11位 Crazy Horses - The Osmonds('72米14位/英2位)
|
 |
60年代よりTVショーの人気者だった兄弟グループ、オズモンド・ブラザーズは、71年に「オズモンズ」と改名しジャクソン5タイプの「One Bad Apple(米1位)」で全米チャートに登場。その後一番人気のダニーがソロとしても大成功を収めるだけでなく、メンバーではない妹のマリー、末っ子のジミーまでがヒットチャートに登場し、70年代のある時期に一家で数十曲のヒットを生むという、後のジャクソン・ファミリーのビジネスを先取りするような活躍を見せた。「クレイジー・ホース」はギター・サウンドをフィーチャーしたロック色の強いナンバーで、馬のいななきのようなギターのフレーズは後にヒップホップのサンプリング・ネタとしても重宝されることになる。
|
11位 Touch Me In the Morning - Diana Ross('73米1位/英9位)
|
 |
1970年にシュープリームスから独立したダイアナ・ロスは「Ain't No Mountain Enough('70米1位/英6位)」こそ大ヒットを記録したものの、その後暫くは期待されたほどの成功を収めることが出来ず、むしろ残されたメンバーたちによって再編されたシュープリームズの方がチャート・アクションは好調という状態が一時期続いた。彼女がようやく形勢逆転を果たすのがこの曲の大ヒットあたりからで、モータウンの大プッシュもあってダイアナはポピュラー界の大物へと伸し上がっていく。「タッチ・ミー〜」はソングライター、マイケル・マッサーの出世作でもあり、彼は以降ダイアナに数々のメロウなナンバーを提供。80年代も数々の名作バラードを残している。
|
13位 Half-Breed - Cher('73米1位)
|
 |
60年代に夫婦デュオ、ソニー&シェールとして、そしてソロとしても成功を収めたシェールは、1970年前後の一時期人気が低迷したものの71年の「Gypsys, Trammps & Thieves(『悲しきジプシー』米1位/英4位)」で復活。夫婦で始めたTVショーも好評で米芸能界随一の売れっ子となった。“混血”というインパクトの強いタイトルのこの曲はシェールのエキゾチックなイメージを元に、彼女のために作られた曲だそうで、こちらも見事全米ナンバー1を記録。ソニーとのコンビはTVでもレコードでも依然続けられていたが、次第に彼女はキャリア・アップを目指すようになり、徐々にソロ活動に重点をおいていくようになる。後の“アカデミー女優”シェールのスタート点とも言える1曲。
|
13位 Give Me Love - (Give Me Peace On Earth) - George Harrison('73米1位/英8位)
|
 |
アルバム「All Things Must Pass」の大成功に続くジョージ・ハリスンの大仕事は71年の「バングラディッシュ救済コンサート」。このイベントのために発表した「Bangla-Desh('71米23位/英10位)」以降暫くスタジオ・レコーディングを休止していた彼がこの年久々に発表したのがアルバム「Living In The Material World」で、ファーストシングルのこの曲は彼らしい平和への祈りも受け入れられ、難なく1位を獲得。しかしハリソン自身はチャートヒットを連発する“ポップ・スター”の座には余り執着がなかったようで、以降同アルバムからのシングルカットはなく結果的にこの曲は彼にとって70年代最後の全米TOP10ヒットとなっている。
|
15位 The Right Thing To Do - Carly Simon('73米17位/英17位)
|
 |
1960年代に「Winkin', Blinkin' And Nod('64米73位)」のヒットを放った姉妹フォーク・デュオ、サイモン・シスターズから独立したカーリーは70年代に入ってソロデビューを果たしヒットチャートで活躍。本格的なブレイク作となった「You're So Vain(うつろな恋)」に続いてリリースされたのがこの曲で、かつての恋人に非常に辛らつな言葉を投げかけ、女性の恐ろしい一面を垣間見せるような「〜 Vain」とうって変わってこちらはストレートなラブ・ソング。同時期の女性シンガーソングライターの中で彼女はルックスもよく、またアルバム「No Secrets」の“ノーブラ・ジャケ”が男性洋楽ファンに大いにアピールした点も、当時の彼女の人気要因となっていたと思われる。
|
16位 Clair - Gilbert O'Sullivan('72米2位/英1位)
|
 |
ギルバート・オサリヴァンはレコード契約を結んでからブレイクを果たすまでの一時期、プロデューサーのゴードン・ミルズ宅でベビーシッターのようなことをやっていたことがあるという。その時のエピソードを歌にしたのがこの曲で「クレア」とはミルズの末娘のこと。元ハーモニカ・プレーヤーのミルズによる間奏、曲の終わりのクレアの笑い声、「レイ伯父さん(オサリヴァンの本名はレイモンド)私と結婚して!」という実際彼とクレアの間でで交わされたであろう会話など、非常にアットホームな雰囲気で制作されているサウンドの幸福感がリスナーに伝わりこの曲は世界中で大ヒット。彼にとって「アローン・アゲイン」と並ぶ代表作となっている。
|
16位 Pieces Of April - Three Dog Night('72米19位)
|
 |
3人のボーカリストを擁し、各々がリードを取ったり様々な組み合わせのハーモニーを生むことによってスリー・ドッグ・ナイトのヒットは曲毎に違った表情を楽しむことができるが、当時の洋楽チャート成績を見る限り、こと日本ではチャック・ネグロンがソフトに歌ったナンバーが概して評判がよかったようだ。「ピース・オブ・エイプリル」もその一つで、この曲を作曲したのはテネシー州出身のシンガーソングライター、デイヴ・ロギンス。不発に終わったソロアルバムからこれがピック・アップされたことによりロギンスは注目を集め、翌年「Please Come To Boston(『麗しのボストン』'74米5位)」の大ヒットでオーバーグラウンドに浮上することとなる。
|
18位 Thinking Of You - Loggins & Messina('73米18位)
|
 |
バッファロー・スプリングフィールドやポコでの活躍で業界の有望株となったギタリスト/プロデューサー、ジム・メッシーナは、71年に「House At Pooh Corner(『プー横町の家』米53位)」がニッティ・グリッティ・ダート・バンドに取り上げられたことでソロデビューのチャンスを得たケニー・ロギンス(前述デイヴ・ロギンスの従兄弟だそうだ)からアルバム・プロデュースの依頼を受け、制作に入ったところ意気投合。アルバムは2人の連名で発表された。「愛する人」は彼らが正式にデュオとしてリリースした最初(実質的には2枚目)のアルバムからのカットで、こちらはメッシーナ作。不思議なサウンド(恐らくギター)のイントロで始まる優しいナンバーである。
|
19位 We're An American Band - Grand Funk('73米1位)
|
 |
アメリカン・ハードロックバンドとして70年よりヒットを連発し、我が国でも71年の伝説的な豪雨の後楽園球場における来日公演もあって人気バンドの地位を確立していたグランド・ファンク・レイルロードだが、短期間ながら真の意味で“メジャー・バンド”となったのは、バンド名を“グランド・ファンク”と簡略化し(日本では変更なし)トッド・ラングレンがプロデューサーを務めた「アメリカン・バンド」のナンバー1ヒットによってだろう。この年に加入したクレイグ・フォレストのオルガンがフィーチャーされたストレートなロックナンバーは、ブリティッシュ・ハードが優勢なロックシーンに反旗を翻した“アメリカン・ロック賛歌”である。
|
19位 Kodachrome - Paul Simon('73米2位)
|
 |
ポール・サイモンにとってサイモン&ガーファンクル解散後2枚目のアルバム「The Goes Rhymin' Simon(ひとりごと)」からのファーストカット「僕のコダクローム」はコマーシャルなポップスのお手本のようなキャッチーな作品で、全米チャートを駆け上り当時の彼としては最高の2位を記録。しかしイギリスでは商品名(“コダクローム”とはコダック社のフィルムのこと。歌詞の中には更に“ニコンのカメラ”も登場する)をBBCでは流すことが出来ないため放送禁止となり、ヒットチャートには登場していない。曲の最後の「Breakaway(アーマ・トーマスやジャッキー・デシャノンで知られるオールディーズ・クラシック)」を思わせるパートも楽しい。
|