1位 El Condor Pasa - Simon & Garfunkel('70米18位)
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「El Condor Pasa」をポール・サイモンが初めて耳にしたのはサイモンとガーファンクルがメジャー・デビューを果たす1964年、彼がヨーロッパ巡業中のことだったという。ペルーの古い民謡を元に20世紀初頭に書かれたこのプロテスト・ソングをパリのステージで披露したロス・インカス(アルゼンチン出身のミュージシャンによって結成されたフォルクローレ・グループ)の演奏が頭に焼き付いて離れなかったサイモンは、それから5年後に彼らのレコード音源(1958年録音)を編集し、新たに書き下ろした英詞の歌をのせるという、いわば“サンプリング手法”によってサブタイトル「もし、できることならば」を完成。全米チャートのアクションは地味だったがこの録音は世界中で聴かれ、“ペルー音楽といえば「コンドル〜」”という世界的な共通認識を作り上げた。
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2位 Love Grows (Where My Rosemary Goes) - Edison Lighthouse('70米5位/英1位)
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60年代後半に全米チャートを荒らし回ったソングライター/プロデューサー主導の即席ポップス“バブルガム・ミュージック”の影響は海を渡ってイギリスまで及び、70年代に入ると今度はイギリス産のバブルガムが逆輸入されアメリカのヒットチャートに登場するという現象が起こった。エジソン・ライトハウスはその代表的なグループの一つで、個性的で抗し難い魅力を持った少女に次々と男たちが魅了されていくというこの陽気なラブソングとともに当時の音楽ファンに強い印象を残している。この曲でボーカルを務めたセッション・シンガー、トニー・バロウズはエジソン〜とほぼ同時期にホワイト・プレインズ、ブラザーフッド・オブ・マン、ピプキンズといった名義でもレコードをリリースしており、その何れもがほぼ同時期にヒットチャートに登場するという珍記録を作った。
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3位 Mandom-Lovers Of The World - Jerry Wallace
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歴史的なCMソング。チャールズ・ブロンソンが顎を摩りながら「ウ〜ン、マンダム。」と呟く化粧品メーカー「丹頂株式会社」のCM人気は、翌年同社を「株式会社マンダム」と社名変更させるほどの浸透度を見せたが、一方1960年前後に「Primrose Lane('59米8位)」などのヒットを放ち、以降カントリー界を中心に地道な活躍を続けていたジェリー・ウォレスにも思いがけない大ヒットをもたらした。アルバイト的な心持ちでウォレスが録音したであろう「男の世界」はエンゲルベルト・フンパーディンクを男臭くしたような感じのナッシュビル産ポップスで、我が国洋楽界で彼はこの曲のみの“一発屋”で終わったが、本国では72年にTVドラマ「ナイト・ギャラリー」で使用され話題となった「If You Leave Me Tonight I'll Cry」がカントリー・ナンバー1ヒット(ポップチャートでは最高38位)を記録し、以降暫くキャリア最大のピーク期を迎えることとなる。
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4位 Yellow River - Christie('70米23位/英1位)
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ブリティッシュ・ビート・ブーム期に「アウター・リミッツ」というグループを率いていたジェフ・クリスティは、60年代後半にソングライターのキャリアを志し当時の人気バンド、トレメローズに「イエロー・リバー」のデモテープを手渡したが、この曲の出来に感心したのがトレメローズのメンバー、アランの弟マイク・ブレイクリー。彼はクリスティにバンドを結成しこの曲を録音することを提案、結果発売されたシングルはトレメローズが録音したバック・トラックに彼らのボーカルが被せられた急造盤ではあったが、戦地から無事に帰郷するという歌詞の内容がベトナム戦争まっただ中のこの時期の雰囲気にマッチし、世界中でヒットを記録した。彼らはその後これに匹敵するヒットを生み出すことはなかったが、「イエロー・リバー」を看板に現在も誰かが“クリスティ”名義でライブ活動を行っているようだ。
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5位 Never Marry A Railroad Man - The Shocking Blue('70米102位)
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「ヴィーナス」の大ヒットで俄然注目を集めたショッキング・ブルーだったが、英米に於ける活躍は非常に短期間で終わった。シングルをリリースする度にチャート成績を落していった彼らは海外進出4作目の「〜鉄道員」で遂にHOT100入りを逃し、以降彼らが全米チャートに再登場することはなかったが、日本では元々ミドル・テンポのロックナンバーであるこの曲の演奏ピッチを上げ「ヴィーナス」と同じテンポにしてしまうという、現在だったらアーティストから発売差し止め&告訴必至な“処置”が為され、それが功を奏したのか「ヴィーナス」を凌ぐメガヒットを記録した。なお現在聴ける輸入盤のCDには、当然のことながら本国オランダでナンバー1を記録したオリジナルの“スロー・バージョン”が収録されているので、この曲に関しては探し出してでも日本盤を入手することをお薦めしたい。
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6位 Bridge Over Troubled Water - Simon & Garfunkel('70米1位/英1位)
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サイモンとガーファンクル実質上のラスト・アルバムにして最大のヒット作「明日に架ける橋」の制作は、かなり緊迫した状況で行われたそうだ。現在はアート・ガーファンクル一世一代の名唱として知られるこの曲の録音ですらお互いにマイクの前に立つことを嫌がったというから、その雰囲気は察して知るべし。歌詞の“我が身を呈してでも貴方に困難を乗り越えさせてみせよう”という「自己犠牲」の精神はこの翌年に発表されたアレサ・フランクリンの名演('71米6位)によって更に昇華され、以降この曲はゴスペルの分野でもスタンダードとして認知されているが、21世紀に入って起こった「9.11」のテロ直後、アメリカの一部メディアは「事件の犠牲者を連想させる」という理由で非情にもこの名曲を放送禁止扱いとした。
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7位 Venus - The Shocking Blue('69米1位/英8位)
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フィラデルフィア出身のプロデューサー、ジェリー・ロスは自己のレーベル「コロッサス」を立ち上げるにあたり、営業の柱としてヨーロッパの既存のカタログをアメリカに紹介することを思い立ち、結果選ばれたオランダ産のシングル3枚の中の一つがショッキング・ブルーのこの曲であった。ヨーロッパ各国では前年に大ヒットを記録していた「ヴィーナス」はフーの「Pinball Wizard(『ピンボールの魔術師』'69米19位/英4位)」を思わせるギターと、サイケなオルガンのイントロにグループ紅一点のマリスカ・ヴェレスの蓮っ葉なボーカルがのった印象的なロックナンバーで、見事全米ナンバー1を記録。日本における反響は英米を凌ぐものがあり、70年代初頭有数の人気グループとして、彼らはその後数年に亘ってヒットを連発していくこととなる。
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8位 Mr. Monday - The Original Caste('70米119位)
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70年にアメリカで「One Tin Soldier(『天使の兵隊』米34位)」をヒットさせたオリジナル・キャストは、カナダ人のブルース&ディクシー・リー・イネス(当時夫婦)を中心に結成されたポップ・グループ。この後ダンヒル・レコードで一時代を築くデニス・ランバートとブライアン・ポッターが全面的に制作に参加していることでも注目に値する彼らの、日本における最大のヒットがマイナー・メロディの「ミスター・マンデイ(本国カナダでは最高3位を記録)」で、ストリングスとホーンのアレンジに早くもランバート&ポッターの手腕が窺える仕上がりとなっている。このヒットにより人気を確立した彼らは度々来日を果たし、オリジナル・グループが活動を停止するする翌71年までに発売されたシングルは、次々とラジオ洋楽チャートの上位にランクインした。
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9位 Let It Be - The Beatles('70米1位/英2位)
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1969年に録音されながら制作が暗礁に乗り上げ、セッション・テープが放置されていた通称「Get Back」セッションからカットされたこの曲は、ビートルズにとって活動期間中最後のシングルとなった。ピアノのイントロで始まり、ゴスペル風のコーラスとオルガンでピークに達し、再びピアノでドラマチックに終わる曲調に、当時ある種の終末感を感じた音楽ファンは多かったのではないだろうか(録音時期を考えれば、それはおかしいのかも知れないが)。その後フィル・スペクターの再編集により発売されたアルバム「レット・イット・ビー」の仕上がりにマッカートニーが多いに不満を持っていたことは洋楽ファンだったら誰でも知っている話で、その“積年の恨み”は30年以上経過した2003年になってリリースされた「レット・イット・ビー・ネイキッド」で一応の決着を見ることになる。
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9位 Rain - Jose Feliciano('69米76位)
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1968年にドアーズの「ハートに灯をつけて」のカバー(米3位/英6位)を発表し、全米に一大センセーションを巻き起こした盲目のシンガー/ギタリスト、ホセ・フェリシアーノは、プエルト・リコに生まれニューヨークのハーレムで育つ。「ハートに灯をつけて」でグラミー各賞を独占した余韻がまだ残る69年に発表されたアルバム「Feliciano/10 to 23」は彼が10歳の時に録音した“お宝音源”もフィーチャーされたユニークな作品で、そこからカットされた「雨のささやき」は本国以上に日本で人気を集めた。アコースティック・ギターのサウンドやどことなく哀愁を帯びたメロディに、当時やはりラジオで人気を集めつつあった通称“四畳半フォーク”的なテイストがあることが、我が国における突出した人気を招いたのではないか?と私は勝手に考えているのだが。
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