TOP10 HITS OF LAST CENTURY
Presented by meantime

■ M.L TOP30 December 1969

01 カム・トゥゲザー/ビートルズ
02 シュガー・シュガー/アーチーズ
03 グリーン・リバー/クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル
04 天使のらくがき/ダニエル・ビダル
05 リトル・ウーマン/ボビー・シャーマン
06 涙の口づけ/レターメン
07 孤独の世界/P・F・スローン
08 サムシング/ビートルズ
09 幸せの朝/クリフ・リチャード、バニティ・フェア
10 救いの鐘/ロビン・ギブ

 まもなく70年代を迎えようというこの時期「このランク表は各社12月新譜シングル・レコードのヒット性と都内有名楽器店及びレコード店のシングル盤売り上げを参考にML編集部が選出したトップ30です。」と謳われている(“権威ある”が消えましたね)この月のチャートのトップに立っているのは、ビートルズの「カム・トゥゲザー」でした。

 この年1969年の音楽シーンは基本的に前年68年の延長。ニューロック勢が次々と大ヒットアルバムを生む一方で、R&Rの原点に立ち返ったようなポップなヒットがシングルチャートを賑わせた年でした。

 それではチャートの紹介に入りましょう。先週取り上げたチャートに続き、ビートルズのシングル曲が2曲チャートインしています。1位の「Come Together(米1位)」と8位の「Something(同3位)」は、彼らにとって67年の「Penny Lane(1位)」と「Strawberry Fields Forever(8位)」に匹敵する強力カップリング。貴重はブルースながら、斬新な曲調を聞かせる「Come Together」は、後の70年代ロックを予見させるものがありますし、ジョージ・ハリスン一世一代の名曲と言っても差し支えない「Something」は、美しいメロディとユニークな曲構成を持った名曲でした。この時期のビートルズは、バンドとしては末期状態。翌70年の4月に最後までグループ活動にこだわったポール・マッカートニーが脱退宣言を行い、その活動を停止しました。

 2位のアーチーズ「Sugar Sugar(米1位)」は60年代後半に盛んに生産された“バブルガム・ポップ”の代表的なヒット。スタジオ・ミュージシャンを寄せ集め、実体のないバンド名義による作品を商品として売り出すという手法は、今も昔もそれほど珍しいものではありませんが、アーチーズの場合はその“実体”がアニメのキャラクターというのがユニークでした。このアイディアを思いついたのは、この数年前にモンキーズのプロジェクトを立ち上げたドン・カーシュナー。“バブル”は以後も形を変えながら存在し続け、70年代には無数のディスコ・プロジェクトがヒットチャートを席巻し、80年代には悪名高きミリ・バニリがグラミーの新人賞を獲得(後に剥奪)、近年ではなんでしょう、イギリスで成功したテレタビーズやステップスあたりまでその影響は続いています。勿論今後もこの手のヒットは生まれ続けるはず。

 3位はCCR(この表記が通用するのは日本だけだそうですね)の「Green River(米2位)」。彼らはこの年の前半に「Proud Mary(米2位)」でブレイク、以降約3年間に亘って驚異的な連続ヒット記録を樹立します。長尺演奏を重視するニューロック派が幅をきかせる中、シングルに関しては2〜3分台のタイトなR&Rナンバーにこだわり続けたバンドでもありました。この「Green River」はギターのフレーズが印象的なブルージーなR&Rナンバー。グループの顔であり頭脳でもあったジョン・フォガティは85年にこの曲の構成をそのまま甦らせた「The Old Man Down The Road(米10位)」をヒットさせ、ソロとしても大成功を収めます。

 日本における洋楽ヒットチャートの流れを見ると、60年代後半の数年間はアメリカ発の音楽(一応ビートルズも含む)が中心、それに若干日本独自の好みが加味されたような結果となっている印象があります。が、これが70年代に入ると全く独特なものへと様変わり。“洋楽のドメスティック化”ともいえるこの現象は、来週以降詳しく取り上げたいと思っていますが、今回のチャートにはその兆しが見られる曲が登場しています。それが4位のダニエル・ビダル「Aime Ceux Qui T'aiment」。かつてのシャンソンとは一線を画した、R&Rの影響を受けたフランス産ポップスへの注目は、日本ではシルヴィ・バルタンやフランス・ギャルが紹介された60年代半ばから続いていましたが、70年代初頭にはそれがかつてない規模で展開します。で、中でも期間・ヒット曲の数において他のアーティストから抜きん出た成果を収めたのが彼女。その可憐なルックスとポップな音楽性で量産したヒット曲の数々は、来週以降順を追って紹介していきたいと思っています。

 ・・話は突然変わります。現在振り返ってみると、ロックが段々とこ難しい雰囲気のものになっていったような印象があるこの頃、しかしどんな時代にだってアイドルは求められるもの。この時期の代表的なアイドルが5位のボビー・シャーマンでした。アメリカでは音楽バラエティ「Shindig」で顔を売り、ドラマ「Here Come The Bride」で人気を博した彼、「Little Woman(米3位)」は彼にとって初のヒット曲(デビューは意外に古く、1962年だそうです)。当時既に30歳近かった彼は短期間ではありましたが、アメリカでピンナップ・アイドルの王座を守りました。

 日本でも彼はチョコレートのCMに出演するなど、積極的なプロモーションがされたようなのですが、どうもトップアイドルというところまではいかなかったようです。当時の「ミュージック・ライフ」誌を見ると、毎月グラビアページのトップに登場しているのは、元ウォーカー・ブラザーズのスコット・ウォーカー(エンゲル)。この頃の彼の人気は、はっきりいって異常です。ベルギーのシンガーソングライター、ジャック・ブレルの作品集を発表するなどの繊細な作風が評価されて、現在ではトリビュート・アルバムまで作られる彼ですが、当時は本人がどうであるかに関係なくバリバリのアイドル。ちょうどこの頃来日公演が彼の健康状態の悪化で中止となり、それに対して「ミュージック・ライフ」には「スコットのママからファンの皆さんへお詫びのメッセージ」なんてものが掲載されてたりして、当時彼がどのような受け入れられ方をしていたのかを窺い知ることが出来ます。

 6位も日本ならではのヒット。ボーカルグループ、レターメンは60年代〜70年代の約10年間に亘ってイージー・リスニング系のグループとして本国でも数々のヒットを放っていましたが、日本における人気が盛り上がり始めたのはこの頃から。「Sealed With A Kiss」は元々ブライアン・ハイランドが62年にヒット(3位)させた曲でしたが、この時期にはゲイリー・ルイスがリバイバルさせ(68年米19位)、それもあってレターメン盤もリリースされたのではないかと思われます。そういえば、69年はかつてのR&Rが見直され、全米各地でR&Rの懐メロツアーが開催された年でもありました。レターメンはこの後毎年のように日本を訪れ、洋楽の人気アーティストとなっていきました。

 7位も日本のみヒット、アメリカ西海岸のシンガーソングライター、P.F.スローンの「From A Distance(66年米109位)」。バリー・マクガイアの「Eve Of Distruction(65年1位)」やジョニー・リヴァースの「Secret Agent Man(66年米3位)」などソングライターとしての華々しい実績とは裏腹に、アーティストとしては本国で殆ど注目されなかった彼、しかし日本ではどういう訳かこの時期にこの曲が大ヒットし、この頃洋楽を聴いていた人なら誰でも覚えている、という一曲になっているようです。なおこの時期の彼はスタッフとして成功を収めたダンヒル・レコードを離れて、ソロアーティストとしての可能性を模索していましたが、結局成果は挙げられずじまいでした。

 9位は競作盤。「Early In The Morning」は、英米ではヴァニティ・フェアが好評を博しましたが(英8位/米12位)、日本ではどういう訳かクリフ・リチャード盤が人気を集めました。イギリスでは数えきれないほどのヒット曲を持つクリフの、これは珍しい日本のみヒット。

 最後10位はビージーズのロビン・ギブ「Saved By The Bell(英2位)」。前年に最初の人気絶頂期を迎えた彼ら、この年には「若葉のころ(First Of May)」や「メロディ・フェア」を収録した力作「Odessa」を発表しましたが、評論家のウケはいまいち。グループはバリーとモーリスの2人組となり、脱退したロビンはこの曲をイギリスでヒットさせ、独り立ちを図りました。満身創痍のビージーズはこの後暫しの低迷期を迎え、その復活はロビンが復帰して発表された70年暮の「Lonely Days(米3位)」まで待たれることになります。


(2000.12.6)

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