TOP10 HITS OF LAST CENTURY
Presented by meantime

■ 洋楽ラジオ・チャート1974年間(その2)

11 アイ・ショット・ザ・シェリフ/エリック・クラプトン
12 デイトナ・デモン/スージー・クアトロ
13 青春の旅路/アート・ガーファンクル
14 ロック・ユア・ベイビー/ジョージ・マックレー
14 愛しのヘレン/ポール・マッカートニー&ウィングス
14 ユア・シックスティーン/リンゴ・スター
17 想い出のフォトグラフ/リンゴ・スター
18 荒野のならず者/スリー・ディグリーズ
19 愛のモッキンバード/カーリー・サイモン&ジェイムス・テイラー
20 ビーチ・ベイビー/ファースト・クラス

11位 I Shot The Sheriff - Eric Clapton('74米1位/英9位)
 数々のバンドを渡り歩き“ギターの神様”の名を欲しいままにしたエリック・クラプトンの、ソロ名義としては初のTOP10ヒット(英米ともに)にして全米ナンバー1ヒットがこの曲。ブルースから入りアメリカ南部のロックに傾倒した後に彼がたどり着いた「アイ・ショット・ザ・シェリフ」はボブ・マーリーの代表曲をカバーしたもので、70年代の一時期ロック・シーンの一角を占め続けたレゲエ(当初は“レガエ”)台頭の呼び水となった。ヒット作を連発する一方彼はこの当時薬物中毒者としてもロック界トップクラスの存在であり、当時からのファンで、近年の彼の熟練エンターテイナーぶりをこの時期から予測していた者は恐らく皆無と思われる。
12位 Daytona Demon - Suzi Quatro('73英14位)
 UKチャートに彗星のごとく登場したアイドルロッカー、スージー・クアトロは、現在でいえばアヴリル・ラヴィン的存在のアーティスト。登場時のイメージからは意外だが、彼女はデトロイト出身のアメリカ人で、ベトナムでの慰問演奏の経験も持つなかなかのベテランであった。この曲は「Can The Can('73英1位/'76米56位)」に始まる彼女の長いヒットリストの3番目に当たる曲で、プロデューサーのニッキー・チン&マイク・チャップマンが同時期に手がけていたスウィートの作風にも通じるタイプの“ハード・グラム”調。レザー・スーツに身を固めた彼女は当時日本では「サディスティック・ロックの女王」というキャッチフレーズもつけられたが、その音楽性は次第にポップ色を増していくこととなる。
13位 Traveling Boy - Garfunkel('74米102位)
 サイモン&ガーファンクル解散後しばらくソロ活動のなかったアートがようやくソロアルバムを発表したのが1973年で、そのファーストアルバム「天使の歌声」の冒頭に収録されていたのが「青春の旅路」。1990年代以降日本で“ソフトロック”を代表する存在として本国を凌ぐ評価を得ているポール・ウィリアムスとロジャー・ニコルスのコンビによるこの曲は、アルバムから3枚目のシングルということもあって振るわなかった本国とは対照的に、日本では大ヒットとなった。デュオ時代からツアーやレコーディングの合間には放浪の旅を愛し、来日時も移動は交通機関を使わず、自転車や徒歩で済ませてしまうという彼のテーマソング的な一曲でもある。
14位 Rock Your Baby - George McCrae('74米1位/英1位)
 この年にはいよいよ“ディスコ”が洋楽チャートの上位に進出、以降70年代いっぱい音楽シーンを賑わせていくこととなる。フロリダ出身のジョージ・マックレーが歌った「ロック・ユア・ベイビー」の作者はハリー・ウェイン・ケイシーとリチャード・フィンチの2人で、彼らはその後「K.C.&ザ・サンシャイン・バンド」としてディスコ・ブームを牽引していく存在へと成長する。後に「T.K.サウンド」と称されるようになる軽快なシャッフル・ビートとギター・サウンドは非常に心地よく“マイアミ・ソウル”の神髄と言っていいかも知れない。彼はその後も奥さんのグウェン・マクレーとともに、70年代いっぱいマイアミ発のR&Bヒットを放ち続けていくこととなる。
14位 Helen Wheels - Paul McCartney & Wings('73米10位/英12位)
 73年に発表し約2年に亘って米アルバム・チャートに居座り続けた大ヒットアルバム「Band On The Run」からは数々のヒットが生まれたが、結果的にそこからの先行シングル(マッカートニーは当初アルバムに収録するつもりはなかったという)となったのが「愛しのヘレン」。これは同じタイプのリズム・パターンが延々と続く“ブギ・ロック”調で、メロディアスなフレーズや曲調が目紛しく変わるなど“マッカートニーらしさ”を期待するとちょっと肩透かしを喰うことになるか。とはいえアルバムは大ヒットを記録、アメリカではナンバー1、イギリスでもその年最も売れたアルバムとなり、現在もマッカートニーの代表作とみなされている。ここからの第2、第3シングルが「〜ヘレン」を凌ぐ成績を収めたことは別に紹介するとおり。
14位 You're Sixteen - Ringo Starr('73米1位/英4位)
 元ビートルズの中で“音楽性よりキャラクター”というスタンスを保ったリンゴ・スターは、ソロ活動に入ってからもかつてのバンドメンバーたちの“リトル(?)ヘルプ”に支えられながら70年代の一時期大ヒットを次から次へと生み出す“セレブ・シンガー”であった。ジョニー・バーネット1960年の大ヒットをカバーしたこの曲はビートルズの4人が久々に一枚のアルバムに名を列ねた大ヒットアルバム「Ringo」からの2枚目のシングルで、間奏のカズーを吹いているのはポール・マッカートニー。グループは解散しながらも全員が同じレーベルに在籍し、ヒットチャートで競い合いながらファミリーとして機能していたこの時期が、彼らにとってもファンにとっても一番楽しかったのかもしれない。
17位 Photograph - Ringo Starr('73米1位/英8位)
 リンゴにとって最大のヒットアルバム「Ringo」の先行シングルである「想い出のフォトグラフ」は彼とジョージ・ハリスンの共作曲で、レコーディングにはジョン・レノンも参加。プロデュースはリチャード・ペリーだが、時折かつての“スペクター・サウンド”を彷佛させる部分もあるノスタルジックな雰囲気を持った壮大なR&Rで、彼のソロ・キャリアを通じて1、2を争う名曲。73〜74年にかけての洋楽チャートで彼は“リンゴ全盛期”ともいえる驚異的な成績を残しており、その人気ぶりにアルバム制作に手を貸した元ビートルズたちは皮肉まじりに「その成功にあやかりたいから、今度は君が俺に曲を提供してよ。」と言ったとか言わなかったとか。
18位 Dirty Ol' Man - The Three Degrees
 「日本で最初のディスコ・ヒットは何か?」という問題には諸説あると思うが、当時の音楽ファンに与えたインパクトという点では、オージェイズの「Back Stabbers(『裏切り者のテーマ』'72年間25位)」を第一号としていいのではないかと思う。彼らを送り出したフィラデルフィアのR&Bシーンで、とりわけ日本の音楽ファンの関心を惹いたのが当初はアーティストの引き立て役的ポジションにいた女性3人組スリー・ディグリーズで、彼女たちは日本とイギリスで本国を遥かに凌ぐ人気を獲得した。「荒野のならず者」はアメリカではR&Bチャートで最高58位にとどまる小ヒットに終わったが、日本では「裏切り者のテーマ」の続編的受け止められ方をしたのか、これだけのヒットを記録している。
19位 Mockingbird - Carly Simon & James Taylor('74米5位/英34位)
 前年我が国で大ブレイクを果たしたカーリー・サイモンと、当時彼女の夫だった(83年に離婚)ジェイムス・テイラーの“おしどりデュエット”。この曲はトラディショナル・ソングを元にしたものだそうだが、コーラスのスタイルは63年にチャーリー&アイネズ・フォックス(こちらは兄妹グループ)がヒットさせたバージョンから大いにヒントを得ている。本国では多くのヒットを持ち、日本でも「君のともだち」他馴染みの曲の多いテイラーだが、当時ラジオでの人気はいま一つだったようで、この曲で洋楽年間チャート初登場。彼が次に登場するのは80年代に入ってから、J.D.サウザーとのデュエット「Her Town Too(『憶い出の町』'81年間23位)」まで待たねばならなかった。
20位 Beach Baby - First Class('74米4位/英13位)
 70年に「恋のほのお」の大ヒットを放ったエジソン・ライトハウスでリードボーカルを務めていたトニー・バロウズや、60年代にアイヴィ・リーグやフラワー・ポット・メンのメンバーとしてイギリスで活躍したジョン・カーターらが集まったスタジオ・ユニットがファースト・クラス。ビーチ・ボーイズをはじめとした1960年代のハーモニー・ポップグループへのオマージュといえる「ビーチ・ベイビー」は、人気を盛り返しつつあった本家ビーチ・ボーイズをも凌ぐ大ヒットをアメリカで記録した。曲の後半で聴けるオーケストラとコーラスのメロディは、それから10年後にストロベリー・スイッチブレイドの「二人のイエスタディ('85年間50位)」に引用され、再び洋楽ファンの話題となる。


(2005.2.1)

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