TOP10 HITS OF LAST CENTURY
Presented by meantime

■ 洋楽ポピュラーシングルチャート 1974.1.25

01 イエスタデイ・ワンス・モア/カーペンターズ(A&M)
02 ジャンバラヤ/カーペンターズ(A&M)
03 私はシャンソン/ダニエル・ビダル(Riviera)
04 悲しみのアンジー/ローリング・ストーンズ(Rolling Stones)
05 思い出のフォトグラフ/リンゴ・スター(Apple)
06 トップ・オブ・ザ・ワールド/カーペンターズ(A&M)
07 落ち葉のコンチェルト/アルバート・ハモンド(Epic)
08 いとしのヘレン/ポール・マッカートニーとウイングス(Apple)
09 グッドバイ・イエロー・ブリック・ロード/エルトン・ジョン(DJM)
10 涙のトッカータ/ポール・モーリア・グランド・オーケストラ(Philips)

 邦楽チャートでは小坂明子の「あなた」がナンバー1を記録していたこの頃、洋楽チャートの1位はカーペンターズの「Yesterday Once More(米2位)」でした。

 この時期日本の洋楽シーンのキーワードを一つだけ挙げるとすれば、間違いなくそれは「ナウ・アンド・ゼン」でしょう。カーペンターズが前年に発表したこのアルバムは、片面を新曲が占め、もう片面が60年代のオールディーズナンバーのメドレーという変則的な構成。そもそもこの企画のきっかけはハイペースなアルバムリリースとツアー生活に明け暮れる中で、アルバム用にどうしても新曲を揃えることが出来なかったという事情から、ステージで好評だったオールディーズメドレーをDJ付きで(これもステージでやっていたそうです)録音して片面を埋めようという苦肉の策だったようなのですが、これが大当たりました。

 当時アメリカの音楽界は、60年代末から続くR&Rのリバイバル・ブームが頂点を迎えつつある時期にありました。前年の73年には若き日のジョージ・ルーカスが1962年夏の一夜を舞台にした映画「アメリカン・グラフィティ」を大ヒットさせ、明けてこの年には60年代を舞台にしたドラマ「Happy Days」のテーマ曲に使用されたビル・ヘイリーの「(We're Gonna) Rock Around The Clock」がリバイバルヒット(39位)、更にビーチボーイズの初期の作品を集めたベストアルバム「Endless Summer」がナンバー1を記録し、シングルカットされた「Surfin' U.S.A.」も再びTOP40入り(36位)と、ロックシーンの混迷の反動なのか、かつての幸福な時代のポップスが求められていました。そこに登場したのがこの「ナウ・アンド・ゼン」。彼らは図らずも時代の要求に100%フィットした作品を発表してしまったのでした。

 アルバムの曲目リストを見るとリチャード・カーペンターのオリジナル曲は一曲のみ、中には「I Can't Make Music(僕には音楽なんか作れない)」なんて曲まで収録されていて、彼らの行き詰まりが感じられる内容でさえあるのですが、唯一のオリジナル曲「イエスタデイ・ワンス・モア」が全てを救いました。

 「小さい頃、ラジオの前で大好きな曲がかかるのをじっと待っていた・・」で始まるこの曲は、どんな国に、どんな時代に生まれても、ラジオから流れる音楽に親しんだ人であれば誰だって共感できる内容でしょう。この曲の存在が、オールディーズのメドレーも、新曲で固められているはずのA面に何故か収録されている、ハンク・ウイリアムスのカントリークラシック「ジャンバラヤ」でさえも何だかロマンチックなものに聴こえさせてしまう。これはリチャード・カーペンターのコンセプト・メイカーとしての勝利ですね。

 ・・何だか今回は「ナウ・アンド・ゼン」のライナーノーツのようになってきてしまったので、いい加減話を先に進めましょう。カーペンターズのシングルはこのチャートに全部で3枚がランクインしています。「イエスタデイ〜」は既に触れたのでおいといて、アルバムからもう一曲登場しているのが2位の「ジャンバラヤ」。同アルバムからは最初に「Sing(73年3位)」がヒット、続いて「イエスタデイ〜」がロングヒットとなり、アルバムの人気が衰えないところでもう一曲、と日本独自に選ばれたのがこの曲。シングルとしてはちょっと弱い感が否めませんが、なにしろアルバムの半分がメドレーなので、シングルカットできる曲が少ない中での選択なのでしょう。

 もう一曲、前回紹介したチャートにも登場していた「Top Of The World(米1位)」も6位に再びランクイン。この一年前に日本では早々にシングルカットされヒットを記録しましたが、当時アメリカではシングル発売の予定はなし。しかしその後リン・アンダーソンのカバーがヒットし(74位、カントリーでは2位)、ようやく本家も録り直しの上でのシングル発売を決断。彼らにとって2曲目のナンバー1ヒットとなりました。

 カーペンターズ以外の曲の紹介に移ります。3位はフランスのダニエル・ビダル「私はシャンソン」。60年代後半よりコンスタントに日本でヒットを放ち続けていた彼女、この曲はかつての可憐なフレンチポップからイメージを変え、ファンキーな演奏にのった歌を聞かせて時代の移り変わりを感じさせます。ファズトーンがやや耳障りなこのヒットを最後に、彼女が以降日本のヒットチャートに登場することはありませんでした。

 続いて4位はローリング・ストーンズの「Angie(米1位)」。これは当時デヴィッド・ボウイ夫人だったアンジーをモデルに書かれたバラードで、彼らにとって約2年ぶりのナンバー1ヒット。そういえばアンジーはデヴィッドと80年に別れた際に「結婚中に見たこと聞いたことを絶対に第三者に売らない」ことを条件に多額の口止め料を受け取る契約を結んでいたそうで、数年前に一時その契約が切れた時はTVショーに出演して「部屋の電気をつけたら、ベッドから全裸のデヴィッドとミック・ジャガーが飛び出してきて・・」なんてことを口走り、慌てたボウイは契約の更新を申し出たとか。バラす方もバラす方ですが、やる方もやる方・・というお話。

 5位と8位には元ビートルズが登場しています。5位はリンゴの「Photograph(米1位)」。元バンドメイトが挙って参加した、この曲を含むアルバム「Ringo」は大成功を収め、彼は短期間ながらも華々しいヒットチャート上の活躍を見せました。因みにこの曲はジョージ・ハリスン提供。そして8位はポールの「Helen Wheels(米10位)」。この頃になると彼はビートルズの幻影を断ち切り、新しいバンド、ウイングスのサウンドを完成させつつある時期に差しかかります。その成果が表れたのが、この直後にリリースされた「Band On The Run」。タイトル曲はナンバー1となり、アルバムは現在も彼の最高傑作の一つに数えられています。なお他の元ビートルズのうち、ジョンはこの年エルトン・ジョンと組んで「Whatever Gets You Thru The Night」を、ジョージは前年に「Give Me Love - (Give Me Pease On Earth)」をナンバー1に送り込んでおり、73〜74年にかけて、元バンドメンバー全員がヒットチャートの1位を奪い合うという賑やかな時期を過ごしていました。

 7位は日本のみヒット。アルバート・ハモンドはこの時期「カリフォルニアの青い空(「It Never Rains In Southern California」72年米5位)」をきっかけにアメリカでスマッシュヒットの山を築いていましたが、日本で「カリフォルニア〜」に匹敵するヒットとなったのは、それらとはまったく別の「For The Peace Of All Mankind」でした。エルトン・ジョンタイプのドラマチックなバラードで、これは確かにいい曲。そういえば彼、この数年前に特に日本で当たった「孤独の夜明け(「One Night Stand」71年米74位)」のマジック・ランタンにも在籍していたというし、妙に日本のみヒットに縁のある人ですよね。

 で、ドラマチックという点では「落ち葉のコンチェルト」にひけを取らないのが9位のエルトン・ジョン「Goodbye Yellow Brock Road(米2位)」。現在もドラマやCMに使用され続けているこの曲がタイトルに冠されたアルバム「黄昏のレンガ路」は彼のキャリアのピークを示した名作。ここからはナンバー1を記録した「Bennie And The Jets」や、後にギネス級のヒットとなる「Candle In The Wind」のオリジナルバージョンも生まれました。

 最後10位は出ました、ポール・モーリア。この「Toccata」はチェンバロの奏でる音色が美しいミドルテンポの曲。彼が日本の洋楽界で果たした役割は非常に大きいものがあると思うのですが、それについてはこの数年後、未だ多くの人々に口ずさまれ続けているあの代表曲が登場した時にでもゆっくりと。


(2001.1.10)

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