TOP10 HITS OF LAST CENTURY
Presented by meantime

■ 洋楽ラジオ・チャート1978年間(その1)

01 ストレンジャー/ビリー・ジョエル
02 イーグル/アバ
03 コパカバーナ/バリー・マニロウ
04 悲しき願い/サンタ・エスメラルダ
05 ステイン・アライヴ/ビー・ジーズ
06 テイク・ア・チャンス/アバ
07 しあわせの予感/ウィングス
08 恋のナイト・フィーヴァー/ビー・ジーズ
09 ドント・ルック・バック/ボストン
10 胸につのる想い/ロッド・スチュワート

1位 The Stranger - Billy Joel
 ニューヨーク出身の「ピアノマン」ビリー・ジョエルが全米チャートで活躍を始めるのは74年頃からだが、本格的なブレイクを果たしたのは77年暮にリリースしたアルバム「ストレンジャー」のヒットがきっかけ。アメリカで同作からは都合4曲のTOP40ヒットが生まれたが、日本ではそれらとは違いタイトル曲が独自にシングルカットされて大ヒットを記録。ムーディーな口笛に始まり、スタイリッシュなロックサウンドが続くこの曲は我が国の洋楽リスナーに“ニューヨーク”のサウンド・イメージを強烈に焼きつけ、AORファンの間でもこのアルバムは評価が高いという。後に“日本人に最も愛された洋楽アーティスト”の一人となる彼の我が国における成功は、この時この曲のシングルカットなしには実現しなかったであろう、と思われるほどに重要な一曲。
2位 Eagle - ABBA
 ヨーロッパに於ける絶大な人気をアメリカにも持ち込むことに成功、「ダンシング・クイーン」が見事全米ナンバー1を記録したアバは、その勢いを更にワールド・ワイドなものにしようと彼らのオーストラリア巡業の模様を紹介する映画「アバ・ザ・ムービー」を77年に制作。当地で行われたコンサートはすべてフィルムに収められたそうで、それらの映像がいずれ一まとめにされることも期待したいが、それはともかく完成した映画は舞台となったオーストラリアは勿論ヨーロッパ各国で大ヒット、日本でもファン層を格段に広げる結果となった。この映画公開記念シングルとして発売された「イーグル」は、ほぼ同時期に発表された「ジ・アルバム」の冒頭にも収録されていた曲で、ビョルンとベニーの2人が大好きだったというイーグルスに捧げられているとの説もある(真相は定かではない)。
3位 Copacabana (At The Copa) - Barry Manilow('78米8位/英42位)
 ブルックリン出身のシンガーソングライター、バリー・マニロウは70年代初頭にベット・ミドラーのピアニストとして頭角を表し、73年にソロデビュー。シンガーとしてはバラードを得意とし数々のヒットを生んでいた彼がこの年に発表した「コパカバーナ」は、ニューヨークのキャバレー・シーンを題材にしたという陽気なラテン・ディスコ調で、彼にしては異色の作品だったが、誰でも瞬時に覚えられそうなキャッチーさが世界中で受け入れられ、良くも悪くも彼のキャリアを象徴する一曲となった。彼自身この曲には大変愛着があるようで、90年代に入って「コパカバーナ」と題するミュージカルを制作し、興行的にも成功。そこから生まれた曲は2004年に発表された「Songs from Copacabana and Harmony」にまとめられ、彼の新しいキャリアを紹介する作品集となっている。
4位 Don't Let Me Be Misunderstood - Santa Esmeralda starring Leroy Gomez('77米15位/英41位)
 エルトン・ジョンの大ヒット・アルバム「Goodbye Yellow Brick Road('73)」への参加で注目されたサックス奏者/ボーカリスト、リロイ・ゴメスはその後パリに渡ってクラブ・シーンで活躍。ヨーロッパ各地から発信されインターナショナルなヒットが幾つも生まれていたディスコ・レコードの制作に彼も一枚加わることとなり“サンタ・エスメラルダ”名義で発表したのがアニマルズの名曲「悲しき願い」。スパニッシュ・ギターが効果的に使用されたこの曲は世界中でヒットを記録したが、ユニットは長続きせず、続くシングル「朝日のあたる家(米78位、同じくアニマルズのカバー)」がアメリカでリリースされた時には、既に盤面にゴメスの名前はなかった。「悲しき願い」は2003年の映画「キル・ビル」で効果的に使用され、若い世代の音楽ファンから再び注目を集めている。
5位 Stayin' Alive - The Bee Gees('77米1位/英4位)
 この年最も大きな影響力を誇った映画「サタデイ・ナイト・フィーバー」の冒頭を飾るこの曲には、当初制作側からどうしても「サタデイ・ナイト」をタイトルに入れて欲しい、とのオファーがあったそうだが「それでは安っぽ過ぎる」と拒絶したビー・ジーズは「ステイン・アライヴ」のタイトルで曲を完成。ギターが奏でるイントロのフレーズはこの時代を象徴するサウンドとなり、現在でもあの時代を生きたすべての人々に、当時の記憶を瞬時に思い起こさせる魔力を持っている。まったくの余談になるが「ステイン・アライヴ」というタイトルのダンス映画もジョン・トラヴォルタ主演で1983年に制作されており、監督を務めたシルヴェスター・スタローンの弟フランクが歌った主題歌「ファー・フロム・オーバー」が当時ヒットを記録している(米10位、洋楽年間チャート48位)。
6位 Take A Chance On Me - ABBA('78米3位/英1位)
 「アライヴァル」と並びアバの最高傑作との評価も高い「ジ・アルバム(77年発表)」には前述の「アバ・ザ・ムービー」で紹介された曲に加え、ミニ・ミュージカル形式のメドレーなども収録された意欲作だったが、そこから生まれたヒットがこの「テイク・ア・チャンス」。「ダンシング・クイーン」のフォロー・アップとして最適な仕上がりとなったこの曲では、彼らお得意の複雑なリズムとハーモニーが楽しめ、彼らの世界制覇はこの先も延々と続くように感じられた。一方でこの年のグループはアグネタ(ビョルンの妻)の妊娠・出産のため活動休止状態、ベニーとフリーダが結婚するなど充電期にあり、幸せいっぱいな雰囲気が感じられたが、その裏には二組のカップルの相次ぐ離婚に端を発するグループ活動停止の萌芽が感じとれるという、なんとも微妙な時期に突入していた。
7位 With A Little Luck - Wings('78米1位/英5位)
 77年の暮にリリースされたR&Rナンバー「ガールズ・スクール(米33位)」は全米チャートでウィングスとしては不本意な成績に終わったが、イギリスではそのB面で、バグパイプなどを使用して非常にスコットランド色の強い「Mull of Kintyre(『夢の旅人』英9週連続1位、洋楽年間チャート36位)」が当時のセールス記録を打ち破る大ヒットに。この曲に続いてリリースされた「しあわせの予感」は非常に彼らしいメロディアスなナンバーで、こちらは問題なく全米ナンバー1を記録、やがて終焉を迎えるウィングス後期の名曲の一つとなった。曲を収録したアルバムはヴァージン諸島で録音されたが、制作時の雰囲気がよくなかったのか(その後グループは何度目かの分裂に至っている)イギリスに戻って仕上げが施され、完成品には「ロンドン・タウン」の名が付けらている。
8位 Night Fever - The Bee Gees('78米1位/英1位)
 RSOレコードの社長ロバート・スティグウッドがニューヨークのディスコ・シーンの盛り上がりを紹介した新聞記事「Tribal Lights of New Saturday Nights(土曜の夜の祭典)」を見かけたことが歴史的な大ヒット映画の生まれるきっかけとなった、という逸話は有名だが、当初シンプルに「サタデイ・ナイト」と呼ばれる予定だったこの映画に“フィーヴァー”を付け加えたのはビー・ジーズなのだそうで、その理由は映画制作時に、既にこの曲が出来上がっていたから。日本でも「ディスコでフィーバー、フィーバー!」が合言葉となる(?)ほどの人気となったこの映画の影響力は凄まじく、RSOは77年のクリスマスからこの年の5月半ばまで6枚のシングルでビルボード誌のナンバー1を独占。うち5枚がビー・ジーズ制作、その中の4枚が「〜フィーヴァー」サントラ曲であった。
8位 Don't Look Back - Boston('78米4位/英43位)
 76年に発表したファーストアルバムが大成功を収めたボストンに対し、レコード会社は直ちにフォロー・アップのアルバム制作を指示。しかし完璧主義者のトム・シュルツはなかなか納得のいく作品を完成させることが出来ず、結局レーベルの圧力に屈する形でこの年セカンドアルバム「ドント・ルック・バック」をリリース。全米ナンバー1を記録するなど売れ行きは好調だったが、ファーストの爆発的なセールスには及ばなかった。その後シュルツは「アルバム・セールスが落ちたのは、それだけの制作期間をレーベルが認めなかったためだ。」と訴訟を起し、勝訴して存分にアルバム作りに没頭する権利を勝ち得ることになり、続くサードアルバム「サード・ステージ」が発表されたのは前作から8年が経過した1986年のこと。以降ボストンは現在まできっちり8年毎に新作を発表し続けている。
10位 You're in My Heart (The Final Acclaim) - Rod Stewart('77米4位/英3位)
 1970年代前半から半ばにかけて、フェイセズの看板シンガーとして、またソロとしてもアコースティックでやや通好みな作風のアルバムを発表していたロッド・スチュアートは、76年にバンドから独立。活動拠点をアメリカに移してリリースした「アトランティック・クロッシング」が大成功を収め、更に大きな飛躍を遂げる。彼がこの年にリリースした「Foot Loose & Fancy Free(明日へのキックオフ)」には彼のライブに欠かせないR&Rナンバー「ホット・レッグス(米28位/英5位)」ばかりでなく「I Was Only Joking(『ただのジョークさ』米22位)」とこの「胸につのる想い」という2つの名作バラードも収録されていた。これらはいずれも彼自身のペンによる作品で、その並みはずれた才能には驚くばかりだが、そんな彼の商業的なピークが、この翌年に訪れることとなる。


(2005.5.17)

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