TOP10 HITS OF LAST CENTURY
Presented by meantime

■ 洋楽ラジオ・チャート1977年間(その2)

11 愛にすべてを/クイーン
12 アイム・イン・ユー/ピーター・フランプトン
13 愛するデューク/スティービー・ワンダー
13 恋のゲーム/ベイ・シティ・ローラーズ
15 スウィート・スマイル/カーペンターズ
15 悪魔のドクター・ラヴ/キッス
17 愛をくれたあの娘/エリック・カルメン
18 宇宙の彼方へ/ボストン
19 恋のときめき/アンディ・ギブ
20 ニュー・キッド・イン・タウン/イーグルス

11位 Somebody to Love - Queen('76米13位/英2位)
 前年大ヒットを記録し、クイーンを世界的な存在としたアルバム「オペラ座の夜」に続いて彼らがリリースしたのは、またもやタイトルをマルクス・ブラザーズの映画から拝借した「A Day At The Race(『華麗なるレース』;参考までにマルクス映画の邦題はそれぞれ『オペラは踊る』と『マルクス一番乗り』である)」。前作の作風を色濃く引き継いでいたため“2番煎じ”との評もあったようだが、そこから生まれた彼らの代表曲がこの「愛にすべてを」。フレディ・マーキュリーの力強いボーカルと、クラシカルなロックサウンドの融合はまさに彼らの真骨頂。なおフレディの死後、彼の強い影響下にあったシンガー、ジョージ・マイケルはクイーンの面々をバックにこの曲をライブで披露。記録された音盤は93年にヒットチャートに登場している(米30位/英1位)。
12位 I'm In You - Peter Frampton('77米2位/英41位)
 60年代後半はイギリスのロックバンド「ハード」の、70年代に入ってからは元スモール・フェイセズのスティーブ・マリオットと結成した「ハンブル・パイ」のギタリストとして注目されたピーター・フランプトンは、71年にソロに転向。暫くは目立った成功を収めることはなかったが、76年になって状況は一変、彼がそれまでに発表した作品をベスト選曲で披露したライブ盤「Frampton Comes Alive!」がアルバムチャートでナンバー1を記録、そこから3曲の大ヒットが生まれてフランプトンは一躍時の人となった。この勢いにのって77年にリリースしたのがアルバム「I'm In You」で、タイトル・トラックは当然のように大ヒット。しかし成功は続かず、彼は「史上最も売れたライブ・アルバム」一枚で記憶されるアーティストとなった。
13位 Sir. Duke - Stevie Wonder('77米1位/英2位)
 70年代半ばのスティービー・ワンダーは、音楽界の中でも完全に別格的な存在と見なされており、アルバムのリリース毎にその年のグラミー賞を独占する勢いだった。この年には約2年の制作期間をかけた大作「Songs in the Key of Life(キー・オブ・ライフ)」がリリースされ、そこからはまず「I Wish(回想)」、続いてこの曲が全米チャートのナンバー1に輝いた。ジャズ界の巨人デューク・エリントンに捧げられたこの曲の歌詞には他にもカウント・ベイシーやルイ・アームストロングといった名前が登場するが、これを機会にオールド・ジャズに感心を持ったという音楽ファンも当時意外にいたのでは?なお同アルバムにはもう一曲トリビュート・ソング、彼の愛娘に捧げられた「Isn't She Lovely(かわいいアイシャ)」が収録されていた。
13位 It's A Game - Bay City Rollers('77英16位)
 英米では77年に早くも“下り坂”に差し掛かったBCRだが、日本では前年暮に初来日公演がようやく実現し、その人気はもう暫く続くこととなる。この曲はイギリスにおける彼ら最後のTOP20ヒットで、サウンド的にはひとまずロックバンドの体裁は保っていたものの、かつてのヒット曲の数々と比較すれば単調な仕上がりとなってしまった印象は否めず、海外での人気の凋落に歯止めをかけることは出来なかった。人気絶頂期より人の出入りの激しいグループではあったがこの年には人気メンバーのパット・マッグリンがバンドを脱退、翌年にはグループの顔であるレスリー・マッコーエンまでが独立するに至り、多くの音楽ファンにとってBCRは終焉を迎える(一部の献身的なファンだけには、まだまだエピソードは続く・・)。
15位 Sweet, Sweet Smile - The Carpenters('78米44位/英40位)
 カーペンターズがこの年に発表したアルバム「パッセージ」にはリチャードのオリジナル曲の収録はなし、様々なジャンル、様々な作曲家の作品を取り上げた意欲作であった。そこにはアンドリュー・ロイド・ウェバーの「Don't Cry ForMe Argentina」や、カーペンターズなりの産業ロック(?)、曲が7分以上に及ぶ上にタイトルもそれと同じくらい長い「Calling Occupants of Interplanetary Craft (The Recognized Anthem of World Contact Day)」などが収録され、新たな活路を見い出そうと苦心する彼らの姿が見え隠れするが、残念ながらセールスは振るわなかった。「スウィート・スマイル」はカントリー調の親しみやすいナンバーで、作曲したジュース・ニュートンはその後ポップ・カントリーの分野で大変な人気を博すこととなる。
15位 Calling Dr. Love - Kiss('77米16位)
 キッスといえば、その毒々しいメイクやハードなロック・サウンドとともに思い起こされるのが、やたらとおどろおどろしい日本語のタイトル。その代表的なヒットがこれで、邦題はつけた理由を担当者にじっくりと伺ってみたくなる「悪魔のドクター・ラヴ」。因みにこの2年前にヒットしたキャロル・ダグラスのダンスナンバー「Doctor's Orders(米11位、年間洋楽チャート25位)」、歌っている内容はそれほど変わらないと思うが、こちらには「恋の診断書」のタイトルが付けられていた・・。彼らの初期のアルバムがまた傑作で、邦題を列記すると「地獄からの使者」「地獄の叫び」「地獄への接吻」「アライブ!〜地獄の狂獣」「地獄の軍団」「地獄のロック・ファイヤー(意味不明!)」と、見事なまでの“地獄づくし”。まぁ、これが日本の洋楽文化の魅力の一つではあるのだが。
17位 She Did It - Eric Carmen('77米23位)
 1972年に「ゴー・オール・ザ・ウェイ」のヒットを放ち日本でも人気のあった“パワー・ポップ”バンド、ラズベリーズのボーカリストだったエリック・カルメンは、バンド解散後76年にソロデビュー。ファースト・アルバムからカットされた壮大なバラード「All By Myself(米2位/英12位)」が大ヒットしてその地位を確立したが、我が国でこの曲は年間チャート52位といま一つの成績。日本における彼最大のヒットとなったのがこの「愛をくれたあの娘」で、カルメン自身が大ファンだったというビーチ・ボーイズでいえば「Do It Again」あたりを髣髴させる作風。コーラス・アレンジをブルース・ジョンストンが担当し、本格的なビーチ・ポップスに仕上がっている。意外にもその全盛期は短期間に終わったが、数々の魅力的な作品を残したアーティストであった。
18位 More Than a Feeling - Boston('76米5位/英22位)
 マサチューセッツ工科大学を卒業し、博士号を取得したトム・シュルツは、とあるメーカーのエンジニアとしてサラリーマン生活を送りながら自宅の地下室に買い集めた機材を運び込んでプライベート・スタジオを設営。最新の機材と、シュルツの豊富な知識やアイディアによって生み出された“理系サウンド”はデモテープが持ち込まれたレコード会社を驚愕させ、たちまち契約を獲得。凝り性の彼はそこから更にオーバー・ダビングを重ねること半年、ようやく完成させたファースト・アルバムからはこの曲が大ヒットを記録し、アルバムセールスは1,000万枚を超えた。当時は“ハードなプログレ・サウンド”と解釈された彼らの音は後続アーティストたちの手本となり、拡散の結果“産業ロック”と揶揄される1ジャンルを築くこととなる。
19位 I Just Want To Be Your Everything - Andy Gibb('77米1位/英26位)
 1975年にアルバム「メインコース」で華々しい復活を果たしたビー・ジーズは、アーティストとしてばかりでなくプロデューサーとしても様々なアーティストを介してヒット作を生んだが、中でも最も大きな成功を収めたのが彼らの実弟であるアンディであった。18歳になった時兄たちにオーストラリアに送り込まれレコード・デビューした彼は、かの地でたちまちスターに。可能性を感じ取った彼らは続いてアメリカ・デビューをお膳立てし、この「恋のときめき」をリリースした。ビー・ジーズお得意のソフトなミドルテンポのダンスナンバーで、全米チャートをジリジリと上昇しついにはナンバー1を獲得、以降数年間に亘って彼はビー・ジーズを脅かしかねない勢いで次々と大ヒットを放っていくこととなった。
20位 New Kid In Town - Eagles('76米1位/英20位)
 75年のアルバム「呪われた夜」で全米制覇を達成したイーグルスが、続いてリリースしたのが「Their Greatest Hits 1971-1975」。初期の代表曲を改めてファンに紹介したこのアルバムは全米ナンバー1を記録したばかりでなく、その後20数年に亘って売れ続け、現在はレコード産業史上もっとも枚数が売れたアルバムに認定されている。それはさておきアルバム「ホテル・カリフォルニア」、タイトル・トラックの印象があまりにも強いため陰が薄いが、ファースト・シングルで見事全米ナンバー1を獲得したのがこの曲。グレン・フライ、ドン・ヘンリーにJ.D.サウザーという“黄金トリオ”の作品で、「カントリー・ロック」の範疇を超えた「(アメリカでいうところの)ソフト・ロック」として完璧なサウンドをここでは提示している。


(2005.4.12)

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