11位 Tumbling Dice - The Rolling Stones('72米7位/英5位)
|
 |
60年代後半以来続いたストーンズの“アメリカ南部ロック期”を総括するアルバムがこの年に発表された「メインストリートのならず者」。二枚組として発表されたこのアルバムは、それまで南部サウンドの本場に乗り込んで身につけた“南部フィーリング”を、キースのフランスにある別荘の地下室で、メンバーたちによって再現したという意欲作であった。彼らが長年馴れ親しんだ戦前ブルースのサウンドに近づけるためわざわざ録音の音質まで下げたという「ダイスをころがせ」はファンキーなR&Rで、彼らの最高傑作の一つ。当時シングルを出せば1位か、それに限り無く近いところまで送り込むことの出来るパワーを持っていた彼らにしては英米のチャート成績が低いが、それは偏に当時のリスナーの無理解によるものなのだろう、と今なら無責任にも言えてしまう。
|
12位 The Family Of Man - Three Dog Night('72米12位)
|
 |
スリー・ドッグ・ナイトは優れたポップ・レコードを生み出す能力に長けていただけでなく、その当時まだ無名なソングライターの作品をいち早く取り上げ、ヒットさせる“選曲眼”でも注目された。アンチ“文明社会”のメッセージのようにもとれる「ファミリー・オブ・マン」を作ったのはポール・ウィリアムスで、彼らとウィリアムスの付き合いは1970年にヒットした「アウト・イン・ザ・カントリー(米15位)」に始まり、この年には両者のコラボレーションによる最大のヒットが生まれているのだが、それは次回に譲るということで。シンガーとしても個性的な魅力を持っていたウィリアムスはこの時期A&Mに多くのアルバムを残しており、どれも味わい深いので一聴をお薦めしたい。
|
13位 American Pie - Don McLean('71米1位/英2位)
|
 |
「バディ・ホリーが死んだ時に、ロックは死んだんだ。」その後名前が入れ替えられ何千回も繰り返し使われることとなる名台詞を生んだ「アメリカン・パイ」は、シングル両面8分27秒に亘ってR&Rの歴史をたどる(録音も最初のモノラルから次第にステレオになっていくという凝りよう)“アメリカン・サガ”である。1945年生まれ(ホリーが死んだ時は超多感な13歳)のマクリーンはフォーク・シーンで頭角を現しこの「アメリカン・パイ」でブレイク。ソングライターとしてペリー・コモに名曲「And I Love You So('73米29位/英3位)」を提供するばかりでなく、シンガーとしても恐らくこの時代有数の美声の持ち主で数々のカバーをこなしており、ヒット数は少ないが、残された作品の内容はどれも充実している。
|
14位 School's Out - Alice Cooper('72米7位/英1位)
|
 |
60年代後半に盛り上がったガレージ・ロック、アート・ロックと呼ばれた音楽をより下世話な方面に展開し、10代のファンを中心に大変な人気を博したのがアリス・クーパー。ロックを劇画化し、歌の題材を少年少女向けに絞り込んだ彼の“ショック・ロック”路線最大のヒットが「スクールズ・アウト」で、夏休みが始まる喜びをおどろおどろしく(?)歌い上げている。数々のヒットを連発した70年代を終え、暫しの低迷の後80年代末に彼は復活。現在なお彼の“出来の悪いクローン(?)”マリリン・マンソンが平成生まれの音楽ファンを熱狂させていることを考えれば、彼が70年代に展開した“シアトリカル・ロック”が意外にも汎用性のあるものであったことに気づかされる。
|
14位 Superbird - Neil Sedaka
|
 |
古き佳き“オールディーズ”の代名詞的存在だったニール・セダカは、60年代半ば以降は主にソングライターとして多くのアーティストに数々の名曲を提供する形で活躍を続けたが、アーティストとしては時代遅れとみなされていた。ニューロック全盛のアメリカを離れ、イギリスに活動の場を求めた彼はこの年アルバム「エマージェンス」を発表。ドラマチックな作風の「スーパーバード」は日本だけでヒットを記録したが、これを足がかりにイギリスで基盤を築き翌年にはヒットチャートに復帰。10CCのメンバーたちとアルバム制作を開始し、彼の音楽上の後輩、エルトン・ジョンのバックアップを得・・と、75年の華々しい全米チャートへのカムバックの準備は静かに進行していった。
|
16位 Tous Les Bateaux, Tou Les Oiseaux - Michel Polnareff
|
 |
70年前半の洋楽ポップスで、忘れてならない存在がミッシェル・ポルナレフ。60年代後半には既に母国フランスで人気アーティストの地位を確立していたという彼の作品は当時より日本にも紹介されていたが、この年にグラマラスなロックスター風のコスチュームとサングラスのイメージで、ウルトラ・ポップなこの「シェリーにくちづけ」をヒットさせたことが我が国における人気を決定づけた。本国では69年にリリースされていた「シェリー〜」は斬新なロックサウンドとヨーロピアンなムードが融合した傑作ポップスで、70年代を通して考えても間違いなく上位にランクインするであろう人気曲。これ以降姑く彼は洋楽界のトップ・アーティストとして、数々の個性的な作品をヒット・チャート上位に送り込んでいく。
|
17位 Mary Had A Little Lamb - Paul McCartney & Wings('72米28位/英9位)
|
 |
ソロ活動を開始したポール・マッカートニーが、2枚のアルバム制作後に選択した道が新たなるバンドの結成であった。妻リンダもメンバーに迎えた“ウィングス”の最初のシングルは、彼としては珍しく政治的なメッセージを持った「Give Ireland Back To The Irish(『アイルランドに平和を』米21位/英16位、この年の洋楽年間チャートでは23位)」で、その政治色の強さは賛否両論を呼んだが、続いてリリースされたのが“娘が喜ぶから”と作曲されたこの「メアリーの子羊」、今度は「軟弱だ!」と攻撃対象に。当時の彼にリスナーの期待を常にはぐらかしていくような余裕があったとは思えないが、その後の充実期に至るまでの試行錯誤は、後の世代のリスナーにとっては非常に興味深い。
|
18位 The Guitar Man - Bread('72米11位/英16位)
|
 |
60年代前半よりソングライターとして活躍していたデヴィッド・ゲイツを中心に結成された“ソフト・ロックグループ”ブレッドは、72年にその活動のピーク期にあったが、日本で彼らが人気を博したきっかけは意外にも本国ではシングルカットされなかったデビュー・アルバム収録の「Dismal Day(『灰色の朝』洋楽年間チャート72年114位)」のヒットであった。TBSの番組ではこの曲の火のつき方は遅かったようだが、続く「ギター・マン」がチャート上位に進出し、彼らにとって最大のヒットとなった。この曲でギターを弾いているのはゲイツではなく前年に加入したスタジオ・ミュージシャン出身のラリー・ネクテルで、彼はサイモンとガーファンクルの「明日に架ける橋」でイントロのピアノを弾いたことでも知られている。
|
19位 Go All the Way - Raspberries('72米5位)
|
 |
1967年に「It's Cold Outside(『冷たい初恋』米68位、洋楽年間チャート103位)」というヒットを放ったバンド「クワイア」の元メンバーたちと、クリーヴランド出身のエリック・カルメンが出逢う形で結成されたのがパワー・ポップバンド、ラズベリーズ。そのルックスのよさも人気を呼び、70年代前半にヒットを連発した彼らにとって最初の大ヒット「ゴー・オール・ザ・ウェイ」は、ハードロック調のイントロ&ブリッジ部分と、メロディ部で披露されるカルメンによるロイ・オービソンばりの甘い歌声との落差が何ともいえない魅力になっている。75年に独立し、ソロとしても輝かしい成功を収めるエリック・カルメンの記念すべき成功の第一歩を記したヒット曲でもある。
|
20位 Black Dog - Led Zeppelin('71米15位)
|
 |
“レッド・ツッペリンの最高傑作”と現在も呼ばれるのがこの年に発表された4作目で、同作には永遠のスタンダード「天国への階段」が収録されていたが、イギリスでは勿論アメリカでもこの曲はシングル発売されず、当然のことながら日本でも当時洋楽チャートに顔を出すことはなかった。代わりにヒットを記録したのが「ブラック・ドッグ」で、アルバム制作とツアーを繰り返し、わずか数年で一つのジャンルを完成させた彼らの集大成的内容になっている。ツェッペリン初期の諸作を聴くにつけ、ハードロック〜ヘヴィメタルと呼ばれるジャンルの音楽は、誕生から80年代末までの20年間、彼らの忠実なフォロワーたちによって拡大再生産が繰り返され、生き長らえたのだなという感を強くする。
|