Presented by meantime
■ 洋楽ポピュラーシングルチャート 1983.5.25
01 君はルッキン・ホット/バリー・マニロウ(Arista)
02 ビリー・ジーン/マイケル・ジャクソン(Epic)
03 レッツ・ダンス/デビッド・ボウイ(EMI America)
04 カモン・アイリーン/デキシーズ・ミッドナイト・ランナーズ(Mercury)
05 光の天使/ローズマリー・バトラー(Canyon Int'l)
06 今夜はビート・イット/マイケル・ジャクソン(Epic)
07 君は完璧さ/カルチャー・クラブ(Virgin)
08 オーバー・キル/メン・アット・ワーク(Epic)
09 禁じられた色彩/デビッド・シルビアン&坂本龍一(Virgin)
10 ワーズ/F.R.デイビッド(Carrere)
邦楽チャートでは松田聖子の「天国のキッス」がナンバー1を記録していた昭和58年5月、洋楽チャートの1位はバリー・マニロウの「You're Looking Hot Tonight(英47位)」でした。
70年代半ば〜80年代前半を代表するポップ・シンガーソングライター、バリー・マニロウはこの時期までに膨大な量のヒット曲を英米のヒットチャートに送り込んでおり、中には「Copacabana (At The Copa)(米8位)」のように日本でも知名度の高いヒットも生みました。もっとも、彼のバラードでも、ダンスでも、スタンダードでも何でもござれ、という器用なスタンスは、一部のロックファンの反感をかって正統な音楽面の評価がなされていないような気がしますが。彼の作品、名曲多いですよ。ただ、つまらない曲も結構ありますが。。
この年の前半に英米でヒットした「Some Kind Of Friend(米26位/英48位)」によく似た曲調のこの曲は、ほぼ日本のみで大ヒットを記録しました(上記イギリスのチャート成績はこの年の夏以降のもので、恐らく日本での好セールスを見てリリースが決まったのでしょう)。それはこの曲が「ノエビア化粧品」のCMソングに起用されたから。同社のCMからはこの後もフレディ・マーキュリーの「I Was Born To Love You(85年英11位/米76位)」など、日本人にとって思い出深い洋楽ヒットが生まれました(2003年に同社CMから生まれた洋楽ヒットを集めたCDが発売されましたが、残念ながら「〜Lookin' Hot」は収録されませんでした)。
なお、マニロウはこの年の後半に発表した「涙のラストレター(「Read 'Em And Weep」米18位/英17位)」を最後にヒットチャート戦線から離脱し、よりスタンダード指向のポップスを中心に歌っていくことになります。近年は、カバーアルバムの制作が多いようですね。
さて、1983年はポップ史的に「MTV時代の幕開け」に当たります。何週か前のこのコーナーで紹介したとおり、本国アメリカではこの2年前にMTVが営業を開始していましたし、我が国でもある世代の人にこの話題をふると、誰もが目を輝かせてあの頃の思い出を語り始めるというTV番組「ベストヒットUSA」の放映が既に始まっていましたが、プロモーション・ビデオ(PV)のヒットチャートに対する圧倒的な影響力をまざまざと見せつけられるようになったのはこの年から。今回のチャートには、この時代を象徴するアーティストが登場しています、それがマイケル・ジャクソン。
前作「Off The Wall」の大成功を受け、再びクインシー・ジョーンズに制作を委ねたアルバム「Thriller」で、マイケルの所属するエピック・レコードは大胆なビジュアル戦略に出ます。まず先行シングルの「The Girl Is Mine(米2位)」は、ポール・マッカートニーとの共演曲という話題性も手伝ってPVの制作がないまま大ヒットを記録しました(そういえばこの曲も、同じくポール&マイケル共演の「Say Say Say(米1位)」も“今週の”アルバムチャート2位に初登場した「Wingspan」には収録されていませんね)。続いて市場にはマイケル陣営から矢継ぎ早に2枚のシングルが投入されます、それがこのチャート2位の「Billie Jean(米1位)」と6位の「Beat It(米1位)」。ここで「歴史が動きます。」(ってNHKかよっ!)
当時、基本的に「R&Bはかけない。」というポリシーだったMTV(多分“ディスコ”の悪印象があり、新時代の音楽メディアを自認していた彼らが打ち出した方針だったのでしょう)を説き伏せ、映画並みの制作資金を注ぎ込んだPV2本を大量オンエア、これは忽ち大きな反響を呼び、シングルとアルバム両方をヒットチャートのナンバー1に押し上げました。ベースラインとキーボードのフレーズが生み出すグルーヴが非常に印象的な「Billie Jean」と、若きギターのカリスマ、エディ・ヴァンヘイレンを起用したロックナンバー「Beat It」は、ある意味対照的な作風と言えますが、これが後に“キング・オブ・ポップ”と称される彼の戦略なんでしょうね。「レコード産業史上最も売れたアルバム」の1枚となるこの「Thriller」ブームは翌年も続きますので、今回はこれくらいにしておきましょう。
さて、音楽の流れが徐々に変わりつつあったこの1983年、時代の潮流に敏感なあるアーティストが大胆なイメージチェンジを図りました。彼の名はデヴィッド・ボウイ。それまで日本ではカルト・アーティストというイメージが強かった彼でしたが、シックのナイル・ロジャースをプロデューサーに迎え、ダンサブルなサウンドと、非常にわかり易い男前なビジュアルでシーンに問った「Let's Dance(米1位)」と、あと日本ではこれが大きかったと思うんですが、大島渚監督の映画「戦場のメリークリスマス」への出演で、彼は一躍洋楽アイドル市場の寵児となります。
以前から彼を知る音楽ファンは、これを「裏切り行為」と受け止めたようですが、あとから考えれば常に試行錯誤を繰り返し、その都度本位/不本意な結果を残していく彼の活動の一部分に過ぎないということなんでしょうね。とりあえず私は、この時期の彼の作品群も結構好きですが。あと「戦メリ」関連では主演の坂本龍一と、ジャパンのデビッド・シルビアンが共演した「Forbiden Colours(英16位)」も9位にランクイン。“元祖ビジュアル系”ジャパンは70年代後半より日本で大変な人気を博したバンドで、後を追うように本国でもその音楽性が認められていきました。参考までにこの月の邦楽チャートではYMOの「君に胸キュン」が8位にランクイン中、グループ活動は後期に差しかかっていましたし、ジャパンもそろそろ解散と、双方微妙な時期にありました。
そういえば現在ヒット中(オリコンで1位になりました)の、坂本龍一のプロジェクト“N.M.L. (No More Landmine)”に、シルビアン(及び弟のスティーブ・ジャンセン)も参加していますね。国内の著名アーティストに混じって、見馴れない外人のオッサンが歌ってるな・・と思ったら彼で、その変貌ぶりに吃驚しました。。
続いて4位はこれまた印象深い、デキシーズ・ミッドナイト・ランナーズの「Come On Eileen(米1位/英1位)」。パンキッシュなケルト・ロック、とでもいうんでしょうか。この曲は90年代後半のロック系クラブ(この何年か足を運んでないので、最近はちょっとわからないのですが・・)でも、かかる度に大変な盛り上がりになったものでした。デキシーズは“MTVの時代”に含めるのはちょっと可哀相な、イギリスでは80年代初頭からヒット曲を連発しているグループ。このヒット後はリーダーであるケヴィン・ローランドの変人ぶりばかりが話題になる印象が強かった覚えがあります。
5位は純然たる日本のみヒット、ローズマリー・バトラーの「Children Of The Light」。これはアニメ映画「幻魔大戦」の主題歌で、作曲はサントラを担当したELPのキース・エマーソン。この頃は“角川映画”の全盛期で、大量のTV広告とともに流された主題歌はどれもヒットチャートの上位に顔を出していました。
バトラーは前年草刈正雄主演の「汚れた英雄(やはり角川映画)」の主題歌「Riding High」もヒットさせており、日本では馴染み深い存在でしたが、本業はセッション・シンガー。西海岸のシンガーソングライター系の作品に数限り無く登場しており、昨年発表されたケニー・ロギンスの新作にもクレジットが確認できます。本国ではスタジオ詰めの日々が続き、たまに日本に来るとロックスターの気分を味わえるという。彼女にとってこの時期は、非常に幸福な思い出として残っているかも知れません。
7位はこれまたMTV時代の寵児、“女装の麗人(??)”ボーイ・ジョージ率いるカルチャー・クラブの「Do You Really Want Tp Hurt Me(英1位/米2位)」。MTVが有効なプロモーション・ツールとして機能する以前、国外のアーティストがアメリカ市場で成功するには、何処かのDJが曲を気に入って、気が狂ったようにヘヴィ・ローテーションを繰り返すような“奇跡”を期待しない限りは、地道なツアーやラジオ局への挨拶廻りが必須とされ、ドメスティックな市場を抱える者としては大変に困難な課題でありました。
しかしMTVが繰り返しPVをかけてくれればアメリカ本土の土を踏まずともツアーと同等のプロモーション効果が期待できる訳で、更にボーイ・ジョージのような強烈なキャラクターなら客のツカみが早い。そんなこともあってイギリス産のPVはアメリカのMTVを席巻し、ビートルズ以来の「第2次ブリティッシュ・ブーム」といわれる状況が到来します。一時はビルボードのHOT100の過半数を国外のアーティストが占める、なんて事態にまでなったそうですから、この音楽市場の“構造改革”は相当なものがあったみたいですね。カルチャー・クラブ及びボーイ・ジョージは、その後登場時のキワモノ的イメージを乗り越えて英米でヒット曲を連発していきましたが、それに負けないくらい日本でも愛されていきました。
8位はイギリス勢到来前夜のロックシーンを賑わせたオーストラリアのロックバンド、メン・アット・ワークの「Overkill(米3位)」。80年代前半はどういう訳かリトル・リバー・バンドやエア・サプライ、そして70年代から俳優として活躍していたリック・スプリングフィールドなどオーストラリア出身のアーティストがアメリカで次々とブレイクし、ヒットチャートを席巻しました。何故そのようなことになったのか、と理由を考えてみると、70年代から活躍する大型バンドと、より若いニューウェーブ指向のバンドの狭間で、ちょうどいい具合にポップなロックバンドがアメリカで見つからなかったのかな(レコード会社がオルタナ系バンドの売り出しに躍起になっている間に、やはりオーストラリアからやってきたポップなバンド、サヴェージ・ガーデンが大ブレイクしてしまった数年前の状況を思い浮かべると、解り易いかも知れません・・)?という気がしますが。
前年アメリカに上陸した彼らは爆発的なヒットを記録し、シングル「ノックは夜中に(Who Can It Be Now?)」は見事ナンバー1、続く“ロック版「クロコダイル・ダンディ」”のような「Down Under」も1位。これらの曲が収録されたアルバム「ワーク・ソングズ(Bussiness As Usual)」もチャートのトップを15週間独走するという驚異的なヒットとなり、1982年最も目覚ましい活躍を遂げたロックバンドとなりました。続くセカンドアルバム「Cargo」からカットされたこの曲「Over Kill(米3位)」も前作の好調を引き継いだポップな曲調で、見事大ヒットを記録しました。が、ここでネタ切れになったのか彼らは続いて「It's A Mistake(米6位)」「Dr. Heckyll & Mr. Jive(米28位)」と立て続けに魅力に欠けるシングルを発表し、その間にイギリス勢の大波に飲み込まれて二度とヒットチャートの上位に返り咲くことはありませんでした。。
最後10位は、これまた懐かしく思い出す人もいるかも知れません、F.R.デイビッドの「Words(英2位)」。これはこの当時珍しくヨーロピアンな雰囲気漂うソフトなポップスで、日本ではスクーターのCMに使われたこともあり、結構なヒットになりました。日本人好みの“ヨーロピアンなポップス”路線からは、翌年「あの娘はいってた。『ショパンが好きっ』って・・」という大ヒットが生まれますが、これは次回に。
参考までにこの時期の全米ナンバー1ヒットを紹介すると、まず3月に「Billie Jean」が1位に輝き、続いて「Come On Eileen」、そして「Beat It」、更に「Let's Dance」と、史上稀に見るアメリカと日本の洋楽チャート蜜月時代を迎えていました。更にこの後アイリーン・キャラの「フラッシュ・ダンス(What A Feeling)」、ポリスの「見つめていたい(Every Breath You Take)」と誰でも知ってる全米ナンバー1ヒットが続出し、新たな“洋楽黄金時代”が続きます。
(2001.5.23)Flashback Homecopyright (c) 2000-2003 by meantime, all rights reserved. |