TOP10 HITS OF LAST CENTURY
Presented by meantime

■ 洋楽ラジオ・チャート1976年間(その2)

12 幸せのノック/ポール・マッカートニー&ウィングス
13 16小節の恋/スタイリスティックス
13 ロックン・ロール・ラヴレター/ベイ・シティ・ローラーズ
15 シェイク・ユア・ブーティ/K.C.&ザ・サンシャイン・バンド
16 ロックでつっ走れ/バッド・カンパニー
17 ミスター・メロディ/ナタリー・コール
18 恋のブギー/シルバー・コンベンション
19 一人ぽっちの囁き/オリビア・ニュートン・ジョン
20 恋は火の鳥/5000ヴォルト

12位 Let 'Em In - Wings('76米3位/英2位)
 グラミー賞の獲得、全米ツアーの大成功と向かうところ敵なし状態だったこの時期のウィングス。ポール・マッカートニーはバンドにより民主的なイメージを持たせるため、この年にリリースしたアルバム「Wings At The Speed Of Sound」をメンバー全員が一曲はボーカルをとるという構成にした。同作から2枚目のシングルであるこの曲は彼ならではのメロディが冴えるリラックスしたムードの佳曲で、サビの部分に次々と登場する人名の中にはマーティン・ルーサー・キングの名も聞けるが、フィラデルフィアのR&Bシンガー、ビリー・ポールはこれをヒントに翌年キング師の演説をフィーチャーしたカバー・バージョンを発表、イギリスのヒットチャートに送り込んでいる(最高26位)。
13位 Sixteen Bars - The Stylistics('76英7位)
 74年から76年にかけて、イギリスに於けるスタイリスティックスの人気は異常ともいえる盛り上がりを見せており、彼らが発表するシングルが次々と全英TOP10にランクインするばかりでなく、ダイアナ&マーヴィン、ジョニー・マティスといったアーティストによる彼らのカバー作品までもが次々と大ヒットを記録する状態であった。日本でも彼らの人気は高く、この年は武道館公演まで実現。「70年代のプラターズ」の異名をとるほどの幅広い支持を得た。「16小節の恋」は彼らのヒットの中では地味な方の曲だが、日本でこれだけの人気を博した理由はひとえに大ヒット「愛がすべて」と同様、イントロでトランペットが派手にフィーチャーされていたことに尽きるだろう。
13位 Rock And Roll Love Letter - Bay City Rollers('76米26位)
 BCRのアメリカにおける発売元、アリスタ・レコードの社長クライヴ・デイヴィス(現Jレコード社長)はアメリカの音楽市場向けにどのような曲を送り込めば成功するかという感覚に大変長けており、独自にシングルカット曲を決めてはそれを次々と的中させていった。「ロックン・ロール・ラヴレター」はかつてダリル・ホールとともに「ガリバー」というバンドで活動していたシンガーソングライター、ティム・ムーアの作品で、彼自身も何枚かのアルバムを残している。彼の作品で最も成功したのは「Second Avenue」という曲で、彼自身のバージョンが小ヒット('74米58位)を記録したばかりでなく、アート・ガーファンクルによるカバーがTOP40入り(同34位)を果たしている。
15位 (Shake, Shake, Shake) Shake Your Booty - KC and The Sunshine Band('76米1位/英22位)
 74年に「Rock Your Baby」の全米ナンバー1ヒットで俄然注目を集めた“T.K.サウンド”の仕掛け人であるハリー・ウェイン・ケイシーとリチャード・フィンチの2人は、翌年には「サンシャイン・バンド」として自らヒットチャートに進出。ディスコ・ブームの時代に忘れがたいダンスヒットの数々を残した。彼らの代表曲といえばなんといっても「That's The Way (I Like It)('75米1位)」だが、この当時の洋楽年間チャートの成績は今ひとつで、ランクは32位にとどまっている。続くこちらの方が日本では評判がよく、見事TOP20入り。「(振れ振れ振れ)尻を振れ」などというタイトルの曲が全米1位になるのはどうかという気もするが、考えてみたら近年もこの手はヒップホップ系に結構ある。
16位 Run With The Pack - Bad Company
 60年代後半、ブルース色の強いロックバンド「フリー」のボーカリストとして注目を集めたポール・ロジャースが、続いて73年に結成したグループがバッド・カンパニー。ブリティッシュ・ロックの名バンドだが、その彼が約30年後、まさかクイーンのボーカルを務めることになるとは・・。「ロックでつっ走れ」は彼ら3作目のアルバムのタイトル・トラックで、日本独自のヒット。「Can't Get Enough('74米4位/英15位)」や「Rock 'N' Roll Fantasy('79米13位)」といった代表曲を凌ぐ好成績の理由は、この時期彼はTVドラマ「夜明けの刑事」の挿入歌を歌っており(日本人女性と結婚した彼の義姉がドラマのプロデューサーだったそうだ)、その話題性がかなり大きかったのではないだろうか。
17位 Mr. Melody - Natalie Cole('76米49位)
 日本でも大変な人気があったナット・キング・コールの娘ということで、そのデビューが話題になったナタリー・コール。75年にレコード・デビューを果たした彼女が打ち出した路線は父親譲りのジャズやポップ・ソングではなく、コンテンポラリーなR&Bで、そのバックには常にプロデューサー/ソングライターコンビ、チャック・ジャクソンとマーヴィン・ヤンシーがついていた。「ミスター・メロディ」もやはりジャクソンとヤンシー(この年ナタリーと結婚している)の作品で、この年の「東京音楽祭」でグランプリを獲得。音楽祭を主催していたのがTBSなので当然の如く(?)この年間チャートでも上位に食い込む大ヒットとなり、彼女の日本における代表曲となった。
18位 Get Up and Boogie (That's Right) - Silver Convention('76米2位/英7位)
 70年代初頭に火がついたディスコ・サウンドは数年で世界中に広がり、70年代半ばを過ぎるとヨーロッパ各国で制作されたダンスナンバーがアメリカに逆輸入され、ヒットチャートを賑わすようになった。中でも70年代後半に猛威を振るったのがドイツの“ミュンヘン・サウンド”で、そのハシリとなったのがシルヴァー・コンヴェンションであった。シルヴェスター・リヴェイとマイケル・クンツという2人のスタジオ・ミュージシャンによって作られた75年の「Fly Robin Fly」はその無機質なビートとストリングスが新鮮に受け止められたのか全米ナンバー1を記録、続くこの曲もチャートのトップに輝く寸前まで上昇した。以降我が国の洋楽の一つの流れを形成する“ユーロ・ディスコ”の元祖的存在。
19位 Come On Over - Olivia Newton-John('76米23位)
 前年「そよ風の誘惑」の大ヒットでたちまち人気アーティストの仲間入りを果たしたオリビアの数多いアルバムの中でも、特に人気が高い一枚がこの年にリリースされた「Come On Over(水の中の妖精)」。これはジャケット写真のよさも理由の一つになっているのだと思うが、そこからカットされたタイトル・トラック(しかし日本語のタイトルは全く違う)がこの曲。オリビアと同じくオーストラリアで成功の糸口を掴んだビー・ジーズのバリーとロビンによる作品で、彼らの復活作であるアルバム「メインコース」に収録されていた。まったくの余談になるがこの曲の当時の邦題は「一人“ぼ”っち」ではなく「一人“ぽ”っち」。日本語としてこの表記は正しいのだろうか?
20位 I'm On Fire - 5000 Volts('75米26位/英4位)
 再び“ユーロ・ディスコ”の登場。こちらはイギリスで制作されたもので、セッション・シンガーが集められ「エアバス」というグループ名で「Bye Now」というシングルが西ドイツでリリースされたのがそもそもの始まり。これを本国でリリースする際に名前を「5000ヴォルト」に改め、B面に収録されていた「I'm On Fire」をプッシュしたところ大成功、その評判は大西洋を越えてアメリカにまで届いた。スペインのロックバンド、ロス・ブラボスが1966年に放ったヒット「Black Is Black(米4位)」を思わせるリフにのって熱く歌っている女性シンガーはティナ・チャールズで、彼女はその後ソロ名義で「恋のレディ・ダンス」他多くのディスコ・ヒットを放つこととなる。


(2005.3.22)

Flashback Home 


copyright (c) 2000-2005 by meantime, all rights reserved.