TOP10 HITS OF LAST CENTURY
Presented by meantime

■ 洋楽ラジオ・チャート1975年間(その2)

11 愛ある限り/キャプテン&テニール
12 タワリング・インフェルノ〜愛のテーマ〜/モウリーン・マクガヴァン
13 呪われた夜/イーグルス
14 ソリテアー/カーペンターズ
15 君の胸に抱かれたい/ドゥービー・ブラザーズ
16 愛がすべて/スタイリスティックス
17 バイ・バイ・ベイビー/ベイ・シティ・ローラーズ
18 ディン・ドン/ジョージ・ハリスン
19 アイム・ノット・イン・ラヴ/10CC
20 ダンス・ザ・カンフー/踊れ!ドラゴン/カール・ダグラス

11位 Love Will Keep Us Together - Captain & Tennille('75米1位/英32位)
 ビーチ・ボーイズのサポート・メンバーを務めていたダリル“キャプテン”ドラゴンは、サンフランシスコでとあるミュージカル公演を手伝った際に知り合ったトニ・テニールをツアーに誘い、その後デュオで活動を開始(74年に結婚)。ビーチ・ボーイズナンバー「Disney Girls」の自主制作盤をもって各レコード会社に売り込んだところA&Mが契約を申し出、同社に所属していたカーペンターズのアダルト版的ポジションでデビューを果たした。「愛ある限り」はこの年アメリカで復活し一大ブームを巻き起していたニール・セダカのアルバム「セダカズ・バック」収録曲のカバーで、おしどり夫婦が愛の絆を歌うという設定が好感を持って受け入れられナンバー1ヒットに。彼らはその後も度々セダカ作品を取り上げている。
12位 We May Never Love Like This Again - Maureen McGovern('75米83位)
 映画界でこの頃流行していたのが「パニック映画」。船や潜水艦、地下鉄から海でサメが暴れまくる「ジョーズ」まで、様々なパターンで観客の度胆を抜く“ジェットコースター系”映画が盛んに制作されたが、中でも当時の観客に強烈な印象を残したのが、ビル火災をテーマにした「タワーリング・インフェルノ」。73年に「ポセイドン・アドベンチャー」の主題歌「モーニング・アフター」で全米ナンバー1を獲得したモウリーン・マクガヴァンが、それと全く同じスタイルで歌ったこの曲はチャート成績こそ振るわなかったものの、74年のアカデミーで最優秀歌曲賞を受賞している。やたらとスケールの大きいパニック映画に、テーマ曲で女性シンガーの大仰なバラード、というこのパターンは、この約20年後に映画「タイタニック」でも再現される定石となった。
13位 One Of These Nights - Eagles('75米1位/英23位)
 リンダ・ロンシュタットのバックバンドを務めたことがきっかけでメジャー・デビューへの道を歩み始めたイーグルスは、メンバー全員が今となっては各々伝説的な存在となっている西海岸のカントリー・ロックバンド出身のつわもの揃いであった。バンジョーやペダル・スチールに、乾いたギター、といった典型的な“カントリー・ロック”のイメージから一歩踏み出し、よりヘビーなギターサウンドを導入した4枚目のアルバム「One Of These Nights」はこの年彼ら初の全米ナンバー1を獲得、70年代を代表する“モンスター・バンド”の座へ数年間で駆け上ることとなる。我が国洋楽史的には明るくオシャレな(と日本では思われた)“ウエスト・コースト・ロック”のイメージを一般化させたのが、この時期以降の彼らではなかったかと思われる。
14位 Solitaire - The Carpenters('75米17位/英32位)
 再びニール・セダカナンバーの登場。セダカの復活は本国より一足早くイギリスで為されており、かの地で1972年に制作されたアルバムが「Solitaire」。後に“10CC”と名乗ることになるバンド、ホットレッグスがバックを務めたこのアルバムの何曲かは75年にアメリカでの復活作となった「セダカズ・バック」に収められ、そこから更にカーペンターズによるこの曲のカバー(アルバム「ホライズン」収録)がヒット・・と成功の連鎖反応が続いた。キャプテン&テニール、カーペンターズそして勿論本人と、1975年の全米TOP40は大変なセダカ濃度だった訳だ。因みに彼の復活ヒット「Laughter In The Rain(『雨に微笑みを』米1位/英15位)」は、この年間チャートでは61位といま一つな成績に終わっている。
15位 Take Me in Your Arms (Rock Me) - The Doobie Brothers('75米11位/英29位)
 イーグルスとともに“ウェスト・コースト・ロック”隆盛の一端を担ったバンドがドゥービー(=マリファナ)ブラザーズ。そのバンド名のとおりヒッピー文化の影響下にあったグループだが、作を重ねるにつれポップさを増し、74年のアルバム「What Were Once Vices Are Now Habits(ドゥービー天国)」に収録されていた「Black Water」の全米ナンバー1で人気は全国クラスに。続いてこの年リリースした「スタンピード」はスティーリー・ダンから移籍したジェフ・バクスターがイニシアチブをとり、より“抜けた”サウンドに仕上がった。モータウンの女性シンガー、キム・ウェストンのヒット('65米50位)のカバーであるこの曲もブラスとストリングスがスケールの大きな音像を作り上げており、各国で好評を博している。
16位 Can't Give You Everything (But My Love) - The Stylistics('75米51位/英1位)
 フィラデルフィア出身の“スウィート・ソウル”グループ、スタイリスティックスは、トム・ベルのプロデュースで70年代前半に数々の大ヒットをポップやR&Bチャートに残したが、数年後ベルがスピナーズに乗り換えより大きな成功を収め始めると方向転換、ベテラン・コンビ、ヒューゴ&ルイジの制作でよりポップな作風を展開するようになった。それに伴い全米チャートの成績は下降線をたどったが、替わりにヨーロッパでの人気が爆発。約1年遅れで日本でもその人気に火がついた。「愛がすべて」はこの時期の彼らを代表するナンバーでイントロのトランペットが我が国各地のディスコで大受け、イギリスや日本では初期ディスコの大ヒットナンバーの一つとして多くの音楽ファンの記憶に残されている。
17位 Bye Bye Baby - Bay City Rollers('75英1位)
 いよいよ70年代を代表するアイドルバンド“BCR”が登場。彼らの結成は1967年と意外に古く、71年には「Keep On Dancing(英9位)」のヒットを放っているが、その人気が本格化するのはエジンバラ出身のボーカリスト、レスリー・マッコーエンが加入した74年から。以降TOP10ヒットを連発し、フォー・シーズンズ65年のヒット(米12位)をカバーしたこの曲で初の全英ナンバー1を獲得、その人気は日本にも波及した。イギリスではこの当時既に“ローラー・マニア”と呼ばれるヒステリックな人気の盛り上がりが見られたが、この時点の日本はまだそれほどの状態ではなく、この年の暮から翌新年にかけて全米ナンバー1となった「サタデー・ナイト」をきっかけに空前の「タータン旋風」が巻き起こることとなる。
18位 Ding Dong; Ding Dong - George Harrison('75米36位/英38位)
 離婚した夫婦(しかも複数組)が同居しているような状態だったアップル・レコードに終焉の時が近づき、ジョージ・ハリスンも自己のレーベルを立ち上げて独立を図る時期が到来した。そんな彼が74年に設立した新レーベルが「ダークホース」だが、アップルとの契約がまだ残っているためそこから新作が発表出来ない彼はよりによって「ダークホース」という名のアルバムを制作し、これを引っさげた全米ツアーで次のプロジェクトのプロモーションを行うという奇想天外な策に出た。制作の遅れとツアー中に声帯を傷めたことで評判は芳しくなかったこのアルバムから生まれたヒットが「ディン・ドン」で、妙に明るい曲調にもどことなく空虚な雰囲気を感じるのは、深読みのし過ぎだろうか。
19位 I'm Not In Love - 10 CC('75米2位/英1位)
 業界のベテラン、エリック・スチュアートとグレアム・グールドマンにポップ・レコード制作の“アルバイト”を通じて加わったケヴィン・ゴドレーとロル・クレームの4人によって結成された“ブリット・ポップ”グループが10CC。72年のグループ発足当初からイギリスでは大変な人気を博していた彼らの最高傑作が「アイム・ノット・イン・ラヴ」で、スチュアート&グールドマンの持つポップさと、ゴドレー&クレームの前衛指向がハイレベルに融合した70年代屈指の名曲に仕上がっている。奇跡的なバランスの上に生まれた曲だけにこの状態を保つことは困難だったようで、翌年にグループは2派に分裂。前者が残った10CCは凡庸なポップ・グループとなり、ゴドレー&クレームは風変わりな音楽や映像のエキスパートへ転身した。
20位 Dance The Kung Fu - Carl Douglas('74米48位/英35位)
 インド系イギリス人のプロデューサー、ビドゥは、74年にディスコ・レコードの制作を依頼され、ボーカルに以前仕事で面識のあったジャマイカ出身のシンガー、カール・ダグラスを起用した。レコーディングを終えたビドゥはダグラスにシングルB面を埋め合わせる作品はないか尋ねたところ、持ち出されたのがノベルティ系のダンス・ナンバー「Kung Fu Fighting(吼えろドラゴン)」だった。短時間で録音されたこの曲だったがレコード会社及びリスナーの反応はA面曲より遥かに大きく、こちらをメインにリリースしたところ数ヶ月後には英米でナンバー1を記録。日本で「吼えろ〜」は年末をまたいだせいか年間チャートで大した成績を残していないが、続いてリリースされた明らかに二番煎じの「踊れ〜」も“ドラゴン・ブーム”にのってこれだけの成績を残している。


(2005.3.1)

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