TOP10 HITS OF LAST CENTURY
■ 洋楽ポピュラーシングルチャート 1981.5.25
01 ドント・ストップ・ザ・ミュージック/ヤーブロウ&ピープルズ(Mercury) 80年代シリーズは読者の方の多くがリアルタイムで聴いていた音楽を取り上げるので、どこからどんなツッコミが入るのかちょっとビクビクしながら書いている部分もあるのですが、一方でミーンタイム関係者の力強いサポートもあるので(皆さんご協力有難うございます!)この色々とあった時代をなんとか乗り切ろうと頑張っています。さて、邦楽チャートでは寺尾聡の「ルビーの指輪」がナンバー1を記録していた昭和56年5月、洋楽チャートの1位はヤーブロウ&ピープルズの「Don't Stop The Music(米19位)」でした。 ヤーブロウ&ピープルズはカルヴィン・ヤーブロウとアリサ・ピープルズの男女(後に夫婦)R&Bデュオで、当時アメリカで大変な人気を博していたファンクバンド、GAPバンドのメンバーに認められてデビューを果たし、この曲がいきなりR&Bチャートでナンバー1となりました。プロデュースはGAPバンド同様ロニー・シモンズが担当し、80年代前半の典型的な、ダンサブルなファンクサウンドを聴かせています(90年代後半はこの手のサウンドをサンプルしたR&Bヒットが多くありましたが、この曲を使ったヒット曲って、何かありましたっけ?)。彼らはこの後もR&Bチャートでヒットを放ち続けましたが、ポップチャートではほとんど一発屋扱い。当時洋楽を聴かれていた人もこの一曲のみで彼らを記憶しているのではないでしょうか。 しかし、この曲がこの当時日本でヒットしたのは“ディスコ時代以降のファンクサウンド”がどうのとか、そういった評価が為されたからではなく、ホンダのスクーター、タクトのTVCMに使用されたことが大きかったようです。そういえばこれの前か後かちょっと思い出せないのですが、このCMのシリーズに若き日のマイケル・ジャクソンが登場するものがありましたよね(BGMは「今夜はドント・ストップ」。ドント・ストップつながり?)。彼がはにかみながら両目を瞑るのを見て「彼はウインクができないのか?」と思った覚えがあります。
しかし、今当時を振り返ると、ヒット曲の実績でいえば、日本ではアラベスクが、本国イギリスではドゥーリーズがノーランズのそれを上回るのですが、それでも「キャンディ・ポップ」といえばノーランズ、というイメージが現在も非常に強く残っています。これはレコード会社の徹底したマーケティング戦略と、メンバーのキャラ立ち(当時のガールグループで、メンバー全員の名前を覚えるとしたら、多分ノーランズ以外は不可能でしょう)の賜物なんでしょうね。「Sexy Music」も本国ではヒットの記録はなく、どうやらこの年の「東京音楽祭」のために用意された勝負曲(見事グランプリを獲得)だったようで、ここまで徹底すれば大したものです。当時お子様だった私は、それまでのハッピーな作風からうって変わってのセクシー路線に大いに戸惑ったものでしたが、その受け止め方は世代によって違ったのでしょう。
・・なんだか昨今英米日でやたらと見られる「TV主導型」アイドルのバイオを書いているような気分になってきましたが、この手の売り出しはどの時代にもあるということなんですね。どんな経緯であれ、そこから80年代を代表する世界的な人気女性歌手が生まれた訳ですから、結果オーライでしょうけど。アメリカで発売された彼女のシングル「9 To 5」は前述のドリー・パートン盤との混乱を避けるため「Morning Train (Nine To Five)」と改題され見事ナンバー1を獲得、「Modern Girl」の方も最高18位と、まずまずの成績を残しました。 日本に紹介された当時の彼女は、ショートカットでキリっとしたルックスが「モダン・ガール」という曲のイメージと非常にマッチしていましたし、またこの頃「Physical」などセクシー路線に移行してしまっていたオリヴィア・ニュートン・ジョンに代わる、日本人好みの洋楽アイドルとして受け入れられたという側面もあり、非常にいいタイミングの登場だった印象があります。彼女はこの後80年代を通じて日本でも人気アーティストの座を維持していきました。
マッチボックスや、同じ頃ブレイクし80年代イギリスを代表する人気アーティストとなったシェイキン・スティーブンスなどは、現在本国では殆ど評価されておらず、そのCDは根強いファンが存在するヨーロッパ大陸のみで細々とリリースされている状態。当時両者の人気者ぶりを伝え聞いて渡英し、80年に「Runaway Boys(英9位)」でブレイクしたストレイ・キャッツを率いていたブライアン・セッツァーの健在ぶりを見るにつけ、彼らが不憫に、というか「セッツァー兄貴、何とかしてやれよっ!」という気分にさせられます。 あともう一点、前回書き忘れましたがシャネルズの「ランナウェイ」、この曲は井上忠夫が作曲、湯川れい子が作詞を手がけたもの。両氏はこのコーナーの1965年、66年の回にも登場している(バックナンバーをご参照!)和製ポップスのパイオニアで、それから10数年後、その二人が作った曲が邦楽チャートの1位を記録する・・というストーリーを紹介できるのは、なんだかこの企画を続ける意味が凄くあるような気がしませんか(しないか)?
レイ・ケネディは70年代を通じて数々のロックバンドのボーカルを務めてきたシンガーで、この曲はCMソングに起用されたことからヒットに結びついたようですが、当時音楽を聴いていた者にとってこの曲に関してもっとも記憶に残っているのは、八神純子の「パープル・タウン」を巡る一件。早い話が“パクり”なんですが、メロディの類似性はともかく、アレンジまでそのものズバリにしてしまったのはマズかった。こういう場合ってアーティストが全面的に責任を負う形になるんですが、制作スタッフももうちょっと気は回らなかったんでしょうか?結局この曲は作曲者として追加でケネディの名がクレジットされるという最も屈辱的な形で問題が決着し、現在も“パクり”の代表的な事例として音楽ファンの間で話題に上ります。なお、現在はこういった“パクり”問題は物凄く巧妙に処理され、表には出ない仕組みになっているとか。ケネディは、この数年後マイケル・シェンカー・グループの臨時雇いで再来日。歌詞を殆ど覚えずカンペを見ながらステージをこなしたことが現在も語り草になっているとか。なんだか彼には色々と情けない逸話がついて回りますね。。
最後10位は「まともな」全米ヒット、REOスピードワゴンの「In Your Letter(米20位)」。当時は機材の進歩もあって、それまでハードロックやプログレッシブ・ロックと分類されていた音楽が非常に商業的なサウンドに料理され、日本では「産業ロック」と呼ばれるジャンルの音楽(英語に直すと、全然違う音楽になるのが面白いんですが)として認識されていきました。REOもそういった流れの中でヒット曲を連発したグループで、80年代に大変な人気を博しました。今となっては彼らやカンサス、フォリナーといったバンドのパッケージ興行はアメリカではノスタルジア・サーキット(懐古的な興行)に取り組まれているようですが、そこではおびただしい数のヒット曲が披露されているんでしょうね。行ってみたいような、やっぱり行きたくないような・・。
(2001.5.9)
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