TOP10 HITS OF LAST CENTURY
Presented by meantime

■ 洋楽ポピュラーシングルチャート 1976.1.25

01 愛がすべて/スタイリスティックス(Avco)
02 ザッツ・ザ・ウェイ/K.C.&ザ・サンシャイン・バンド(RCA)
03 サタデイ・ナイト/ベイ・シティ・ローラーズ(Arista)
04 ハッスル/バン・マッコイとスタイリックス・オーケストラ(Avco)
05 チャイニーズ・カンフー/バンザイ(Over Seas)
06 ディスコ・ベイビー/バン・マッコイとスタイリックス・オーケストラ(Avco)
07 フライ・ロビン・フライ/シルバー・コンベンション(Victor)
08 オリーブの首飾り/ポール・モーリア・グランド・オーケストラ(Philips)
09 キング・コングNo.1/ジミー・キャスター・バンチ(Atlantic)
10 ジョーズ/ジョン・ウィリアムス(MCA)

 邦楽チャートでは現在も売上歴代ナンバー1「もぁーいにち、もぁーいにち」の子門真人「およげ!たいやきくん」がチャートのトップを独走していた昭和51年1月、洋楽チャートのナンバー1はスタイリスティックスの「Can't Give You Anything (But My Love)(英1位/米51位)」でした。

 フィラデルフィア出身のR&Bグループ、スタイリスティックスがアメリカのヒットチャートでブレイクしたのは1971年のこと。60年代後半より盛り上がりを見せ始めていたフィラデルフィアのソウル・シーンを牽引していたのは、フィラデルフィア・インターナショナルを設立するケニー・ギャンブルとレオン・ハフの2人でしたが、もう一人忘れてはならない重要人物がいました。それがトム・ベル。

 ギャンブル&ハフの制作スタッフとして数々の名作に携わってきたトム・ベル、彼はやがて単独でもプロデュースを行うようになり、その中でブレイクさせたのがスタイリスティックスでした。ラッセル・トンプキンスJr.のファルセットボイスを武器に彼らは「You Are Everything(米POP9位/R&B10位)」でブレイク。特にR&Bチャートでは71年から74年にかけて発表したシングルすべてをTOP10入りさせる大活躍を見せ、ボーカルグループ戦国時代の70年代前半のシーンで、ずば抜けた人気を誇る存在となりました。

 しかし、74年になるとそれまで彼らの成功を導いてきたベルが、同じくR&Bボーカルグループのスピナーズのプロデュースに精力を傾注。そこからは名作が次々と生まれ、スピナーズはスタイリスティックスを上回る大物となるのですが、そこら辺はまた別の機会にじっくりと。で、残されたスタイリスティックスはプロデューサーコンビのヒューゴとルイジ、そしてアレンジャーのヴァン・マッコイに預けられます。

 ヒューゴとルイジの2人は、古くはサム・クックの一連のヒットを生み出したベテラン。マッコイの方はこの2人とガールグループ、シュレルズのヒット曲を制作した他、白人ポップアーティストを含む幅広い作品を手がけてきたアレンジャー。60年代のポップスを築き上げ、70年代を生き抜いてきた彼らはスタイリスティックスをより洗練された路線に転向させました。新制作チームの第一弾「Let's Put It All Tpgether」は彼らの代表曲とされる前作「You Make Me Feel Brand New(米2位)」の好評を受けてポップで18位、R&Bで8位の好ランクを記録しました、が、当時のR&Bシーンに求められていたものとは毛色が違ったのか、彼らはその後次第にチャートの成績を落としていきました。

 で、セールス不振を受けてスタイリックスは間もなく解散、メンバーは散り散りに・・となったら、彼らがこのコーナーに登場するはずはありませんよね。本国アメリカとは対照的に、彼らのポップなR&Bナンバーはイギリス、そして日本で熱狂的に受け入れられることとなります。

 前回のスリー・ディグリーズのところでも書きましたが、イギリスと日本の音楽ファンの嗜好は似通ったところがあるようで、本国アメリカでは今ひとつだけど、イギリスと日本では大ウケ、というケースはこの後も頻繁に見られます。この月1位の「愛がすべて」は、トランペットが「パラララララララパ〜」と高らかに鳴り響くイントロだけで、この曲が名曲であることを充分に予感さてしまうキャッチーなダンスナンバー。アメリカでこの曲がディスコミュージックと認識されていたかどうかはちょっと疑問ですが、少なくとも日本ではダンスフロアを大いに沸かせる人気曲だったようです。彼らはその後頻繁に来日公演を行い、R&Bにとどまらぬ幅広いファン層を獲得しました。

 日本でもディスコ・ブームが顕在化してきたこの頃、アメリカではそのムーブメントを象徴するような大ヒットが生まれます。ポップとR&Bチャートの両方を征したこの月4位の「The Hustle」を送り出したのは、他ならぬスタイリスティックスのアレンジャー、ヴァン・マッコイ。彼が当時流行していたステップ「ハッスル」を題材に、フルート(?)と爽やかなコーラス、そしてお約束の朗々としたトランペットが曲を駆け抜けていくポップなダンスナンバーを作ったところ、これが大当たり。マッコイの優れた嗅覚が生み出したメガヒットといえますが、日本においてはスタイリスティックスの恩恵が大だったことは、そのアーティストクレジットを見れば明らか(本国では“ソウル・シティ・シンフォニー”名義でした)。更に我が国ではこの曲と同じアルバムに収録されていた「Disco Baby(この月6位)」もヒットしました。

 続いてこの月のチャートに登場しているディスコナンバーを順に紹介していきましょう。まず2位はK.C.&ザ・サンシャイン・バンドの「That's The Way (I Like It)(米1位)」。「ザッツァウェイ、アハアハ・・」と喘ぎ声のようなフレーズが延々と続くこの曲を大当たりさせた彼らは、アメリカ南部のR&Bとカリブ海の音楽がミックスされた“マイアミ・サウンド”を売り物にしたTKレコードで最もコマーシャルな部分を担当していましたが、その音楽性の高さ(私は彼らを一流のR&Rバンドと考えています)は、時代に便乗したキワモノ、と切り捨てられても仕方がないこの曲が、20数年を経た現在もなお色褪せることなく、新しい世代のリスナーにインスピレーションを与え続けているという事実が証明しています。

 続いて5位の方は、今度はちゃんとした(?)キワモノ、バンザイの「Chinese Kung Fu(米98位)」。前年の大ヒット「吼えろ!ドラゴン」の影響大なカンフーものながら、グループ名は「万歳!」という西洋人の東アジア観を如実に表しているこの作品は、フランスのスタジオグループによる録音。元々「ディスコティーク」という言葉自体フランスから生まれているからか、この時代はフランス生まれの正体不明なダンスナンバーが世界中で次々とヒットしました。そういえばこの曲、日本では故ジャンボ鶴田の入場テーマにも使われていたそうですね。なんだか力が入らなそう。。そして、フランスの次はドイツ。7位のシルバー・コンベンション「フライ・ロビン・フライ(米1位)」はミュンヘンのダンスシーンから生まれたインターナショナル・ヒット。ディスコミュージックの最大の功績は、国籍も、人種も、言語も関係なく、気の利いたビートとキャッチーなフックが作れれば世界の何処でも受け入れられ得るという音楽のユニバーサルな可能性を提示した点にあるのではないかと思います。その意味では、何百年か先に“20世紀で最も重要な音楽”と評価される可能性もありますね。

 そしてフランスからもう一曲、これはディスコに含めて語るべきものではないと思いますが、勢いでいっちゃいます。8位のポール・モーリア「El Bimbo」はフランスで盛んに競作され、英語圏では“ビンボー・ジェット”なるスタジオバンドによってヒットしたダンスナンバー(米43位/英12位)。しかし日本では圧倒的にモーリア盤がヒットしました。

 日本では古くから多くの海外オーケストラがヒットチャートを賑わせていましたが、70〜80年代にかけては、ポール・モーリアがずば抜けて安定した人気を誇りました。その理由を十分な資料が入手できない中あれこれと推察してみたのですが、とりあえずポイントは以下のものではないでしょうか。

  1. まず「恋はみずいろ」のヒットがあった上に度重なる来日公演を行い「親日家」ぶりをアピールした
  2. モノラルからステレオに移行する時代に則したサウンド作りを行い、黎明期のFMや有線放送の恰好のエアプレイ素材となった
  3. 意外に派手なドラムサウンドが、これまでイージーリスニングを「かったるい」と敬遠していたロック世代にもアピールした
 ・・拙い分析で申し訳ありません。「いや、むしろこういう点が・・」という意見をお持ちの方がいらしたら、是非私にお知らせ下さい。あともう一つ、この曲に関して絶対避けて通れないトピックがあります。それは「手品」。思えばこの曲が発表されて25年、何故私たちは今日に至るまで話題が手品に及ぶと「チャラララララ〜ン」とこの曲のフレーズを口ずさんでしまうのでしょう?確かにマジックショーのBGMにこの曲は頻繁に使用されます。しかしこれがすべてではありません。何故この曲しか思い浮かばないのでしょう?それこそがこの曲の持つ“マジック”なのかも知れません。全世界の奇術師協会は、彼の存命中に名誉賞を授けるべきでしょう。

 ダンスつながりでもう一曲、9位に登場しているのはファンク界の怪人、ジミー・キャスター・バンチ「King Kong(米69位)」。ラテン色豊か且つ極端にキャラクター化された彼の音楽は当時アメリカでも異彩を放っていましたが、日本でこの曲がヒットしたのはもっと異色。多分前年にヒットした「ソウル・ドラキュラ(ホット・ブラッド)」や「ソウル・フランケンシュタイン(キャプテン・ダックス)」に続く“モンスターもの”として盛んにかけられたのでしょう。

 残るはあと2曲になりました。3位に入っているのはベイ・シティ・ローラーズの「Saturday Night(米1位)」。“ローラーズ・マニア”は翌年日本で大変なことになるので、今回はあまり触れません。ただ、イギリスではヒットを記録していない曲をアメリカ用のシングルに選び、ヒットチャートの1位に送り込んだアリスタ・レコードの社長、クライブ・デイビスの目の確かさにだけは言及しておきましょう。彼はこの調子で昨年までアリスタをトップレーベルとして運営し、退任後設立した新レーベル、Jレコードでは“男版モーニング娘。”オー・タウンを早速成功させるなど、老いてなおその勘は衰えるところを知らず。彼の業績もいずれ何らかの形でまとめたいところ。

 最後10位は現在も効果音として頻繁に使用されるジョン・ウィリアムスの「Main Title (Theme From "Jaws")(米32位)」。この「ジョーズ」をはじめとして、この頃はジェットコースター級のアトラクション・ムービーが次々と生まれた時代でした。


(2001.1.24)

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