TOP10 HITS OF LAST CENTURY
Presented by meantime

■ 1981 Radio & Records All-Time Charts - CHR/Pop

01 Bette Davis Eyes - Kim Carnes (EMI America)
02 Endless Love - Diana Ross and Lionel Richie (Motown)
03 Arthur's Theme (Best That You Can Do) - Christopher Cross (Warner Bros.)
04 The One That You Love - Air Supply (Arista)
05 Who's Crying Now - Journey (Columbia)
06 The Best of Times - Styx (A&M)
07 Woman - John Lennon (Geffen/Warner Bros.)
08 Private Eyes - Daryl Hall and John Oates (RCA)
09 Keep on Loving You - REO Speedwagon (Epic)
10 Slow Hand - Pointer Sisters (Planet/Elektra-Asylum)

1.ベティ・デイヴィスの瞳/キム・カーンズ
 60年代後半“産業フォーク・グループ”ニュー・クリスティ・ミンストレルズの一員としてツアーを回っていたというキム・カーンズは、70年代後半にソロ・アーティストとして表舞台に登場するとミンストレルズ時代の旧友ケニー・ロジャースのバックアップを得て彼とのデュエット「Don't Fall In Love With A Dreamer(80年米4位)」でブレイク。その翌年に発表し彼女一世一代のヒットとなったのがこの曲であった。作曲のジャッキー・デシャノンが75年にディキシーランド調のアレンジで発表したのがオリジナルで、彼女はハスキーボイスでハード目に仕上げ、大好評を博した。因みにベティ・デイヴィスは1930年代から活躍する高名な女優(当時既に70歳を超えていた)で、晩年も「八月の鯨(87年)」など印象的な作品を残している。余談になるが「ベティーズ・ブルー」というファッション・ブランドはこの曲を元に名づけられているのではないか?と長年思っているのだが、真偽のほどはどうなのだろう?
2.エンドレス・ラブ/ダイアナ・ロス&ライオネル・リッチー
 1960年代以来モータウンの看板スターとして君臨したダイアナ・ロスはこの年同社を離れRCAで新たなキャリアを歩むこととなるが、その置き土産となったのがこの歴史的大ヒット。コモドアーズに在籍しながら次のキャリアを見据え着々と活動範囲を広げていたライオネル・リッチ−がソングライターとして起用された映画「エンドレス・ラブ(当時絶世の美少女と呼ばれたブルック・シールズ主演)」のテーマは当初インスト曲が予定されていたそうだが、出来上がった作品を聴いて監督のフランコ・ゼフィレリはそれに詩をつけ、ダイアナ・ロスとのデュエットにすることを提案。移籍したばかりのダイアナではあったが、その録音に同意し“古巣”モータウンからのシングル発売が実現した。
3.ニューヨークシティ・セレナーデ/クリストファー・クロス
 前年「Ride Like A Wind」「Sailing」と立て続けに大ヒットを飛ばし、グラミーの最優秀新人賞を獲得したクリストファー・クロスが次に受けたオファーは、バート・バカラックとキャロル・ベイヤー・セイガー夫妻(当時)と映画の主題歌を共作するという大仕事だった。ダドリー・ムーア主演のコメディ「アーサー」は作品自体の評判は芳しいものではなかったが、主題歌はドラマチックな展開が評価されアカデミーの最優秀楽曲賞を獲得、クロスがアルバム1枚で終わるアーティストではないことを証明した。なおこの歌の「When you get caught between the moon and New York City」という印象的なサビの部分はセイガーが前年にピーター・アレンと作り、お蔵入りとなっていた曲から再利用したもので、このお陰でアレンはナンバー1ヒットのソングライター印税を得ることとなった。
4.シーサイド・ラブ/エア・サプライ
 80年代の洋楽といえば、イギリス勢が全米チャートを席巻した“第2次ブリティッシュ・インヴェーション”を印象深く覚えている方も多いと思うが、その前にオーストラリアのアーティストによる“プチ・オージー・インヴェーション”があったことも忘れてはならない。中でも目覚ましい活躍をしたのがAORデュオ、エア・サプライで、彼らが80〜82年に記録した7曲連続TOP5ヒットは、今年(2004年)キース・アーバンに破られるまでオーストラリア出身のアーティスト最高記録であった(但しアーバンはカントリー・チャートでの記録)。日本に於ける彼らは完全にイメージ先行で、そのオヤジ然としたルックスはジャケットに登場することは少なく、この曲も歌詞の何処にも海を連想させるものが登場しないにも関わらず夏っぽく「シーサイド・ラブ」とタイトルがつけられた。
5.クライング・ナウ/ジャーニー
 70年代前半サンフランシスコで結成されたハードロックバンド、ジャーニーはギターのニール・ショーンにボーカルのスティーブ・ペリー、更にキーボードのジョナサン・ケインが加わってこの年にリリースされたアルバム「エスケイプ」が大ヒットを記録し“産業ロックの時代”のトップ・グループに伸し上がった。同作からのファースト・カットであるこの曲もバンドのサウンドをよく示した佳曲だったが、続いてカットした「Don't Stop Believin'(米9位)」はペリーのハイトーン・ボイスを活かした更に強いインパクトを持つ作品で、この曲は現在もTVCMで頻繁に聴くほどの人気を誇っている。彼らは特に日本で人気の高いバンドで、ペリ−不在の今年の来日公演も既にソールドアウト、追加公演が発表されるほどの盛況ぶりである。
6.ザ・ベスト・オブ・タイムス/スティクス
 “産業ロック”といって忘れてはならないグループは幾つもあるが、シカゴ出身のスティクスもその中の一つ。プログレッシブ・ロックバンドとしてスタートした彼らは74年にバラード「Lady(米6位)」が大ヒット、以降アルバムにはラジオ向けのバラードが入るようになり「Come Sail Away(77年8位)」「Babe(79年米1位)」といった大ヒットが生まれたが、これはヒットが生まれる度にスポットが当たるボーカルのデニス・デヤングと、ギタリストのトミー・ショウの溝を次第に深めていく結果を招くこととなった。「ザ・ベスト・オブ・タイムス」は彼ら最大のヒットアルバム「パラダイス・シアター」に収録されていたもので、当然のように大ヒットを記録。“ラジオ・フレンドリー”を絵に描いたような、売れ線ロックバラードのお手本的な曲。
7.ウーマン/ジョン・レノン
 前年暮れに起こったジョン・レノン射殺事件はこの年も尾を引き、彼の遺作となったアルバム「ダブル・ファンタジー」からカットされたシングルは次々とチャートの上位にランクインを果たした。「ウーマン」は「スターティング・オーヴァー(80年米1位)」に続いてリリースされたもので、オールド・スタイルなR&Rの前曲に対し、こちらはロマンチックなバラード。彼全キャリアのレパートリーの中でも、現在最も頻繁に耳にすることのある作品の一つである。暫しの主夫生活から活動再開後間もなくの悲劇だったため、新たな創作意欲に燃えていたレノンがその後生み出したであろう名曲の数々を聴く機会を永遠に奪われてしまったことは、音楽ファンとして残念でならない。
8.プライベート・アイズ/ダリル・ホール&ジョン・オーツ
 76年に「Sara Smile(米4位)」、77年に「Rich Girl(米1位)」と大ヒットを放ったにもかかわらず、70年代後半のホール&オーツは“中堅どころ”の域を脱することが出来ずにいた。その2人に大ブレイクの時が訪れたのは80年代に入ってからで、まず80年にリリースした「Voices(モダン・ボイス)」からの「キッス・オン・マイ・リスト」がナンバー1を記録、続くアルバムのタイトル曲であるこれが再びチャートのトップに立ち、後に“ロック史上最高のデュオ”と呼ばれる彼らの全盛期が幕を開けた。「キッス〜」と「プライベート〜」両曲をホールと共作したのはジェイナ・アレンという女性で、彼女は「Sara Smile」のモデルとなったホールの当時のガールフレンド、サラ・アレンの妹であった。
9.キープ・オン・ラビング・ユー/REOスピードワゴン
 60年代後半より活動を続けるREOスピートワゴンは、長いツアー生活に明け暮れる毎日の後、70年代後半に運が上向きとなり、80年代に入ってアルバム「Hi Infidelity」が大ヒット、このバラードが初のTOP40にしてナンバー1を獲得した。特に突出した特長や強みのないバンドでも、適格なサウンドとタイミングで大化けできるという、今日のロックシーンでも教訓になるかも知れない好事例。彼らはこの数年後まったく同じ路線の「Can't Fight This Feeling(85年米1位)」がキャリア最大のヒットとなる。それにしても今回のチャートでいえばジャーニーにスティクスにREO、どれもハイトーンなボーカルを擁した大型ロックバンドばかりで、これが70年代後半から80年代前半の主流を占めるサウンドであったのだな、と改めて認識するばかり。
10.スロー・ハンド/ポインター・シスターズ
 オークランド出身の4姉妹、ポインター・シスターズが70年代初頭に音楽シーンに登場した時は、ノスタルジックな衣装を身にまとってファンクやカントリー(!)を歌う風変わりなグループだったが、ボニー・ポインターが独立した78年に大幅なイメージチェンジを果たし、約10年に及ぶ彼女たちの黄金時代が到来した。ナッシュビルのソングライター、ジョン・ベティスとマイケル・クラークによって書かれたこの曲は、いつまでたっても曲が書き上がらない2人の仕事ぶりを曲にしようと思い立ち、実際に曲になるまでに4〜5日を要したというまさに“スロー・ハンド”の産物であった。メローなサウンドはR&B以外のリスナーにも受け入れられたようで、この翌年にはコンウェイ・トゥイッティのカバー・バージョンがカントリー・チャートで1位を記録している。


(2004.10.19)

Flashback Home 


copyright (c) 2000-2004 by meantime, all rights reserved.