TOP10 HITS OF LAST CENTURY
Presented by meantime

■ Cash Box Top 100 Singles: Week ending October 13, 1973

01 Higher Ground - Stevie Wonder (Tamla)
02 Half-Breed - Cher (MCA)
03 Ramblin' Man - Allman Brothers Band (Capricorn)
04 Angie - Rolling Stones (Rolling Stones)
05 Keep On Truckin' (Pt. 1) - Eddie Kendricks (Tamla)
06 That Lady (Pt. 1) - Isley Brothers (T-Neck)
07 My Maria - B.W. Stevenson (RCA Victor)
08 China Grove - Doobie Brothers (Warner Bros.)
09 Midnight Train To Georgia - Gladys Knight & Pips (Buddah)
10 Free Ride - Edgar Winter Group (Epic)

 昭和48年10月第2週のキャッシュ・ボックスチャート、ナンバー1はスティービー・ワンダーの「ハイヤー・グラウンド」でした。

 1963年の「Fingertips (Part 2)(米1位)」でポップシーンに突然登場した盲目の“ちびっ子”スティービーは、当初の泡沫なイメージに打ち勝ち、60年代後半に入ってもヒットを連発。成人(21歳)を迎えた1970年代に入ってレコード制作に関する一切の権限(それと自分の財産の管理権)をモータウンから獲得した彼は一気に作風を深化させ、物凄いペースで神憑かり的な内容のアルバムを発表し始めます。

 今回の「Higher Ground」はその“神憑かり”期にあったスティービー3作目、一般に“三部作”と呼ばれる括りでいえば72年のアルバム「Talking Book」に続く第二幕の「Innervisions」に収録されていた作品。同アルバムからはレゲエとファンクを混ぜ合わせたようなハードなリズムのこの曲に加え、「Living For The City(米6位)」や、後にカバーバージョンも評価された「Don't You Worry 'Bout A Thing(米10位)」「Golden Lady」といった名曲が生まれ、当然のようにグラミー賞も獲得。この時期は「誰もスティービーのような凄いレコードは作れない」という雰囲気が音楽界に漂っていたようです。

 しかし、このような常軌を逸したペースの音楽制作は、次第にアーティスト自身や周囲の生活ペースを狂わせていきます。彼はこの前年に3年間続いたシリータ(彼女も歌手として活躍しました)との結婚生活に終止符を打ち、さらにこの年の8月には交通事故で瀕死の重傷を負うことになります。ポップス史を辿るとこのような例は結構多くあって、ある者はキャリアの絶頂期に命を落とし、またある者は精神のバランスを崩してリタイア。スティービーのように運良く一命をとりとめた者にもそのアクシデントは後の作風に大きな影響を及ぼすことになり、復帰後(1974年)の彼が発表したアルバムには、このハイテンションな一時期に区切りをつける「Fulfillingness' First Finale」という象徴的なタイトルが冠されました。

 1970年代のモータウンは、スティービーやマーヴィン・ゲイのように独自の音楽世界を築くアーティストが登場し、また本社もデトロイトからロサンゼルスに移転することにより、サウンドや制作体制が大きく変貌しました。その“ポスト・デトロイト”期のモータウンの様子が窺える作品が3曲このチャートに登場しているのであわせて紹介しておきましょう。

 まず5位「キープ・オン・トラッキン」のエディ・ケンドリックスは黄金期のテンプテーションズを支えたハイ・テナーシンガー。1965年に「My Girl(米1位)」が大ヒットして以降テンプスはバリトンのデヴィッド・ラフィンを中心に続々と名曲を生み出しましたが、その“ラフィン偏重”は彼の増長を招きました。ラフィンはシュープリームスのダイアナ・ロスよろしく、テンプスも“デヴィッド・ラフィンとテンプテーションズ”に改名しろと会社に迫ったり、それが叶わないとなるとグループを脱退してソロ活動を開始したりと好き放題。結果的にグループは看板を欠いての活動継続という事態に陥ります。

 結果的にその“危機”は後釜のデニス・エドワーズの力量と、プロデューサーのノーマン・ホイットフィールドによる“サイケデリック・ソウル”路線の大成功で、ダメージどころか新たな黄金期を迎え、一方のラフィンは第一弾の「My Whole World Ended(69年米9位)」こそ成功したものの、その後はサッパリ・・。ということでテンプス側は溜飲を下げたのでした。

 そんな経緯もあった数年後、今度はグループもう一方の雄、ケンドリックスがソロ活動を画策。彼は当初グループとソロを並行してやれれば・・と考えていたようなのですが、ソロになった途端に会社のお荷物となってしまったラフィン(彼のキャリアが再び上向きになるのは75年の「Walk Away From Love(米8位)」まで待たなければなりませんでした)の轍を踏まぬよう用心したのか、会社側は彼に「ソロをやるならグループは脱退。」と迫りました。

 結局ソロの道を選んだケンドリックスは、この「Keep On Truckin'」でナンバー1を獲得するばかりでなく、ソロアーティストとしても歴代ヒットメーカーのランクに名を列ねる程の成功を収めることになります。この曲に関して最も重要な点は、そのサウンド・プロダクションをはっきりとクラブ、またはディスコに焦点を絞ったところ。この当時の“ディスコ・ヒット”というと、このチャートでいえば9位の「Midnight Train 〜」なども入ると思いますが、それとは明らかに肌触りの違う、1970年代半ば以降大変な隆盛を見せる“ディスコ・サウンド”を先取りした曲として、時代の分岐点的な存在であると私は考えています。

 そして6位と9位には“元モータウン”組がランクイン。現在なお一線で活躍を続ける驚異的なグループ、アイズリー・ブラザーズは1950年代からヒットを飛ばすベテラングループでしたが、1960年代半ば、業績拡大を目指して既に実績のあるアーティストを次々と獲得していたモータウンに移籍して「This Old Heart Of Mine(66年米15位)」などのヒットを記録。しかしその関係は2年程で解消して自らのレーベル「T-Neck」を設立、当初のボーカルトリオに若いメンバーを加えた“3+3”編成に衣替えして69年の「It's Your Thing(米2位)」を皮切りに70年代有数のヒットメーカーに成長していきました。この曲は60年代前半にボサ・ノヴァ調のアレンジ(!)で発表していた作品をハードなギターソロをフィーチャーして蘇らせたもの。昨年の来日公演ではこの曲と「It's Your Thing」のメドレーをステージ前半で披露し、会場を大いに沸かせました。

 9位の「夜汽車よ!ジョージアへ」はグラディス・ナイトと兄弟たちの代表的なナンバー。彼女たちも1960年代前半からヒットを飛ばし、その後モータウンに請われて本拠を移したグループでしたが、当時のモータウンはデビュー当時から同社に育てられた生え抜きアーティストと“外様”では随分居心地の違うレコード会社だったそうで、生え抜き組と比べていい曲が回ってこないとか、そんな中やっと「I Heard It Through A Grapevine(67年米1位)」「The End Of Our Road(68年米11位)」といったヒットが生まれてもすぐにマーヴィン・ゲイがカバーを発表してお株を奪われてしまったりと、その扱いにひどい不満を持っていたそうです。

 長い目で見れば“モータウン・ファミリー”という肩書きは彼女たちにとって大変なプラスになったでしょうし、またキャリアを代表する大ヒットの幾つかもこの時期生まれた訳ですが、ともかくグループは8年間辛抱強く在籍し続けたモータウンを離れ、この年ブッダに移籍して「〜ジョージア」がナンバー1ヒット。その後立て続けにTOP10ヒットを重ね、名実共にトップグループの仲間入りを果たしました。

 R&B勢に随分スペースを使ってしまいましたが、ランクを戻って2位から再び。2位はお馴染みシェールの「ハーフ・ブリード」。1960年代半ば、ソニー・ボノとシェールは“ヒッピーの若夫婦”として音楽シーンに登場。その勢いはフラワー・ムーブメントの衰退とともに一旦低迷しますが、70年代に入ると今度は“元ヒッピー”のイメージをエンターテインメントに昇華させ、ヒットチャートに返り咲くばかりでなくTVタレントとしても大変な人気を博すようになります。ソロとしてもこの曲を始め次々と大ヒットが生まれるようになった彼女は次第にソニーから離れ次のステップへと進むことを考えるようになり、デュオとしてのレコーディングはこの年を最後に停止。更に2年後の75年には夫婦関係も解消してすぐさま次の相手と再婚を果たし、話題を呼びました。

 で、シェールがソニーと別れてすぐ、電撃結婚した相手がこの週3位に入っているオールマン・ブラザーズのグレッグ・オールマン。なんだか因縁めいたものを感じますね。シェールの話をもう少し続けると、離婚後も彼女はソニーとのTVの仕事を暫く継続。まるでアメリカの“唄子・啓介”のごときトークが展開されたようです。確かにソニーもどこか“エロガッパ”的風貌ですし、これはこれでTV的にハマったのかも知れません。。

 すみません、話を音楽に戻します。オールマン・ブラザーズはジョージア州で結成された南部ロックバンド。当初はここ何回かのこのコーナーで話題にのぼったアラバマ州マッスルショールズのレコーディングスタジオでセッションギタリストとして数々の名演を残したデュアン・オールマンのギタープレイが売り物でしたが、彼は71年にオートバイ事故で死亡。翌年もう一人メンバーをやはりオートバイの事故で失い、グループとして新機軸を打ち出すべき時期にこのカントリー色の強いロックナンバーが大ヒットしました。いやー、今回は人間模様を書いているだけで疲れてしまいます。

 グチャグチャした人間関係といえば、4位のローリング・ストーンズ「悲しみのアンジー」も負けてはいません。この曲のモデルとなったのはロック界で有名なグルーピーで、当時はデヴィッド・ボウイ夫人だった人。詞を書いたミック・ジャガーは、メンバーへの当てつけにその人の奥さんを寝とっちゃうような人ですから、これもそういう気配濃厚な気がしますが、一方でミックとボウイは一時恋人同士だったという話もあり・・。そこまで深い話になると、歌の真意など探ってみる気も起こらなくなりますね。

 残りの曲は簡単に。7位「マイ・マリア」はテキサス出身のシンガーソングライター、B.W.スティーヴンソンの代表曲。彼はこの前に発表した「Shambara(米77位)」がスリー・ドッグ・ナイトにカバーされたことで注目を集め(米1位)、よく似た曲調のこの曲が大ヒットとなりました。その音楽的には“ポップ・カントリー・シンガー”と呼んでしまいたくなる彼ですが、意外にもカントリーチャートへは一回も登場せず。その後ポップチャートでも成功を収めることができなかった彼でしたが「マイ・マリア」の方は96年にブルックス&ダンのカバーがカントリーチャートの1位を記録しました。

 8位の“マリファナ兄弟”ドゥービー・ブラザーズはポスト・ヒッピー的なイメージを漂わせつつ、その後の“西海岸ロック”更に“脳天気なアメリカン・ロック”の礎を築いていくことになります。もっとも、その“脳天気”の裏には深〜い心の闇があったりすることも、次第に解ってくるのですが。

 最後10位はエドガー・ウィンター・グループ。ブルースギターのカリスマ、ジョニー・ウィンターを兄に持つ彼は、兄同様アルビノで、そのストレートな白髪が非常にインパクトのあるルックスの持ち主でした。しかし、先に売り出された兄の存在が常にあるため、そのルックスも“カブって”しまい、またギタリストである兄に対し弟はサックスとキーボードと、ブルース・ミュージシャンとしては“弱い”感じは否めませんでした。

 そこで彼はバンドを結成、アンサンブルで勝負し、兄を遥かに上回るチャート成績を残しました。この曲はロニー・モントローズのギターをフィーチャーした「Frankenstein」のナンバー1ヒットに続いて発表したポップなボーカルナンバー。作曲はバンドのメンバーで、後にディスコ時代のプロデューサーとしても成功を収めるダン・ハートマン。


(2002.10.9)

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