーダーのジョン・ガモウが作曲したことも大きかったのだろう)で、60〜70年代にかけて様々なレーベルに作品を残している。日本におけるリバイバルは続いて「The Last Leaf(『悲しき北風』'63米60位)」の再ヒットにつながり、この年の年間チャート60位にランクインしているが、一方本国では翌年にゲイリー・ルイスによるカバー・バージョンがミドル・ヒット(63位)。この恩恵に預ったのかカスケーズの名は「Maybe The Rain Will Fall」で久々HOT100に再登場を果たしている('69米61位)。
17位 Sunny - Bobby Hebb('66米2位/英12位)
 ナッシュビル出身の黒人シンガー、ボビー・ヘブは音楽芸人夫婦(二人とも盲目であった)の七番目の子供として生まれ、小さい頃から兄弟で音楽バラエティ・ショーに出演。その達者さから当地の名物カントリー番組「グランド・オール・オプリー」に黒人として初めて出演を果たすなど、ローカル・ヒーローとして活躍した。「サニー」は彼が20代になった1963年、J.F.ケネディが暗殺された翌日に実兄が街角で刺殺された悲しみを歌ったもので、ワン・コーラス毎にキーが上がっていく不思議な(楽器で再現しようとすると非常に難しい)曲であった。R&B色の希薄なこの曲はジャンルを超えてカバーが繰り返され、様々なアーティストが演奏したこの曲だけのCDが発売されるほど“料理しがいのある曲”として評価が確立されている。
19位 Things - Nancy Sinatra & Dean Martin
 (彼の話題ばかりで恐縮だが)リー・ヘイズルウッドがナンシー・シナトラのプロデューサーを務めるそもそものきっかけは、ディーン・マーティンの息子であるディノが結成したポップ・グループ「ディノ、デシ&ビリー」の「I'm A Fool('65米17位)」を手がけヒットさせたことなのだそうで「マーティンの息子が売れたんだから、シナトラの娘も何とかしろ。」というリプリーズの指示だったのだとか。無事成功を収めたナンシーの、こちらはシナトラ軍団では“叔父貴”にあたるディーン・マーティンとのデュエット盤。元々ボビー・ダーリンが1962年にヒットさせた(米3位/英2位)曲のカバーで、詞の中にかつて恋人と公園を歩いたことを思い出す部分があることから「初恋の並木道」のタイトルがつけられたようだ。
20位 Pata Pata - Miriam Makeba('67米12位)
 1932年南アフリカ生まれのミリアム・マケバが欧米で最初にその名を知られたのは、現地のボーカル・グループ「マンハッタン・ブラザーズ」の録音にフィーチャーされた「Lovely Lies('56米45位)」がきっかけ。59年に出演した映画「Come Back Africa」で注目された彼女はアメリカに招かれ、ハリー・ベラフォンテのサポートで全米をツアーし、60年代に多くのアルバムをリリースしている。「パタ・パタ」は彼女が50年代に南アフリカで録音していた曲だそうで、単純なフレーズの繰り返しが麻薬的な魅力をもつエスニック・ナンバー。彼女はこの年急進的な黒人運動活動家ストークリー・カーマイケルと結婚したことによりレコード業界からボイコットを受け以降20年近く作品の発売が途絶えるが、近年はそれを取り戻す勢いでレコーディングを行っている。


(2006.2.7)

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