11位 Dream Police - Cheap Trick('79米26位)
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1977年にデビューした4人組ロックバンド、チープ・トリックはロビン・ザンダーとトム・ピーターソンの美形2人にリック・ニールセンとバーニー・E・カルロスの超個性派という組み合わせがうけたのか日本でいち早く人気に火がつき、翌78年には武道館公演が実現しその演奏を収録した「チープ・トリックat武道館」がアメリカでも発売。これが300万枚を売り上げるという思いがけないヒットとなった彼らが、続いてリリースしたのがアルバム「ドリーム・ポリス」で、タイトル曲はラジオで好評を博し、その人気に拍車をかけた。結局この盛り上がりは翌年のピーターソンの脱退を機に下火となるが、それから暫くした88年に「The Flame(『永遠の愛の炎』米1位、洋楽年間チャート10位)」で彼らは見事復活を果たす(皮肉にもピーターソンの復帰がきっかけだった)。
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12位 My Sharona - The Knack('79位米1位/英6位)
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1979年に“ビートルズの再来”と大変な話題になった4人組ロックバンドがロサンゼルス出身のザ・ナック。ディスコ・ミュージックや産業ロックなどが溢れる1979年のヒットチャートを急上昇したシンプルなビート・ロックは、当時のシーンに強烈なインパクトを与えた。彼らの仕掛人はイギリスでスイートやスージー・クアトロなどを成功させたマイク・チャップマンで、この大ヒットはアメリカのチャートに“新しい波”の到来を短期間ながら印象づけることに。この時代の象徴的な「一発屋」に終わったナックに加え、ブロンディの「ハート・オブ・グラス」、ニック・ギルダーの「ホット・チャイルド」とチャップマンは1年足らずの間に3曲の全米ナンバー1ヒットを手がけ、そのいずれでも1970年代末ならではの刹那な(しかし現在も魅力的な)サウンドを聴かせていた。
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13位 Too Much Heaven - The Bee Gees('78米1位/英3位)
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「サタデイ・ナイト・フィーヴァー」の歴史的な大ヒットを経験し、ビー・ジーズは“成功”というものにいささか辟易したような印象がある。「〜フィーヴァー」に続くジョン・トラヴォルタ主演映画「グリース」の主題歌制作は引き受けたものの、実際に歌うのは旧友のフランキー・ヴァリに譲ったし(レコードは文句なく全米ナンバー1を獲得した)、続いて彼ら自身が制作したアルバム「スピリット」から最初にカットされたシングルは、その収益をすべてユニセフに寄付するという「チャリティ路線」まで打ち出した。この流れは79年1月に開催された「The Music for UNICEF Concert: A Gift Of Song」へとつながり、ライブにはアバやロッド・スチュアート、ドナ・サマーやジョン・デンヴァーまでが登場。そんな中彼らはステージのトリを務め、この曲を聴衆に披露している。
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14位 The Logical Song - Supertramp('79米6位/英7位)
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60年代後半に結成され、約10年に及ぶ地道なツアーに明け暮れる毎日の末、ようやく世界的なブレイクを果たしたのがイングランド出身のスーパートランプ。当初のプログレ風な音楽性から70年代半ばにキーボード主体のポップロックへ宗旨換えをした彼らは、重厚なサウンドにハイトーンなボーカルというこの時代の主流を占める「産業ロック」スタイルのバンドに変身。この年発表したアルバム「ブレックファスト・イン・アメリカ」からカットされたこの曲がキャリアを通じて最大のヒットとなった。短いフレーズを何度も繰り返すスタイルの曲は非常に耳に残り、まさに“ラジオ・フレンドリー”といった感じ。アルバムの方は結果的に英米で1年以上チャートインを続け、アメリカだけで1800万枚を売り上げるという大変なヒットを記録しており、その人気は80年代前半まで続いた。
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15位 Getting Closer - Wings('79米20位/英60位)
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今回まで70年代の洋楽チャートを年毎に紹介してきたが、10年分取り上げてみて驚いたのがポール・マッカートニーの一貫した人気の高さ。現在目にすることのできる評論などによれば、やれ初期のポールのアルバムは散々だっただの、ジョン・レノンの人気が別格であったかのような記述。勿論70年代を通じてコンスタントに作品を発表し続けたことが最大の要因だとは思うが、英米でそれほど大した成績を収めていないこのような曲までもがこれだけのランクに入っているところを見ると「なんだ日本人、ポール大好きじゃん。」としか言いようがない気もしてくる。ウィングス最後期のヒット「ゲッティング・クローサー」はストレートなロックナンバーで「これって前に出てたアルバムで聴いたことない?」と感じてしまうのは「ポールの特色がよく出た曲である」と好意的に解釈することにしよう。
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16位 Love Of My Life - Queen('79英63位)
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クイーンの魅力はその緻密な音楽性も勿論だが、もう一方で“ロック史上有数のライヴ・アクト”であるという点も無視出来ない。数多くのキラー・チューンを持つ彼らのライヴは世界中で熱狂的に受け入れられ、各国で10万人単位の動員記録を残している。この年彼らはヨーロッパ・ツアーの模様を記録した初のライヴ・アルバム「Live Killers」を発表しており、そこからシングルカットされたのが「ラヴ・オヴ・マイ・ライフ」。元は彼らの4作目「オペラ座の夜」に収録されていたバラードだが、ここでは観客の大合唱とともにアコースティックな構成で演奏したバージョンが収められていて、当時の彼らの勢いを窺い知ることが出来る。彼らは他に80年代の演奏を収めたライヴ・アルバムも発表しているので、その時々の演奏を聴き比べてみるとバンドの成長(円熟)ぶりが窺えて面白いかも知れない。
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16位 My Life - Billy Joel('78米3位/英12位)
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我が国で突然のように沸き起こった「ストレンジャー」の大ヒットに続いてリリースされた数々のヒット曲、「Just The Way You Are(『素顔のままで』'78米3位/英19位、洋楽年間チャート66位)」と別に紹介する「オネスティ」、そしてこの「マイ・ライフ」と、これだけの短期間に日本人の琴線をくすぐる佳曲を集中的にリリースすることが出来たこの時期の彼の才能が、その後20年以上に亘る根強い彼の人気の源になっているのだと思う。アルバム「ニューヨーク52番街」からカットされたこの曲は、恋人(妻?)との別離をドライに歌ったもので、途中ちょっと気弱なメロディを挿入しつつも「誰だってこんな人生の局面に立たされるのさ。」と割り切る構成が素晴らしい。歌詞の端々に窺える“故郷が異なる者同士の見解の相違”は、経験ある者には非常に共感出来るのではないだろうか。
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18位 Heartache Tonight - Eagles('79米1位/英40位)
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アルバム「ホテル・カリフォルニア」のあまりにも大きな成功のため、続く「ロング・ラン」の制作は大変なプレッシャーのもとで行われたという。作業に疲れ、途方にくれたメンバーたちの重苦しい雰囲気の中、ようやく発表されたアルバムからのカット「ハートエイク・トゥナイト」を待ち望んでいたリスナーは、そんな彼らの気持ちなど知る由もなく即座に飛びついてこの曲を世界的な大ヒットにしてしまった。結局このアルバムを最後に解散したイーグルス、中心メンバーのドン・ヘンリーとグレン・フライのソロ活動も順調だったことから再結成はあり得ないのでは?と思われたが、それが90年代以降アメリカで最も安定して収益を上げることのできる“ライブ・アトラクション”として復活することになるとは、この当時のファンは誰も想像しなかっただろう。
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19位 In The Navy - Village People('79米3位/英2位)
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ディスコ・ブームのまっただ中でひときわ高い人気を誇ったグループの一つがヴィレッジ・ピープル。ディスコ・ミュージックを育てたゲイ文化からアイディアを拝借した“コスプレR&B”は大いにうけ、“ゲイの聖地”サンフランシスコを讃えた「San Francisco('77米102位/英45位)」や「Go West('79米45位/英15位)」、ゲイの願望を誇張ぎみに歌った「Macho Man('78米25位)」や「Y.M.C.A('79米2位/英1位)」などを次々とヒットさせた。「イン・ザ・ネイビー」は「Y.M.C.A.」同様「そこに行けば男がいっぱいいるわよ〜」というダンス・ナンバーで、そのメッセージが受け入れられた訳ではないだろうが、我が国でも日本語カバーが生まれるほどの人気を呼んだ。80年代に入った途端チャートから姿を消した彼らだが、残されたレコードは現在も非常に楽しめるものである。
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20位 Turn On The Radio - The Rollers
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1977年に人気が下降線をたどり始めたBCRは、翌78年にはすっかり“イエスタデイズ・ヒーロー”となり、英米ではヒットチャートの下位に顔を出すこともなくなってしまった。そうこうするうちにグループの看板であるレスリー・マッコーエン(近年は“マッキーオン”と表記するらしい)が脱退してしまいBCRは存続の危機に。グループ名を「ザ・ローラーズ」と改名し、後任のボーカリストとして抜擢されたのが南アフリカのロックバンド「ラビット(トレヴァー・ラヴィンが在籍していたことで知られる)」のキーボード奏者、ダンカン・フォールで、彼の加入により音楽性を一変させたこの曲は“パワーポップ”と言って差し支えないサウンドの佳曲だったが日本以外ではまったく相手にされず。グループは81年に解散し、その後幾度となく再結成と離散が繰り返されている。
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