TOP10 HITS OF LAST CENTURY
Presented by meantime

■ 洋楽ラジオ・チャート1972年間(その1)

01 メタル・グゥルー/T.レックス
02 名前のない馬/アメリカ
03 アローン・アゲイン/ギルバート・オサリヴァン
04 オールド・ファッションド・ラヴ・ソング/スリー・ドッグ・ナイト
05 デイ・アフター・デイ/バッドフィンガー
06 小さな恋の願い/カーペンターズ
07 クエスチョンズ 67/68/シカゴ
08 ウィズアウト・ユー/ニルソン
09 愛にさよならを(グッドバイ・トゥ・ラヴ)/カーペンターズ
10 母と子の絆/ポール・サイモン

1位 Metal Guru - T. Rex('72英1位)
 70年代前半、煌びやかな衣装とメイクで飾られたR&Rバンドがイギリスに次々と登場、その一群は“グラム・ロック(グリッター・ロック)”と呼ばれたが、そのブームの中心的存在だったのがマーク・ボラン率いるT.レックス。アメリカにおける成功は短期間に終わったが、イギリスでは1971〜73年の3年に亘って4曲のナンバー1ヒットを含む11曲連続TOP5ヒットを放つ活躍ぶりだった。来日公演もあったこの年は日本における彼らの人気がピークにあった時期で、元タートルズのマーク・ヴォルマンとハワード・ケイラン(フロー&エディ)の2人による奇妙で陽気なコーラスが響き渡る「メタル・グゥルー」は見事年間ナンバー1を獲得している。
2位 A Horse With No Name - America('72米1位/英3位)
 「名前のない馬」が初めてラジオから流れた時、多くのリスナーはニール・ヤングの新曲と思ったのではないだろうか。「アメリカ」と名乗る3人組のこの曲は物凄い勢いでチャートを駆け上り、ついには当のニール・ヤングの「Heart Of Gold(孤独の旅路)」をトップから引き摺り下ろすほどのヒットを記録した。グループ名に反しロンドンで結成された彼ら(ただしメンバーのうち2人はアメリカ人)はロンドンでレコード契約を結び、ロンドンで制作したアルバムを引っさげて「アメリカ」に乗り込んで成功を勝ち獲り、以降もジョージ・マーティンらのプロデュースのもと、異国で制作された“アメリカ・サウンド”は、全米チャートで次々とヒットを記録した。
3位 Alone Again - Gilbert O'Sullivan('72米1位/英3位)
 アイルランド出身のレイモンド・エドワーズ・オサリヴァンはイギリスの戯曲家ギルバート&サリヴァンをもじった“ギルバート・オサリヴァン”と改名、ノスタルジックなイメージで送り出されたこのシングルが全米ナンバー1に上り詰め、世界的な名声を得た(参考までにイギリスでは5曲目のヒット)。日本でもこの曲の人気は非常に高く、以降現在に至るまでほぼ毎年のようにどこかのCMやTV番組のテーマ曲に使用され続け、絶えず新しい世代のファンを生み出しているのはご存じの通り。両親を亡くして途方に暮れるというこの歌の物語はフィクションだそうで、彼の母親はその後も長く健在で彼の成功を大変喜んだという。
4位 An Old Fashioned Love Song - Three Dog Night('71米4位)
 ソングライター、ポール・ウィリアムスの出世作といえば「We've Only Just Begun(『愛のプレリュード』'70米2位/英28位)」とこの「オールド・ファッションド・ラヴ・ソング」だろう。様々な人生のBGMとなるためにこの世に生まれたすべてのポップ・ソングへの賛歌といえるこの“時代遅れのラヴ・ソング”を、ボーカルのチャック・ネグロンは囁くように優しく歌い、この曲のムードを盛り上げているが、実はこの録音時ネグロンは自動車事故が原因で鼻を骨折していて、思うように声を張り上げることが出来なかったためこのような歌い方になってしまったのだ、というまさに“怪我の功名”的なエピソードが残されている。
5位 Day After Day - Badfinger('72米4位/英10位)
 “ビートルズの弟分バンド”としてアップル・レコードからデビューしたアイヴィーズはその後“バッドフィンガー”と改名。当初はポール・マッカートニー提供作品をシングルとして発表していたが次第に自作曲に移行、中でも大ヒットを記録し彼らの代表作となったのが70年の「No Matter What(『嵐の恋』米8位/英5位、'71洋楽年間チャート42位)」とこの曲。アップル・レコード内のゴタゴタ等もあり成功は当初期待されたより長続きしなかったが、メロディックなロック・サウンドは後に“パワー・ポップ”と呼ばれることになるジャンルの古典的作品と見なされ、現在も若年層を含む多くのファンに高評価を受けている。
6位 It's Going To Take Some Time - The Carpenters('72米12位)
 1970年代初頭のナンバー1女性シンガーソングライターといえば、なんといってもキャロル・キング。彼女最大のヒット作「つづれおり」からカットされた「It's Too Late(『心の炎も消え』'71米1位/英6位)」は前年の洋楽年間チャート24位で、このコーナーで紹介出来なかったのが非常に残念。続いて彼女が約半年という短いインターバルでリリースしたアルバム「Carole King Music」に収録されていたのがこの曲(そちらの邦題は「しなやかな冬の若木の小枝のようになりたい」・・長っ!)で、「辛い失恋から立ち直ろう」という“女の独りごと”を爽やかにカバーしたカーペンターズ版がヒット。本国より日本で高い人気を呼んだ。
7位 Questions 67 & 68 - Chicago('71米24位)
 70年に「長い夜」でブレイクして以降暫くシカゴのシングル・リリースは新作からのカットと旧作が入り乱れた状態となっており、69年のデビューアルバムに収録されていた「クエスチョンズ 67/68」までもがこの年TOP40にランクインする状態であった(これは最新作がライブ盤であったという事情もあったように思われる)。元々この曲は彼らのデビュー・シングルとしてリリースされたもので、69年に全米チャート最高71位を記録。彼らの斬新さをアピールするため当時はアルバム・バージョンに近い約5分のシングル盤が発売されたようだが、71年版は3分台のコンパクトなバージョンに編集されていて、それがオリジナルを凌ぐヒットの要因にもなったようだ。
8位 Without You - Nilsson('71米1位/英1位)
 基本的にハリー・ニルソンはシンガーソングライターであるが、ボーカルのスキルもかなりのものがあったためカバーも多く、彼の2大ヒットである「Everybody's Talkin'(『噂の男』'69米6位)」と「ウィズアウト・ユー」はどちらも他人の作品である。「ウィズアウト〜」はバッドフィンガーのアルバムに収録されていた曲(作曲はトム・エヴァンスとピート・ハム)で、ニルソンは印象的なハイトーン・ボイスでこれを永遠の名曲にまで高めた。これまた余談だが、この曲のカバーを決心した時彼は泥酔状態でこれをジョン・レノン作品と勘違いし、翌朝聴き直そうとしたところ彼のアルバムの何処にも見当たらずに大変慌てたというエピソードが残されている。
9位 Goodbye To Love - The Carpenters('72米7位/英9位)
 リチャード・カーペンターとジョン・ベティスによって書かれた「愛にさよならを」にはモデルとなる曲があったという。1935年に公開された映画「Mississippi」に旅芸人トム・グレイソン役で出演していたビング・クロスビーは、作品中何度も自慢の作品として「Goodbye To Love」の名を挙げているものの、結局歌われずじまい。これをTVで観たリチャードは、この歌を自分で作ってしまおうと思い立ち、1930年代に歌われていたとしたらかなりモダンであったろう「Goodbye 〜」を40年近く後にヒットチャートに送り込むという偉業(?)を成し遂げた。余談になるが同映画でクロスビーが実際に歌った曲の中からは「Soon」という全米ナンバー1ヒットが生まれている(こちらは当然実在する)。
10位 Mother And Child Reunion - Paul Simon('72米4位/英5位)
 サイモンとガーファンクル解散後のポール・サイモン最初のアルバムがこの年に発表され、第1弾シングルとしてリリースされたレゲエ調の「母と子の絆」はロングセラーを記録。彼らの人気の根強さを印象づけた。ビートルズもそうだが、この時期はグループを解散したメンバーたちが次々とアルバムを発表して音楽ファンにはさぞかし楽しかったことと思うが、一方で当時コロンビア・レコードの社長だったクライヴ・デイヴィス(現Jレコード社長)は自叙伝で「確かにサイモンとガーファンクルはソロでそれぞれ100万枚を売ったが、2人が組んだ「明日に架ける橋」は500万枚売れた訳で、これはメーカーとしては大変な損失であった。」と送り手の立場から本音を述べている。


(2004.12.21)

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