TOP10 HITS OF LAST CENTURY
Presented by meantime

■ 洋;邦楽ポピュラーシングルチャート1970.3.25

  1. ビーナス/ショッキング・ブルー(Polydor)
  2. 白い蝶のサンバ/森山加代子(Denon)
  3. 雨のささやき/ホセ・フェリシアーノ(RCA)
  4. トレーン/1910フルーツガム・カンパニー(Buddah)
  5. 恋人/森山良子(Philips)
  6. 雨にぬれても/サウンド・トラック(Scepter)
  7. ドラマー・マン/ナンシー・シナトラ(Reprise)
  8. 夢みる港/メリー・ホプキン(Apple)
  9. ダウン・オン・ザ・コーナー/クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(Liberty)
  10. ラ・ラ・ラ/ボビー・シャーマン(Metromedia)
 「万国博覧会」開催目前で日本中が沸き立ち、歌謡曲チャートでは内山田洋とクール・ファイブの「逢わずに愛して」が1位を記録していた昭和45年3月、ポピュラーチャートのナンバー1はショッキング・ブルーの「Venus(米1位/英8位)」でした。

 以前この年の洋楽チャートを紹介した際は、情報ソースとしてラジオ番組「オール・ジャパン・ポップ20」のデータを使用しましたが、今回はセールスチャート。かつてレコード店頭で配布されていた情報誌「レコード・マンスリー」は、その“サービス品”的な性格が災いしてか、現在なかなか揃って保管されている場所がありません。国会図書館にも完全には残っていない。一昨年同誌チャートをシリーズで紹介した際は未入手のため紹介を断念したこの時期でしたが、その後の“地道な努力”が実を結び、手許データが揃って参りましたので、再び挑戦させていただきたいと思います(資料をご提供くださった皆さん、どうも有難うございました!)。ところで、60年代後半の「レコード・マンスリー」誌、いったい何処に残っているんでしょうね?このメルマガをお読みで「何冊か残ってるよ。」なんて方がいらしたら、是非情報提供をお願いしたいところです。コピーでもテキストベースでも構いません。まずはご一報を。。

 なんて“呼び込み”はこれくらいにして。チャート紹介に移らせていただきましょう。現在もお馴染みのナンバー「ビーナス」のショッキング・ブルーは、1967年に結成されたオランダのロックグループ。翌68年に黒髪に青い瞳が印象的な(浜崎あゆみと引田天功を足して2で割ったようなルックスの)女性ボーカリスト、マリスカ・ヴェレスが加入。発表したシングル「Venus」はヨーロッパ中で大ヒット。これに目をつけたのがアメリカはフィラデルフィアのプロデューサー、ジェリー・ロス。彼が立ち上げた新レーベル「コロッサス」のカタログ入りしたこの曲は、同様に買い付けられたオランダ産ヒット(ジョージ・ベイカー・セレクションの「Little Green Bag(70年米21位)」、ティー・セットの「Ma Belle Amie(同年米5位)」)の中でも最も成功を収めました。アメリカにおける彼らは、ほぼ一発屋に終わりましたが、ヨーロッパでは70年代半ばまでヒットを生み続けましたし、日本でも70年、71年の2年間に大ヒットを連発しています。

 一方ザ・フーの「Pinball Wizard(「ピンボールの魔術師」69年米19位)」のギター・パートを効果的に引用した「ビーナス」はバンド以上に長い人気を保ち続け、現在もスタンダードとして親しまれているのは皆さんご存じの通り。この曲はアメリカのポップス史上唯一、ヒットチャートのナンバー1に3回輝いた(1回目はショッキング・ブルー、2回目は1981年スターズ・オンの「ショッキング・ビートルズ45」のイントロとして、3回目は1986年バナナラマのユーロビート・バージョンで)曲でもあります。

 続いて2位に入っているのはいきなり邦楽、森山加代子の「白い蝶のサンバ」。この前年あたりまで大変に盛り上がっていた一連の“グループサウンズ=GS”もそうでしたが、それまでの歌謡曲とは違ったアプローチの、新しいタイプのポップスをレコード会社は系列の洋楽レーベルから発売し、それら商品は当時、流通過程で“洋楽”扱いとされていたようです。現在いうところの“J-POP”胎動期にあった訳ですね。  森山加代子は1960年代の洋楽カバー全盛期(いわゆる“ヒッパレ時代”)に活躍したアイドル歌手でしたが、60年代半ば以降は低迷し、再出発として発表したのがこの「白い〜」でした。冒頭の「あなたに抱かれて私は蝶になる〜」の部分は八分音符がタカタカと続く譜割になっていますが、これについて作詞の阿久悠は「ピーター・マックス(当時人気のあったポップ・アーティスト)の絵のようにサイケでチカチカした感じを出したかった」と著書で述べています(あと、この曲をTVで歌うたびに森山加代子がトチっていたことも・・)。この曲の大ヒットにより彼女は一時的ながらシーンの第一線にカムバックを果たすこととなりましました。そういえば何年か前に島谷ひとみの「パピヨン(ジャネット・ジャクソン「Doesn't Really Matter」の好カバー)」というヒット曲がありましたが、あれを聴いたときにまず思い浮かべたのがこの「白い蝶のサンバ」でした。

 まったくの余談になりますが。この「白い〜」を当時発売していた「Denon」は、日本コロムビア傘下の洋楽レーベル(クラシックで有名)。ポピュラー音楽を出していたのはほんの短期間だったようですが、その時期にアメリカのプロデューサー、マイク・カーブが持つ音源をいくつかリリースしており、中にはオズモンド・ブラザーズ改めオズモンズの初期のシングルなどもありました。結局それら音源はすぐに引き上げられ、当時カーブが経営に参画していたMGM(ポリドール)に移されましたが、それから30年後、マイク・カーブがオーナーであるカーブ・レコードと契約し、現在リアン・ライムスやティム・マグロウの日本盤を発売しているのが他でもない「Denon」。何か人のつながりがあるんでしょうかね?

 3位はホセ・フェリシアーノの「Rain(69年米76位)」。プエルト・リコ出身の盲目のシンガー、フェリシアーノはニューヨークのフォークシーンで注目を集め、大手RCAと契約。1968年に発表したドアーズの「ハートに火をつけて」のアコースティックなカバーが大ヒットして時代の寵児となりました。以降これを超える大ヒットは生まれなかったものの、彼は非常に息の長い活躍を続け、70年代日本では本国を凌ぐ人気で独自のヒットも生まれました。この曲も日本で非常に高い人気を博したバラードで、後に“ニューミュージック”と呼ばれる我が国のポップスにも少なからぬ影響を与えました。

 4位は“バブルガム・ポップ”1910フルーツガム・カンパニーの「Train(69年米57位)」。60年代後半はスタジオミュージシャンやシンガーによって次々と実体のないグループ名義のレコードが物凄い数生み出され、その中の幾つかがヒットを記録しましたが、中でも代表的な存在が彼ら。1968年に「サイモン・セッズ(68年米4位)」で登場した時は非常に他愛のないポップスを提供していた彼らでしたが、この時期になるとヒットチャートの雰囲気が変わってきたということで、果敢にも“ブラス・ロック”に挑戦。日本では大いに受け入れられました。またグループの実体がないにも関わらずツアーバンドを編成してライブを行っていた彼らはこの翌年に来日、我が国の野外ロックフェスティバルの草分け「箱根アフロディーテ」で、ピンク・フロイドと共にメイン・アクトの一つとして出演もしました。

 続いて5位にはまたも森山さん、こちらは森山良子の「恋人」。昨年は「さとうきび畑」がレコード大賞にノミネートされ、TVをつければドラマで田村正和の恋人役を務めているなど“プチ森山良子ブーム”的な印象がありましたが、その彼女が“日本のジョーン・バエズ”のキャッチ・フレーズで音楽シーンに登場したのが1967年のこと(まだ高校生)。前年にマイク真木の「バラが咲いた」を大成功させたフィリップスが、続いて女の子を!という狙いもあったのだと思いますが、自作のデビュー曲「この広い野原いっぱい(考えてみると「バラが咲いた」の返歌っぽくもありますよね、この曲)」のヒットで“アイドル・フォークシンガー”として地位を確立した彼女はヒットアルバムを連発。69年あたりからは歌謡曲寄りの作品も多く発表するようになり、これもその流れの一曲。「人は何故に死んで行くの〜」というサビのフレーズが印象的なこの曲は、ナッシュビル録音の“洋楽(??)”でした。

 6位は映画「明日に向かって撃て!」の主題歌、B.J.トーマス(当時の表記は“ビリー・トーマス”)の「Raindrops Keep Fallin' On My Head(69年米1位)」。バート・バカラック作のこの曲は、70年代有数の、というより時代を超越して愛されるスタンダードナンバーとなりましたが、逆にこのヒットが大きすぎて、B.J.トーマスはともすれば“一発屋”と見られがち。約20年に亘って数多くのヒットをヒットチャートに送り込んだ大物なんですけどね。その彼の全盛期といえるのがこのシングルも発売されているセプター・レコード時代。私はこの時代の彼のアルバムがすべてCD化されるのを10年ほど待ち続けているのですが、なかなか実現しません。何処の国でもいいから、物好きなレーベルがやってくれることを期待しています。

 7位はナンシー・シナトラの「Drummer Man(69年米98位)」。60年代前半より我が国では高い人気を誇り、66年の「にくい貴方」で英米で大ブレイクした後も日本で大変親しまれた彼女でしたが、その勢いにもかげりが見えてきたのがこの頃。この曲はアメリカで最後のHOT100入りを果たしたシングルとなり、後続の世代にアイドルの座を受け渡すこととなります。で、この時期人気を博していた新アイドルの一人が“ウェールズの森山良子(??)”メリー・ホプキン。ポール・マッカートニーの後ろ楯でアップルからデビューした彼女は、その清楚なイメージで一躍人気歌手の仲間入りを果たしました。日本でもこの夏に来日し、出演した“万博効果”もあり、多くのヒット曲がラジオから生まれたようです。なおこのチャートに登場している「Temma Harbour(米39位/英7位)」は、作者のフィラモア・リンカーンのバージョンも当時日本盤シングルが発売されていたそうで、以前リアルタイムの方に自慢げに見せつけられたことがありましたが、有り難いことに数年前、彼のアルバムが日本でCD化され、非常に手軽に聴くことができるようになりました。残念でした、現在は若い人でも知ってますよ。。

 最後2曲は超手短に。9位はこの時期物凄い勢いでヒットを生み続けていたC.C.R.の「Down On The Corner(69年米3位)」。この曲の歌詞に登場する「Willie & The Poor Boys」というユニットが、80年代に現実化して・・という話はややこしくなるので今回は止めておきます。続く10位は当時アメリカのトップアイドル、ボビー・シャーマンの「La La La (If I Had You)(69年米9位)」。日本ではテレビドラマと、チョコレートのCMでお馴染みだったようです。


(2003.3.11)

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