11位 Mama Told Me (Not To Come) - Three Dog Night('70米1位/英3位)
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ダニー・ハットン、コリー・ウェルズ、チャック・ネグロンという3人のボーカリストを擁したロックバンド、スリー・ドッグ・ナイトは、60年代末から70年代半ばにかけてヒットチャートで大活躍したグループ。彼らにとって初の全米ナンバー1ヒットであるこの曲は1966年、アニマルズを一旦解散し、アメリカを活動拠点にグループの再編成を目論んでいたエリック・バードンが発表したソロ・アルバム「Eric Is Here」に収録されていたものがオリジナルで、作曲は当時新進ソングライターであったランディ・ニューマン。ニューマンの長い作曲家キャリアの中で唯一全米チャートのトップに立った作品でもある。
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12位 Travelin' Band - Creedence Clearwater Revival('70米2位/英8位)
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サイケデリックの時代を経てロックのバンド形態やサウンドが次第に大型化していった時期に、次々とコンパクトなR&Rナンバーをヒットチャートに送り込んだのが通称“CCR”。「トラベリン・バンド」はリトル・リチャードの「Good Golly Miss Molly('58年米10位/英8位)」から大きなヒントを得たストレートなR&Rナンバーで、彼らの全ヒット曲の中でもっとも激しいジョン・フォガティのシャウトを聴くことができる。CCRの曲としては珍しくサックスがフィーチャーされているが、これはフォガティによると当時活躍していた“大型ロックバンド”ブラッド・スウェット&ティアーズに触発されたものなのだとか。
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13位 Down On The Corner - Creedence Clearwater Revival('69米3位/英31位)
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CCR4枚目のアルバム「Willy and the Poor Boys」の冒頭を飾るジョン・フォガティのオリジナル・ナンバーは、ジャマイカ風ビートの影響も窺えるグッド・タイミーなR&R。「ウィリー&ザ・プア・ボーイズ」とはこのアルバムに頻繁に登場する架空のジャグ・バンドのことで、アルバム・ジャケットでは彼らがそのグループに扮した様子が写されている。シングル盤としてこの曲は「Fortunate Son('69米14位、洋楽ラジオ・チャートでは年間38位)」とのカップリングでリリースされており、こちらの方は富裕層の若者は徴兵を逃れ、労働者層ばかりが戦地に送られることを激しく糾弾するナンバーと、対照的な作風になっている。
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14位 Lookin' Out My Back Door - Creedence Clearwater Revival('70米2位)
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CCR多すぎ。アルバム「コスモズ・ファクトリー」に収録されていたこの曲は、当時3歳のジョン・フォガティの息子のために書かれたものだそうで、車輪遊びをする巨人やハイヒールを履いた彫像たちがパレードするという歌詞や♪doo, doo, doo lookin' out my back doorという調子のいいフレーズには、子供たちが喜んで歌ってくれる曲になって欲しい、というフォガティの願いが込められている。なおこの曲は彼らにとって通算5曲目の最高2位ヒットで、これはマドンナの6曲に次いでエルヴィス・プレスリー、カーペンターズと並ぶ歴代2位タイ記録。ナンバー1ヒットを持たないアーティストとしては断トツ1位である。
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15位 Whole Lotta Love - Led Zeppelin('69米4位)
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60年代後半、ヤードバーズを解散したジミー・ペイジはセッションを通じて知り合ったミュージシャンを集めて“ニュー・ヤードバーズ”を結成。レコードデビューにあたってレッド・ツェッペリンと改名したこのグループは70年代最大のロック・バンドに成長した。「胸いっぱいの愛を」は全米制覇を成し遂げたセカンド・アルバムからカットされた曲で、彼らの音楽性を最もよく表わしたハード・ロックナンバーといっていいと思う。本国イギリスで彼らは頑にシングルカットを拒み、この曲もアレクシス・コーナー率いるC.C.S.によるインスト版がヒットしたが('70英13位)、97年になってようやくCDシングルが発売され、最高21位を記録している。
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16位 American Woman - Guess Who('70米1位/英19位)
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60年代初頭にカナダで結成された“チャド・アレンとエクスプレッションズ”は、アルバム・デビューにあたって地元の聴衆の先入観を欺くためジャケットに「誰でしょう?(Guess Who?)」と書いたところ多くのリスナーがそれがグループ名と勘違いしてしまったため、そのまま「ゲス・フー」で活動することになったという奇妙な経歴を持つ。「アメリカン・ウーマン」はメジャー・デビュー3作目のタイトル・トラックで、彼らとしては異色なハードロック色の強いナンバー。彼らは以降5年間に亘って膨大なヒット曲のリストを築くが、この年には早くもバンドの中核であるランディ・バックマンが脱退するなど、人の入れ替わりの激しいグループの内情も見え隠れしていた。
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16位 Que Sera Sera - Mary Hopkin('70米77位)
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ビートルズ(というかポール・マッカートニー)の強力な後ろ楯を得、“洋楽アイドル”としてヒットチャートを席巻したメリー・ホプキンだったが、その勢いは1年ほどしか続かなかった。「ケ・セラ・セラ」はドリス・デイの代表曲('56米2位/英1位)を爽やかなフォークロック・サウンドで料理した佳曲だったがアメリカのチャートで苦戦(イギリスではシングルリリースなし)。日本ではこの年大阪万国博覧会に於ける来日公演もあって人気は衰えておらず、これだけのヒットを記録している。翌年彼女はセカンド・アルバムをプロデュースしたトニー・ビスコンティと結婚し、活動を徐々にペースダウンしていった。
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18位 Hitchin' A Ride - Vanity Fare('70米5位/英16位)
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イングランド出身のヴァニティ・フェアはビーチ・ボーイズなどに強い影響を受けたハーモニー・ポップグループ。プロデューサー、ラリー・ペイジの経営するペイジ・ワン・レコードと契約し、68年にサンレイズのカバー「I Live For The Sun(英20位)」がヒット、続いて「幸せの朝(日本ではクリフ・リチャードのカバー版が人気を博した)」、そしてオカリナ(リコーダー?)の音色が印象的なこの曲がアメリカでミリオンセラーを記録し、キャリアは順調かに見られたが、残念ながらこれに続くヒットを生むことは出来なかった。「〜ヒッチハイク」は90年、シニータによってユーロビート・サウンドに生まれ変わり、イギリスで最高24位を記録している。
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19位 25 Or 6 To 4 - Chicago('70米4位/英7位)
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70年代前半、日本でも非常に高い人気を博したシカゴの本格的なブレイクのきっかけとなったのが「午前4時25、6分前」と名づけられたこの曲のヒット。彼らのセカンド・アルバム「シカゴと23の誓い」はデビュー作同様小曲と長尺ものが入り交じる組曲風の作品が大半を占めるという、クオリティの高さは認めるがラジオ的には曲のプッシュがし辛いシカゴならではのものになっていたが、例外的にコンパクトにまとめられたこの曲が収録されたのは、ヒットチャート向けの“勝負曲”として用意された側面もあったのかも知れない。この曲でボーカルをとっていたピーター・セテラがグループを脱退した後の86年に「長い夜」はリメイクされており、そちらは全米48位を記録している。
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20位 Up Around The Bend - Creedence Clearwater Revival('70米4位/英3位)
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ジョン・フォガティのボーカルばかりがクローズ・アップされるが、CCRは非常に耳に残るギターフレーズを編み出すセンスに長けたバンドでもあった。「アップ・アラウンド・ザ・ベンド」はその典型的な作品で、低音の弦からいきなり高音に飛ぶフレーズは、この10数年後にフィンランドから登場した“バッド・ボーイズ・ロック”グループ、ハノイ・ロックスのカバー・バージョン('84英61位)でも忠実に再現されていた。なおこの曲が収録されていたアルバム「コスモズ・ファクトリー」の“コスモ”とはニュー・オリンズのベテラン・エンジニア、コジモ・マタッサのことで、この時期彼はドクター・ジョンやアラン・トゥーサンらと新たなニューオリンズ黄金期を築いていた。
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20位 Girl, You'll Be A Woman Soon - Cliff Richard
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ニール・ダイアモンドが録音し(作曲もダイアモンド)、67年に全米10位を記録したこの曲をクリフは翌年「I'll Love You Forever Today('68英27位)」のB面として発表したが、それから2年後日本ではA面扱いとしてリリースされ、色気のあるボーカルがラジオで人気を呼び大ヒットを記録した。このヒットは日本のみの現象かと思っていたのだが、彼が昨年行ったワールド・ツアーのニュージーランド公演が収められたDVDではこの「燃ゆる乙女」が披露されていたので(日本ではこの曲の代わりに「しあわせの朝」が演奏された)、世界の何処かにはこの曲をクリフのヒットとして思い出を共有できる国がまだまだあるのかも知れない。
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20位 Woodstock - Crosby, Stills, Nash & Young('70米11位)
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元バーズのデヴィッド・クロスビー、バッファロー・スプリングフィールドのスティーブン・スティルス、ホリーズのグラハム・ナッシュと既に名の知られたグループのメンバーが集結したCSNは結成当初から“スーパー・グループ”と評判となっていたが、これにやはり元バッファローのニール・ヤングが加わって発表したアルバム「デジャ・ヴ」の成功は彼らを時代を代表するグループに押し上げた。シンガーソングライターが寄り集まったグループなので各メンバーの自作曲がアルバムを占めるのが基本だが、例外的に収められた“カバー”がジョニ・ミッチェル作の「ウッドストック」。前年開催された大規模なロック・イベントを題材に作られたこの曲は、後に「ウッドストック・ジェネレーション」と呼ばれるこの時期の空気を色濃く反映している。
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