TOP10 HITS OF LAST CENTURY
Presented by meantime

■ Cash Box Top 100 Singles: Week ending September 25, 1971
01 Uncle Albert/Admiral Halsey - Paul & Linda McCartney (Apple)
02 Go Away Little Girl - Donny Osmond (MGM)
03 Maggie May - Rod Stewart (Mercury)
04 The Night They Drove Old Dixie Down - Joan Baez (Vanguard)
05 Ain't No Sunshine - Bill Withers (Sussex)
06 Smiling Faces Sometimes - Undisputed Truth (Gordy)
07 I Just Want To Celebrate - Rare Earth (Rare Earth)
08 Superstar - Carpenters (A&M)
09 Spanish Harlem - Aretha Franklin (Atlantic)
10 I Woke Up In Love This Morning - Partridge Family (Bell)
昭和46年9月最終週のキャッシュボックスチャート、ナンバー1はポール&リンダ・マッカートニー夫妻の「アンクル・アルバート〜ハルセイ提督」でした。
前年にビートルズが解散し、ソロ活動を開始したマッカートニーでしたが、その作品にはしばらく紆余曲折が見られました。まずファーストアルバムはグループとは別の路線を打ち出そうと意識し過ぎたのか精彩を欠いた内容となり、ファンや評論家はこの作品を酷評。翌71年になって初めてリリースしたシングル「Another Day」はまずまずのヒットとなり取り敢えずの面目を保ちましたが、続くこの作品が妻のリンダとの連名だったため「ジョンのパクりじゃん。」とこれまた悪評。作品は彼お得意のメドレー形式で、内容もよかったため見事ナンバー1となりましたが、彼の「ハズし具合」というのはビートルズの熱心なファンの癇に障ったらしく、これから暫し彼にとって受難の時期が続きます。。
ビートルズ関係の話題は非常に詳しい方が多いので、厳しい突っ込みが入らないうちに切り上げることにします。2位はこの時期のトップアイドル、ダニー・オズモンド。この年の前半に「One Bad Apple」でナンバー1を獲得したオズモンズは、60年代後半既にTVの「アンディ・ウィリアムス・ショー」などへの登場でお茶の間ではお馴染みの存在でしたが、前年ジャクソン5が引き起こした子供グループのブームに便乗する形でヒットチャートでブレイク。続いて一番人気のダニーがソロデビューし、これがまたナンバー1となります。
この「ゴー・アウェイ・リトル・ガール」のオリジナルは1962年のスティーヴ・ローレンス(1位)。1966年にはハプニングスのバージョンもヒットしましたが、同じ曲の複数のバージョンがナンバー1を記録するのは、R&R時代以降の記録としては当時非常に珍しいものでした(その後いろいろと出ましたが)。なおオズモンズ関連のレコーディング一切を取り仕切っていたのがプロデューサーのマイク・カーブ。そう、現在カーブ・レコードのオーナーとしてティム・マッグロウやリアン・ライムスをヒットチャートに送り込み続けているあの人。クライヴ・デイヴィスには及ばないものの、レコード産業の偉人の一人です。
さて、ダニーをはじめとしたオズモンド兄弟はTVを通じてお茶の間の人気者となり
ましたが、もう一組、ブラウン管の中で活躍したアイドルグループがこのチャートに登場しています。それが10位のパートリッジ・ファミリー。架空の家族バンドのツアー生活を舞台としたTVドラマ「人気家族パートリッジ」は大変な人気を呼び、特に家族の長男を演じたデヴィッド・キャシディは一躍ピンナップ・スターに祭り上げられました。この「夢見るデビッド(凄い邦題!グループの曲なのに!)」はグループとして4枚目のシングル。70年代の黒人家族を描いたスパイク・リー監督の映画「クルッ
クリン」でこの「〜パートリッジ」を夢中になって観ている子供たちに、父親が「自分も白人になったつもりでいやがる。」と苦虫を噛み潰すような顔をする、というシーンがあったのですが、そこで子供達が画面にあわせて歌っていたのがこの曲、だったような覚えがあります。
デヴィッドはこの翌月「Cherish(3位)」でソロデビュー。ダニー・オズモンド、そしてジャクソン5のマイケル・ジャクソンとともにグループ、ソロの“二本立興行”でヒットチャートを荒しまわっていくこととなります。
順位を元に戻しましょう。この週3位はロッド・スチュアートの「マギー・メイ」。フェイセズのボーカリストとしての活躍と並行してソロアルバムを発表していた彼(お、こちらも“二本立”ですね)、ワイルドなR&Rのフェイセズと、自作曲を中心に大好きなディランや、当時新進気鋭のソングライターたちの作品を取り上げたソロと、一応の区別があったような、なかったような感じですが、この曲はソロとして3作目のアルバム「Every Picture Tells A Story」からのカット。当初はカップリングのティム・ハーディン作「Reason To Believe(こちらは最高80位)」という非常に渋い曲がプッシュされていましたが、やがて自作のこちらがラジオで頻
繁にかかるようになり、最終的にはナンバー1に。この成功がこの場合はバンド活動に波及し、この年の後半にはフェイセズの「(I Know) I'm Losing You(22位)」そして「Stay With Me(10位)」が大ヒット。ソロ活動の方もその後の“ブロンドのスーパースター”に至る成功を収め続けることとなります。
4位は“フォークの女王”ジョーン・バエズ。60年代、メッセージ性の強いフォークの象徴的な存在(ある意味アイドル?)だった彼女は、その音楽性もあってシングルの大ヒットとは無縁でしたが、70年代に入ってこの曲で初めてTOP10入りを果たします。この「オールド・ディキシー・タウン」はかつての盟友(恋人?)ボブ・ディ
ランの舎弟分、ザ・バンドが彼らのセカンドアルバムで発表した曲のカバー。この曲の大ヒットに思うところあったのか彼女は翌年10年以上在籍したフォークの名門レーベル、ヴァンガードを離れイメージの180°違うA&Mへ移籍。そこでは果敢にコンテンポラリーなサウンド(後にAORと呼ばれるような)に挑戦する一方、それまでのディランをはじめとした優れたソングライターの作品を世に紹介する、というスタンスから、自らの内的世界を世に問うシンガーソングライター路線へシフトチェンジ。その試みは1975年の「Diamond And Rust(48位、ビルボード誌では35位)」で一応の成果を見ます。
続く5位には元祖“アコースティック・ソウル”ビル・ウィザースの「消えゆく太陽」が。このユニークなスタイルのソウルシンガーは、日本ではむしろ1990年代以降になってからの評価が高い印象があります。そして6位と7位には当時新路線を模索していたモータウン発の作品がランクイン。
60年代半ばに鉄壁の“モータウン・サウンド”を完成させた同社は、その後時代に則したサウンド、特に時のポップミュージックに則したサウンドを生み出そうとしました。その中で大当たりとなったのはテンプテーションズとプロデューサーのノーマン・ホイットフィールドがタッグを組んだ“サイケデリック・ソウル”路線。60年代後半以降物凄いペース(アルバム年3〜4枚!)でメッセージ色の強い作品を量産していった両者、その中で出来のいいものを片っ端からシングルカットする訳にもいかず、テンプスのシングルリリース・スケジュールから外れた曲は他のアーティストへと回されました。
その中で生まれたヒット曲の一つが前回紹介したエドウィン・スターの「黒い戦争」でしたが、ここに登場しているアンディスピューテッド・トゥルースの「時には微笑を」もその一つ。これはテンプスのアルバム「Sky's The Limit」で実に12分半に亘って展開されていた曲の短縮版で、まさに“テンプス様様”な大ヒットでした。アンディスピューテッド〜(長い!)はその後これ以上のヒットを生むことはありませんでしたが、70年代末までプロデューサーのホイットフィールドと行動を共にし、発表した作品の幾つかはヒットチャートにも登場しました。
7位のレア・アースは白人ロックバンド。モータウンはこういった路線にさえ触手を伸ばそうとしていたのです。彼らは前年テンプテーションズの「Get Ready」をアルバム片面21分に及ぶ演奏として発表し(!!とにかくこの頃は長尺演奏流行りだったのです)その短縮版シングルを大ヒットさせました。
現在ではテンプスの代表曲とみなされている「Get Ready」ですが、発表された当
時(66年)はポップチャートで大ヒットを逃し(最高29位)、それまで作品を提供し続けていたスモーキー・ロビンソンに替わって当時新米プロデューサーだったノーマン・ホイットフィールドが制作を担当。その第一弾「Ain't Too Proud To Beg(66年10位)」の成功をきっかけにこの時期まで延々と続く両者のコラボレーションは始まりました。
レア・アースはこの“失敗作”をこの時期のテンプス風にリ・アレンジし、作品の名誉回復を果たした、という形になりました。ここに登場している「〜 Celebrate」は彼ら4曲目のヒットとなるオリジナル作品。レア・アースはこれ以降ヒットチャートのTOP10に返り咲くことはありませんでしたが、モータウンは彼らにアーティストパワーのみを期待した訳ではなく、その“制作能力”にも期待を寄せていたようで、それがグループと同名レーベルをモータウン傘下に持たせたことに現れていると思われます。結局同レーベルからはそれほど多くのヒット曲は生まれませんでしたけれども、日本の洋楽ファンにはメッセンジャーズの「気になる女の子(That's The Way A Woman Is)」という忘れがたい作品が残されました。
最後2曲は簡単に。8位カーペンターズの「スーパースター」はメジャーアーティストになってしまったかつての恋人への想いを歌ったレオン・ラッセル作の名曲。カーペンターズとラッセルのコラボレーションはこの後も続きます。最後9位はアレサ・フランクリンが前回紹介した「Don't Play That Song」同様ベンE.キングのヒットをカバーした「スパニッシュ・ハーレム」。少々ネタ切れ感が漂います。
(2002.9.25)
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