TOP10 HITS OF LAST CENTURY
Presented by meantime

■ All Japan Pop 20 年間チャート1972

01 ゴッドファーザー愛のテーマ/ニノ・ロータ、アンディ・ウィリアムス
02 アローン・アゲイン/ギルバート・オサリヴァン
03 名前のない馬/アメリカ
04 母と子の絆/ポール・サイモン
05 ブラック・アンド・ホワイト/スリー・ドッグ・ナイト
06 気になる女の子/メッセンジャーズ
07 サムデイ・ネバー・カムズ/クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル
08 オールド・ファッションド・ラヴ・ソング/スリー・ドッグ・ナイト
09 ママに捧げる詩/ニール・リード
10 灰色の朝/ブレッド

 邦楽界ではちあきなおみの「喝采」が大ヒット、大晦日のレコード大賞を獲得したこの年、洋楽チャートの年間ナンバー1に選ばれたのは「Love Theme From "The Godfather" (Speak Softly Love)」でした。

 また濃い曲が1位に選ばれていますねー。実はこの前年、1971年の年間ナンバー1もやはりアンディが歌った「ある愛の詩(「(Where Do I Begin) Love Story」)」で、彼は2年連続で日本の洋楽チャートを征してしまったことになります。この頃は日本でも「アンディ・ウィリアムス・ショー」がTV放映されており、彼のお茶の間人気は最高潮。1970年代前半は“イージーリスニング王”アンディが栄華を極めた時代でもあったのです。

 イタリア系アメリカ人が織り成す「仁義なき戦い」ということでニノ・ロータ作のサウンドトラック(彼のインスト盤もヒットしました)がイタリアン・テイストをふんだんに盛り込んだドラマチックさで盛り上げに盛り上げるこの映画、普段は努めて耳障りのいい歌を聴かせるアンディもこのコテコテなベタさにつられてついつい熱唱、結果この録音は彼のキャリアを代表する名唱の一つとなりました。なお彼にとってこの曲は、現時点で本国における最後のTOP40ヒット(34位)。その後暫くイージー・リスニングチャートで活躍した後TVショー等での活動に重点を置くようになり、現在はミズーリ州ブランソンに「ムーン・リヴァー劇場」を構えて観光シーズンは連日昼夜2公演を行っているようです。「アンディは今頃何やってるんだろ・・」と思ったら、迷うことなくブランソンへ!ですね。

 2位に入っているのは、エヴァーグリーン中のエヴァーグリーン「Alone Again(米1位)」。説明は、恐らくどの世代の人にも必要ないでしょう。アイルランド出身の風変わりな青年が歌うこの曲は、手触りは素朴ながらも日本人とは発想の根本が違うようなメロディラインを持ち、しかしながら日本人の感性にも訴えかける魅力も持っているという“魔法”のようなナンバー。サウンドのシンプルさもいつまでも古くならない要因となっていますし(しかもいつ聴いてもいい音なんですよね)これらすべての要素が、この曲がいつまでも青々しさを失わない“エヴァーグリーン”たる所以となっているのでしょう。

 さて、今回のチャートには1970年代前半を代表するポップグループが3つ顔を出しています。まず一つ目は3位「A Horse With No Name(米1位)」のアメリカ。ヒットチャート上の華々しい実績の割には、どういう訳かB級感漂うイメージがある彼ら、それは“アメリカ”なのに作品は“イギリス録音”とか、何だかいい奴らっぽいイメージが何のプラスにも作用してない感じとか、何か中途半端な、何かシーンを背負って立つことを避けて通っているようなスタンスがそう思わせるのかもしれません。愛すべき作品をたくさん遺しているんですけどね。この曲もそのあまりにもニール・ヤングっぽい作風が、批評家を中心に嫌いな人は絶対いや!という反応を引き起こしたのは想像に難くありません(因みにこの曲が全米チャートのトップに立った時、蹴落とされたのはニール・ヤングの「孤独の旅路」でした)。

 残りの2つも先に紹介しておきましょう。このチャートで「Black & White(米1位)」と「An Old Fashioned Love Song(米4位)」の2曲を送り込んでいるのがスリー・ドッグ・ナイト。アメリカ西海岸のポスト・ヒッピー的な自由さを感じさせた彼らが人種融合を歌った「ブラック〜」は、実は1950年代に作られた曲だったそうですが、曲の構成を変え、レゲエ調のサウンドで新調したこのバージョンが実感を持って時代に響いたのでしょう。もう一曲「オールド〜」はポール・ウィリアムス作曲の繊細なバラード。彼らが取り上げる楽曲への選曲眼は、60年代のジョニー・リヴァースに匹敵する鋭さがありました。

 最後の1つはブレッド。1969年のデビュー以来ヒット曲を連発していた彼ら、この年は出すシングルすべてを全米チャートのTOP20に送り込むキャリアの絶頂期にありましたが、どういう訳か日本における人気は今一つだったようです。本国での人気を受け、日本でも彼らの初期のアルバムが発売されて、その中からカットされたのが「Dismal Day」。ブレッドが本来持つメロウさとはちょっと違った路線のこの曲が日本ではヒットとなりました。当時の日本のレコード会社には、アーティストの過去のレパートリーを引っ張り出してきて、日本独自のヒットを創り出す根気みたいなものがあったようですね。

 4位のポール・サイモン「Mother And Child Reunion(米4位)」はサイモンとガーファンクル解散後の第一弾ヒット。当時非常に注目を集めていたレゲエ・サウンドを取り入れたこの曲は、彼の活動再開への期待もあってこれだけの好評を得ました。個人的にはこの次のシングル「僕とフリオと校庭で(「Me And Julio Down By The School Yard」米22位)」の軽快なサウンドと、直訳なんだけど絶妙な邦題の方に心惹かれますが。その後“グラミー賞のヌシ”となっていく彼の活躍は、機会があったらまたいずれ。

 6位は日本で特にヒットしたメッセンジャーズの「That's The Way A Woman Is(米62位)」。このグループは面白い経歴を持っていて、当初ミルウォーキーから登場したバンドは60年代にバッキンガムズも所属していたシカゴのU.S.A.レーベルから幾つかのローカルヒットを飛ばしていたのですが程なく(多分)解散。シカゴでは人気のあったバンドでしたから地元のバンドが“二代目”を継ぎ、デトロイトのモータウンと契約して活動を続けました。そんな中発表されたのがオハイオ・エクスプレス風のバブルガムサウンドに彩られた「気になる女の子」。結局典型的な一発屋に終わってしまいましたが、彼らが活動期間中に残した作品は面白いものが多いはず(あくまでも勘ですが)。いずれガレージバンド系を得意とするレーベルがCD化すると思うので、その時を気長に待つことにしましょう。

 7位はC.C.R.の「Someday Never Comes(米25位)」。60年代後半から快進撃を続けていた彼らでしたが71年にトム・フォガティが脱退。グループの中心は依然ジョン・フォガティでしたが、人間関係のバランスを崩してしまったのか年に数作のハイペースで発表し続けていたアルバム制作がスローダウン、ようやく発表したアルバム「マルディ・グラ」は精彩を欠いたものとなり、結局この年の10月にバンドは解散してしまいました。

 9位は“お子様もの”ニール・リードの「Mother Of Mine(英2位)」。日本人に限らず、子供の拙いながらも何か心の琴線をくすぐる歌には大人は弱いところがあるようで、どんな時代になってもこの手のヒットは絶えることがありません。特に金髪の男の子が健気に歌ったりしたら日本人は抗えませんよね。この曲は日本の歴代洋楽ヒットランキングでもかなりの高位を記録するヒットとなりましたが、ニール君は“過剰な子供らしさ”を売り物にしてしまった宿命、その後大したヒットを記録することもなく芸能界から足を洗ったそうです。その人の気の持ち方次第ではあるのですが、人生の絶頂期を10代で迎えてしまった人の、長い長い“余生”を過ごす気持ちってどんなもんなんだろ?なんて時々考えたりすることがあります。果たしてニール君は・・。


(2000.12.27)

Flashback Home 


copyright (c) 2000-2003 by meantime, all rights reserved.