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1.ジャンプ/ヴァン・ヘイレン
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ウェスト・コーストから登場した新世代のハードロックバンド、ヴァン・ヘイレンは20年に一人のカリスマ・ギタリスト、エドワード・ヴァン・ヘイレンの“ライト・ハンド奏法”と、ボーカルのデヴィッド・リー・ロスのショーマン・シップ溢れるステージングが人気を呼んで、この時代トップ・クラスの人気を誇るグループとなった。「ジャンプ」はアルバム「1984 (MCMLXXXIV)」から最初にカットされたシングルで、シンセサイザーを導入したポップなサウンドが従来のハードロックファンを超えた幅広い層のリスナーの獲得につながり、彼らにとって初の全米ナンバー1ヒットとを記録。現在では“80年代洋楽”のテーマソング的な存在となっている一曲である。
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2.見つめて欲しい/フィル・コリンズ
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前年1983年はポリスの「見つめていたい」という歴史的な大ヒットが生まれた年だったが、翌84年には「見つめて欲しい」という全米ナンバー1ヒットが生まれた。映画「カリブの熱い夜」主題歌であるこの曲は、この年ジェネシスとしては初めて「That's All」を全米TOP10入りさせ、この曲が収録されたアルバム「Genesis」のプロモーションのためのツアー中だったフィル・コリンズによって作曲され、録音されている。この曲を皮切りに彼はTOP10ヒットを80年代を通じて飛ばし続けることとなり、翌85年にはソロ「No Jacket Required」、86年にはグループで「Invisible Touch」とモンスター・アルバムをものにして、80年代1、2を争う“ポップ・スター”となった。
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3.フットルース/ケニー・ロギンス
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現在ではすっかり渋い存在感をスクリーンで示すようになっているケヴィン・ベーコンが“青春スター”として一躍脚光を浴びたのが80年代を代表する音楽映画の一つ「フットルース」。この映画のサントラからは次々とシングルヒットが生まれ、映画の内容と関係なくサウンドトラックをヒット曲の寄せ集めのように作り上げてしまうという80年代以降の一つの流れを決定付けた一作であった。ロギンスは映画の脚本を担当したディーン・ピッチフォードとともに書き上げたトゥワンギー・ギターが印象的なこのメガヒットで当代有数のヒットメーカーに伸し上がり、以降80年代の“サントラ王”として、音楽ファンに見放される寸前まで似たようなタイプのサントラヒットを発表し続けた。
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4.ビートに抱かれて/プリンス
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伝統的なファンク・サウンドと、ディスコ以降の性別を超越したイメージで新しいタイプのアーティスト像を確立したプリンスは、80年代初頭よりヒットチャートの異端児として数々のTOP40ヒットを放っていたが、その彼がメインストリームに大々的に乗り込んだのが自伝的な内容をもつ主演映画「パープル・レイン」の大ヒット。サントラから最初にカットされたこの曲は、ベースレスで聴く者を不安にさせる不思議なサウンドで、これがポップチャートのナンバー1に輝いてしまったところに、当時の「パープル・レイン」の盛り上がりの凄まじさを窺い知ることができる。映画の内容自体は、ちょっと甘ったれた青春ロックもの、という印象が強いのだが。
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5.レッツ・ゴー・クレイジー/プリンス&レボリューション
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アルバムチャートで24週間ナンバー1を独占した大ヒットアルバム「パープル・レイン」からのセカンド・シングルで、ロック色の強いこの曲からしばらくはバックバンド“レボリューション”もともにクレジットされた。プリンスとともに映画に登場した彼の“ファミリー”たち、シーラ・Eやアポロニア、タイムといった面々も次々とヒットチャートに登場し、一時大変な勢いを感じさせたが、中でも重要だったのはタイムのメンバーから派生し、継続的な成功という意味ではプリンス以上の成果を上げたプロデューサー・チーム、ジミー・ジャム&テリー・ルイスの2人だろう。ジャネット・ジャクソンとともに20年近く成功を続けている彼らも、元はといえば“ミネアポリス・ギャング”の構成員だったのだ。
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6.ミッシング・ユー/ジョン・ウェイト
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70年代にベイビーズのボーカリストとして成功を収めたイギリス出身のジョン・ウェイトが、ソロでもやっていけそうな雰囲気を醸し出した感傷的なバラード曲。その後彼は数多くの小ヒットを放ったものの、結局はこの曲の“一発屋”として多くの洋楽ファンに認識されるにとどまったが、80年代ジャーニーのメンバーとして活躍していたベイビーズ時代の盟友、ジョナサン・ケインと89年に再合流、“バッド・イングリッシュ”として「When I See You Smile」を再びヒットチャートのトップに送り込み、これだけで終わる人間ではないことを世間にアピールした(結局バッド・イングリッシュも一発屋っぽいバンドではあったが)。
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7.ハロー(出逢いの扉)/ライオネル・リッチー
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モータウンのB級ファンクバンド、コモドアーズのベーシスト(当初はボーカリストではなかった)だったライオネル・リッチーのソロ第二作目「Can't Slow Down」からのカット。非常に感傷的なバラード用に作られたプロモーション・ビデオにはリッチーが密かに思いを寄せるという設定の盲目の美女が登場、触覚を頼りに粘土でリッチーの胸像を作り上げてしまう(二人は両思いだった!)というストーリーの展開は、観る者に感動を伴う(?)笑いを誘った。1984年は彼にとってロサンゼルス・オリンピック閉会式のトリを務め、マイケル・ジャクソンと「ウィ・アー・ザ・ワールド」を共作と、ショービジネス界の頂点に立った記念すべき年であった。
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8.タイム・アフター・タイム〜過ぎ去りし想い〜/シンディ・ローパー
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アルバム「She's So Unusual」でその“普通じゃない”魅力を炸裂させ、ヒットチャートに登場したシンディ・ローパー。「Girls Just Want To Have Fun(『ハイスクールはダンステリア』2位)」で飛び跳ねながら女の子の気持ちを歌い上げた姿は当時既に30歳を超えているようには見えなかったが(後にそれが判明して洋楽ファンは皆衝撃を受けた)、続くこのバラードで長いキャリアに裏打ちされた音楽的才能の持ち主であることを世に示した。この曲のカバーは数多く生まれており、翌年マイルス・デイヴィスがアルバム「You're Under Arrest」で取り上げたことでも知られている。80年代日本において彼女はマドンナをも凌ぐ人気を誇っていて、「紅白歌合戦」に出場を果たしたこともある。
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9.ゴーストバスターズ/レイ・パーカーJr.
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“サントラヒットの時代”80年代中期の代表的なムービー・ヒット。冴えない中年男3人がお化け退治に駆け回る大ヒット映画「ゴーストバスターズ」から生まれたこの曲のビデオは日本でも毎日のように何処かのチャンネルでオンエアされ、元レイディオのギタリスト兼ボーカリスト、レイ・パーカーJr.の“ナマズ髭”を印象付けた。但しその後この曲はこの直前にヒットしていたヒューイ・ルイス&ニュースの「I Want A New Drug」に似過ぎているとクレームがつき、パーカー側も渋々それを認めるというケチがついてしまったが。なおこの映画の主演によりその後の俳優としてのキャリアが保障されたといっていいビル・マーレーは、この大作映画に嫌々出演する代わりに彼が大好きなサマセット・モームの「剃刀の刃」を映画化・主演することを映画会社に認めさせた、という話は余り知られていない、というか余り知る必要はない。
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10.レッツ・ヒア・ボーイ/デニース・ウィリアムス
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再び「フットルース」サントラからランクイン。ミニー・リパートンと並ぶ70年代R&B界の妖精(歌声のみだけれども)デニース・ウィリアムスに全米ナンバー1の栄誉を与えた(デュエット曲では1978年のジョニー・マティスとの共演曲「涙のデュエット(Too Much, Too Little, Too Late)」で1位獲得済み)。このサントラからは今回の年間チャートに登場している2曲の他マイク・レノ(ラヴァーボーイ)とアン・ウィルソン(ハート)の「Almost Paradise(7位)」、シャラマーの「Dancing In The Sheets(17位)」と全米ヒットが続出したばかりでなく、ボニー・タイラーの「Holding Out For Th Hero(34位)」とムービング・ピクチャーズの「Never」に日本語カバー盤が登場し、ヒットを記録したことでも思い出深いアルバムとなっている。
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