TOP10 HITS OF LAST CENTURY
Presented by meantime

■ 洋楽ポピュラーシングルチャート 1980.5.25
01 ラジオ・スターの悲劇/バグルズ(Island)
02 ボディ・ランゲージ/ドゥーリーズ(Epic)
03 マジック/ディック・セント・ニクラウス(Epic)
04 お願いだから/リンダ・ロンシュタット(Asylum)
05 ガラスのニューヨーク/ビリー・ジョエル(CBS Sony)
06 ヒム/ルパート・ホルムス(MCA)
07 オン・ザ・レイディオ/ドナ・サマー(Casablanca)
08 オフ・ザ・ウォール/マイケル・ジャクソン(Epic)
09 カミング・アップ/ポール・マッカートニー(Odeon)
10 トワイライト・ハイウェイ/ボズ・スキャッグス(CBS Sony)
邦楽チャートでは“ドゥワップ歌謡”という世にも奇妙な世界を繰り広げたシャネルズの「ランナウェイ」がナンバー1を記録していた昭和55年5月、洋楽チャートの1位はバグルスの「Video Killed The Radio Star(英1位/米40位)」でした。
意外な曲が1位を記録していますね。バグルズはトレヴァー・ホーンとジェフ・ダウンズによるイギリスのポップデュオで、この曲は彼らにとって初のヒット。「ミュージックビデオはラジオDJの息の根を止める」というメッセージが当時どれだけシリアスに受け止められたのかは知りませんが、この翌年アメリカで放送が開始されたMTV(放送の第1曲目にはこの曲が選ばれました)がその後の音楽シーンを根本から変えたことからこの“預言”は後年80年代を象徴する一曲と見なされるようになりました。またグループはこの後イエスに編入され(グループごと取り込まれるってのはちょっと凄いですよね)アルバム「ドラマ」に参加。間もなくイエスは暫し解散しますが、ダウンズは続いて参加したバンド、エイジアのメンバーとして、一方ホーンは再編されたイエスの大ヒットアルバム「90125」のプロデュースを経て自身のレーベルZTTを興し、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドを大成功させるなど80年代もっとも影響力を持つプロデューサーの一人として、日本でも知名度を上げていくことになります。
ということでこの曲もグループも、現在取り上げられる際は「後から考えれば・・」という感じで語られることが多いのですが、今回はこの時点、1980年の春に日本でナンバー1を記録した理由について考えてみたいと思います。ミーンタイム関係者の意見を総合したところ(ご協力有難うございました)近年ありがちなタイアップのようなものは、この曲に関してはなかったようで、当時を知る人にとっては
(1)この頃はまだ「全英ナンバー1!」という宣伝文句が有効な時期で、それをきっかけにこの曲を知った人が多かった
(2)ラジオでこの曲は盛んにかけられ、洋楽番組のリクエストチャートでは1位を記録していた・・ことなどが要因となったのではないか?とのこと。
とはいえ、チャートを見ていただければ判るとおり、幾多の“ベタな”洋楽ヒットを押し退けてナンバー1に輝いている訳ですから、これは熱心な洋楽ファンの支持だけではなし得なかったはず。ここでもう一つ考えたキーワードが「テクノポップ」。
時代が1980年代に変わり、当時は新しいポップスとしてテクノ(今いうテクノとはちょっと違う)に非常に期待が高まっていた雰囲気があり、この月でいえば邦楽チャートでイエロー・マジック・オーケストラの「テクノポリス」が17位にランクインしていたりするのですが(昭和50年代の邦楽チャートはまだ「大人のもの」という雰囲気が残っており、この手のグループがこのランクまで上がってきているのは「若い世代だったら誰でも聴いている」という規模のヒットを意味しました)、この曲や、この年の前半にヒットしたMの「Pop Muzik(米1位)」などは、そういった流れの中で評価されたようです。
さて、以前このコーナーで紹介したとおり、前年1979年まで日本の洋楽チャートはディスコ一色といっても過言ではない状態にありました。80年代に入っても相変わらずディスコは洋楽ヒットを生む重要な場でしたし、ダンスミュージックも支持され続けましたが、この頃には流石に「サタデイナイト・フィーバー」的なイメージには気恥ずかしさが漂い始め、各アーティストとも新たなイメージでもって売り出されるようになります。
まず2位のドゥーリーズ、彼女たちはアラベスクと並んでディスコ時代後期に日本に紹介され前年に「Wanted(英3位)」がヒットを記録していたガールグループ。当時日本のメディアにも盛んに登場したので現在では「日本のみで人気があったグループ」という印象が強いのですが、実は本国でも10曲のチャートヒットを持つ人気者。ここに登場している「Body Language(英46位)」は彼女たちにとって後期のヒットに当たるもので、当時は日本先行という形でヒットしていました。この手のガールグループは、この年の後半にノーランズの「ダンシング・シスター」が大ヒットすることにより“キャンディ・ポップ”の冠がつけられ、翌年大変な盛り上がりが見られることになるのですが、それについては次回。
“ディスコ・アーティスト”というレッテルはともすれば時代遅れの印象さえ抱かれかねなかったこの時期、多くのR&B系アーティストは新たなイメージを打ち出すべく奮闘中でありました。この月7位のドナ・サマーは、78〜79年にかけての驚異的な連続ヒットで「ディスコの女王」に君臨しましたが、時代とともに心中する訳にはいかない。彼女にとって初のベストアルバム「On The Radio」からカットされたこの曲(米5位)をもって、莫大な成功を収めながら殆どお金を得ることが出来なかったというカサブランカ・レコード(この会社の経営が如何に滅茶苦茶だったかというエピソードは、数年前に日本でも出版された「ヒットマン」という本に詳しく書かれているので、一読をお薦めします)を離れ、新天地ゲフィン・レコードに移籍することになります。結局そこではそれまでのような成功を得ることはできませんでしたが。。
で、R&Bの新路線には、日本では「ブラック・コンテンポラリー」という名称が採用され、ここで注目を集め始めたのが他ならぬ8位のマイケル・ジャクソン(米10位)。大ヒットアルバム「Off The Wall」は極論すれば「マイケルの時代」といえなくもない80年代の、彼の快進撃のスタートとして現在も非常に高い評価がなされていますが、彼については今後いっぱい書く機会があるので、ここではあまり詳しく触れずに流しておきます。
もう一つ、今回のチャートには日本の洋楽独自のジャンルが登場します。それが「AOR」。リスナーのターゲットをやや高めに設定した、洗練されたサウンドの「大人向けのロック」は、1976年ボズ・スキャッグスの「Silk Degrees」あたりから注目は集め始めていたようなのですが、これに「アダルト・オリエンテッド・ロック」と名前がつけられてブームとなるのがこの年あたりから。その象徴的なヒットが幾つか登場しているのでまとめて紹介しておきましょう。
この月3位のディック・セント・ニクラウス「Magic」は、日本以外では殆ど(というかまったく)知られていないヒット曲ということで、この時代のAORの代表的存在として語り継がれている曲。再評価が著しい、参加ミュージシャンに主眼が置かれた近頃の「AOR」的文脈の中では、忌み嫌われる存在のようですが。続いて6位のルパート・ホルムズ「Him(米6位)」は、彼をAORに含めていいものなのかどうか迷うところもありますが、この曲に関していえば洗練されたサウンドも、ポップな曲調も十分に“アダルト”。そしてこのジャンルの創始者の一人とも言えるボズ・スキャッグスも10位に登場。80年代以降ポップスのメインストリームを牛耳っていくデヴィッド・フォスターと全面的に共作したアルバム「Middle Man」からカットされた「You Can Have Me Anytime」は、いかにもな邦題がつけられて日本のみでヒットを記録しています。なお彼はこの“AORブーム”を尻目にこのアルバムをもって暫く活動停止、「Heart Of Mine(米35位)」で復活する1988年には、時代は一巡りして“AOR再評価”の状態にまで移り変わっていました。
・・なお今回、AORと必ず対になって登場するキーワード「なんとなくクリスタル」は自分の中でNGワードに指定しましたので、言及しません。物足りない思いをされている方、ごめんなさい。。
少々長くなってきたので急いで切り上げましょう。4位と5位は当時のアメリカのメインストリーム的なロック。近年はかつての美貌が見る影もない4位のリンダ・ロンシュタット「How Do I Make You(米10位)」は、それまで60年代のナンバーのカバーを得意としていた彼女には珍しいタイプのストレートなロック。この後彼女は「Get Closer(82年29位)」を経て、暫しロックから離れた活動を展開します。最後5位のビリー・ジョエル「You May Be Right(米7位)」は「Stranger」で人気が爆発した彼のアルバム「Glass Houses」の冒頭を飾るハードなR&Rナンバー。蛇足承知で邦題に言及しておきますと、曲の頭にガラスが割れる音が入っている(これはジャケット写真につながっています)ことからこのタイトルになっています。
最後9位はポール・マッカートニーの「Coming Up(米1位/英2位)」。ほぼ解散状態となったウィングスに見切りをつけ、約10年ぶりにソロアーティストとして発表したこのシングルはシンプルなR&Rがウケて大ヒットとなりましたが、アメリカではどういう訳かB面に収録されたライブバージョン(ウィングスとの演奏)が人気を集めてこちらがナンバー1を獲得。記録上はウィングス最後のヒット曲となっています。更に皮肉なことには、ポールはソロとしては以降アメリカでナンバー1ヒットを放つことがなかった(デュエット曲のみ)という。。本当に皮肉な結果となりました。
(2001.5.1)
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