TOP10 HITS OF LAST CENTURY
Presented by meantime

■ 洋楽ラジオ・チャート1979年間(その1)

01 ブレックファスト・イン・アメリカ/スーパートランプ
02 ラヴィン・ユー・ベイビー/キッス
03 アイム・セクシー/ロッド・スチュワート
04 ヴーレ・ヴー/アバ
05 オネスティ/ビリー・ジョエル
06 ドント・ストップ・ミー・ナウ/クイーン
06 ハート・オヴ・グラス/ブロンディ
08 ダンスに夢中/レイフ・ギャレット
09 チキチータ/アバ
09 グッドナイト・トゥナイト/ポール・マッカートニー&ウィングス

1位 Breakfast In America - Supertramp('79英9位)
 スーパートランプ唯一の全米ナンバー1アルバム「ブレックファスト・イン・アメリカ」タイトル曲。アメリカではシングル・カットされず(その後このアルバムのヒットで最高潮にあった時期にパリで録音されたライブ盤「Paris」からカットされ、最高62位を記録している)、イギリスではまずまずのヒットを記録。しかし日本で年間1位に輝くほどの人気を博したのは、これがオーディオメーカーのTVCMに使用されたから。どことなくイギリスっぽさを感じさせるメロディと、ロジャー・ホジソンのハイトーンなボーカルこれだけの支持を集めた要因なのだろう。この評判を受けてアルバム・ジャケットで自由の女神風ウエイトレス(?)に扮していたリビーおばさん(というらしい)がプロモーション来日するなど、オマケのようなエピソードも当時の洋楽ファンには懐かしく感じられるだろう。
2位 I Was Made For Lovin' You - Kiss('79米11位/英50位)
 1979年はディスコ・ブームがピークを迎え、ロック系のアーティストも営業政策上ディスコ・サウンドを取り入れざるを得ない状況にあった。70年代後半ハードロック少年の胸をときめかせ続けたキッスも例に洩れずディスコ路線に迎合・・と言いたいところだが、彼らが所属していたのはドナ・サマーをはじめとする数々のディスコ企画で莫大な利益を上げたカサブランカ・レコードなので、この展開は当然なのかも知れない。メンバーのポール・スタンレー、80年代に入ってハードロック系プロデューサーとして天下を取るデスモンド・チャイルドとともにこの曲の作者としてクレジットされ、プロデュースも手がけていたのは、60年代初頭以来数々の名作ポップスを生み出してきたソングライター・コンビ、アンダース&ポンシアのヴィニ・ポンシア。ニューヨーク産のポップスは奥が深い。
3位 Da Ya Think I'm Sexy? - Rod Stewart('78米1位/英1位)
 数多い「ディスコに日和ったロック」の中でも、恐らく歴史上最も酷いバッシングを受けたのがこの曲だろう。その原因はこの曲のあまりにも大きな成功と、ロッド・スチュアートがそれまでに発表してきた作品とのギャップにあるのだと思うが、これには当のスチュアートもかなり参ったようで、その後10年以上この曲を語る際には、必ず言い訳から入るという状態が続いた。ロッドとこの時期彼のバンドのドラマーだった元バニラ・ファッジ/BB&Aのカーマイン・アピスが共作した「アイム・セクシー」は、そのあまりにもきらびやかなイメージは別としてロックにフィリー・ソウル風味を取り入れた佳曲。印象的なベースのフレーズを弾いているのはジャマイカ出身の東洋系ミュージシャン、フィル・チェンで、彼はこの時代のトップ・セッションマンとして数多くの作品に参加している。
4位 Voulez-Vous - ABBA('79米80位/英3位)
 「ダンシング・クイーン」の成功の印象があまりにも強いため、アバは“ディスコ・アーティスト”と見なされる向きもあるが、実際のところ彼らは意外なくらいディスコ・チャートとは無縁で、その名前が初めて登場するのは81年の「Lay All Your Love On Me」「Super Trouper」「On And On And On」のメドレー(これは見事ナンバー1を獲得している)で。とはいえ世界の音楽シーンの趨勢を彼らも無視する訳にはいかず、この年に発表した6枚目のアルバム「Voulez-Vous」のタイトルナンバーは、当時ビー・ジーズが本拠とし、数々のディスコヒットを生んでいたマイアミのクリテリア・スタジオで録音されている。イントロのエキゾチックなフレーズは、ボニーMやアラベスクなどユーロ・ディスコシーンで人気のアーティストたちの作品を連想させ、彼らなりの苦心の跡が見られる。
5位 Honesty - Billy Joel('79米24位)
 大ヒットアルバム「ニューヨーク52番街」の中でも、最も日本人リスナーの心を捕えたのがこの「オネスティ」。恋人に常に誠実であれと歌い上げる内容で、この手の曲は往々にしてくどく暑苦しくなりがちだが、彼の声質とサウンド作りが功を奏したのか、そこら辺は意外と気にならない(これをバリー・マニロウが歌ったらどんな感じになるかを想像してみて欲しい)。78〜79年にかけて、彼の作品のヒット状況はアメリカと日本ではかなり違いがあり(シングル・カットの有無が大きく影響しているのだとは思うが)そこに日本人の好みというものがよく現れているような気がして面白い。「オネスティ」は比較的平易な歌詞で曲もスロー、そしてなにしろ大ヒット曲ということで、当時英語聞き取りの題材としてノートに書き写してみた中高生リスナーも多かったのではないだろうか。
6位 Don't Stop Me Now - Queen('79米86位/英9位)
 イギリスや日本における絶大な人気と比較して、アメリカでは77年暮の「We Are The Campions」を例外として、思うように大ヒットを飛ばすことの出来なかったここ何年かのクイーン。そこで彼らは彼らの特長の一つであった装飾部分を削ぎ落とし、より明解なポップ・ロック路線を打ち出すようになる。この前年にリリースされたアルバム「Jazz」にもそのタイトルに反しポップな作品が多く収録されていて、そこから生まれたヒットが「Bicycle Race/Fat Bottomed Girls('78米24位/英11位、洋楽年間チャート33位)」とこの曲だった。軽快に疾走するようなサウンドは非常に親しみやすいが、残念ながらアメリカでは大成功とまではいかず。しかしここまで何作かのポップ化の試みは、翌年発表のアルバム「The Game」の大成功により見事結実することとなる。
6位 Heart Of Glass - Blondie('79米1位/英1位)
 1974年にニューヨークで結成されたニューウェーブバンド、ブロンディは当地で沸き起こった“パンク・ムーブメント”の影響を強く受けたグループで、そのポップながら荒削りなR&Rサウンドはアメリカよりも大西洋を越えて“パンク”が飛び火したイギリスで78年に一足早く受け入れられたが、そこで出会ったプロデューサー、マイク・チャップマンの手腕により音楽性が一変、ディスコとニューウェーブを融合させた「ハート・オヴ・グラス」を引っさげ、逆上陸の形でアメリカのヒットチャートに登場、たちまちトップに輝いた。突如として人気グループの仲間入りを果たした彼ら、とりわけ新時代のセックス・シンボルとして祭り上げられた(実は彼女、この時既に30代半ばであった)デボラ・ハリーは、その後の数年間物凄い勢いで音楽シーンを駆け抜けていく。
8位 I Was Made For Dancin' - Leif Garrett('79米10位/英4位)
 70年代末の洋楽アイドル・シーンを代表する存在といえば、ショーン・キャシディそしてレイフ・ギャレットの名前がまず挙げられるだろう。ハリウッド生まれで5歳の時から子役として活躍していたという彼は10代になって出演したTVCMによりアメリカのお茶の間でブレイク。歌手としてもデビューを果たし幾つかの60年代オールディーズのカバーをヒットさせたが、78年にレコード会社を移籍してイメージ・チェンジ、ディスコ・サウンドに彩られた「ダンスに夢中」が世界中で大ヒットを記録し、我が国でもこの曲をバックに彼はTVCM(スケートボードに乗っていた)に登場した。余談だが彼の曲の日本語カバーといえば田原俊彦の「哀愁でいと(New York City Night)」が大変有名、しかしこの曲にも川崎麻世の日本語バージョンが存在することは、あまり知られていない。
9位 Chiquitita - ABBA('79米29位/英2位)
 前年暮に初めて来日(但しTV出演のみで、コンサートは翌80年にようやく実現)し、我が国でより身近な存在になったアバだが、グループの内情は次第に複雑な様相を醸し出していた。77〜78年に産休をとっていたアグネタはグループ復帰後、この年にビョルンと離婚しソロアルバムを発表。遅れてグループ久々のアルバムが発売されるなど、ツアー等は相変わらず順調にこなしていたものの、メンバー間のギクシャクした印象は拭えなかった。ビー・ジーズの「失われた愛の世界」の項で紹介したコンサート「「The Music for UNICEF Concert: A Gift Of Song」で初披露されたこの曲は感傷的なバラードで特に日本で人気が高く、近年もTVドラマの主題歌に使用されてその評判によりベストCDが好セールスを記録。新しい世代にアバの魅力を伝える役割を果たしている。
9位 Goodnight Tonight - Wings('79米5位/英5位)
 ディスコ・サウンドが蔓延し、それまでディスコとは無縁なアーティストまでがディスコ・レコードを発表するに至り、シーンはもはや飽和状態。そうなるとブームが下火になるのは驚くほど早く、80年になると「ディスコ」は突然古臭い言葉になり、「ディスコの葬式」と称し大量の12インチ・シングルが焼かれた地域もあったとか。で、結果的にラスト・アルバムとなった「Back To The Egg」発表後に末期ウィングスが制作したシングルは、話のフリでお察しのとおりディスコ・サウンド(笑)。音は心地いいもののとりたてていい曲とは思えず、しかしこれだけのヒットを記録したところを見ると、マーケット的な判断としては正しかったということか。マッカートニーがやがて迎える1980年は、想像を絶するヘビーな年になるが、この時点で彼はそんなことを予想だにしなかっただろう。


(2005.5.31)

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