TOP10 HITS OF LAST CENTURY
Presented by meantime

■ 洋楽シングルチャート 1990.10.1

01 彼女 〜 MARIO 〜/エイミ・カリーナ(Pony Canyon)
02 イフ・ウィ・ホールド・オン・トゥゲザー/ダイアナ・ロス(WEA)
03 THE RIGHT COMBINATION/Seiko& ダニー・ワールバーグ(CBS Sony)
04 PRAYING FOR TIME/ジョージ・マイケル(Epic Sony)
05 ヴィジョン・オブ・ラブ/マライア・キャリー(CBS Sony)
06 ハヴ・ユー・シーン・ハー/M.C.ハマー(Toshiba EMI)
07 アンティル・ユー・カム・バック・トゥ・ミー/バーシア(Epic Sony)
08 ブラック・キャット/ジャネット・ジャクソン(Pony Canyon)
09 トゥナイト/ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック(CBS Sony)
10 リリース・ミー/ウィルソン・フィリップス(Toshiba EMI)

 平成2年10月の洋楽チャートはエイミ・カリーナの「MARIO」が1位を記録中。これはCMソング(浅野温子が出てくるシャンプーのCMだったような覚えが・・)で、作曲や制作は日本人の手による“和製洋楽”。ポニー・キャニオンはこの手の洋楽を精力的に市場に送り出していた会社で、その原因は海外メジャー・レーベルの系列会社でない為(この頃はまだインディだったA&Mのライセンスを獲得してジャネット・ジャクソンなどをリリースしていましたが、そのA&Mもやがてポリグラムに買収されることになります)洋楽レパートリーでさえ「自給自足」せざるを得ないという苦しい事情に拠るものだったのですが、それが結果的に日本人の耳を捕らえる印象的な“洋楽”を生み出す原動力となり、80年代は一連の角川映画の主題歌で話題を集めましたし、90年代も暫くは「日本のみ発売」ものヒットを数多く生みました。

 90年代は日本における洋楽の影響力が目に見えて衰退していく時期で、80年代には夢中になって洋楽を追いかけていたリスナーも、やがて「J-POP」と呼ばれるようになった国産のポップスに移行したり、もしくは音楽にまったく興味を無くしていったりしたものでした。またこのチャートではその傾向は見られないのですが、当時の英米のポップミュージックに行き詰まり感が見られたことから、メディアは挙って第三世界のポップス≒“ワールド・ミュージック”に注目するようになり「いまどき英米の音楽なんか聴いている奴はダサい。」という風潮もこの洋楽ヒットチャートの衰退に拍車をかけました。

 そういった背景も踏まえつつ今後の90年代シリーズを追っていただけば、何となく漂う殺伐とした雰囲気が判っていただけると思います。さて、続いて2位に参りましょう。ダイアナ・ロスの「If We Hold On Together」は、元々はスティーブン・スピルバーグとジョージ・ルーカスが制作した恐竜ものアニメ「The Land Before Time(リトルフットの大冒険/88年)」の主題歌として発表されたもので、そのときアメリカではアダルト・コンテンポラリー・チャートで23位程度の成績に終わった曲。しかし日本ではこの年の前半にドラマ「想い出にかわるまで」の主題歌に使用されて大ヒット、我が国における彼女の代表作となりました。

 個人的な話になって恐縮ですが、私は同じドラマを毎週見続けるような習慣は基本的に持ち合わせておらず、この「想い出に〜」も全編通して観たことは一回も無かったのですが、にもかかわらず10年たった今でも「あのドラマの松下由樹(主人公の妹として登場)は怖かった。」というイメージが強烈に残っています。よっぽど凄いオーラを発していたんでしょうね。なおこの曲、日本での好評を受けたのか80年代以降は本国以上に安定した人気を保っていたイギリスでシングルがリリースされ、92年に最高11位を記録しています。“日本のみヒット”ではないので念のため。

 3位には“Seiko”こと松田聖子とニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック のダニーのデュエット「The Right Combination(米54位/英44位)」がランクイン。1980年代、我が国のヒットチャートを制圧した“スーパースター”松田聖子は、続いて全米進出の野望に燃えることになります。この頃はまだ日本の景気も良くて、というかバブルの頂点を迎えようとしていた時期で、彼女が所属していたソニーはアメリカのコロンビア・レコードを買収しようという勢いでした。強力なバックアップを得て彼女は当時人気絶頂だったアイドルグループ、ニューキッズのメンバーとのデュエットにこぎつけ、作品は見事HOT100入りを果たしました。

 しかし、こういった売り出し方が長続きする筈がなくて、彼女は結局アメリカ音楽界に殆どインパクトを残すことは出来ませんでした。その後も彼女の執念深いアメリカ市場へのアプローチが続いたのは御存知の通り(一番の成果は映画「アルマゲドン」へのチョイ役出演ですかね)。中にはなかなか出来のいい曲もありましたが、日本のお茶の間ではそれらの作品は殆ど話題にならず、付随した色恋沙汰の方に専ら関心は集まっていたようです。

 本国の市場である程度の成功をおさめると、続いて目指すのはアメリカ、という発想は、西洋文化圏諸国のアーティストであれば誰でも持つものなのかも知れません。しかし冷静に考えれば、例えばバックストリート・ボーイズやイン・シンクがいくらアメリカで人気があっても、日本ではジャニーズ勢に到底かなわない(日本語で歌わない時点で、彼らは大方“負け”なのです)ことや、アメリカと密接なつながりがあるように思われるイギリスでさえも、本国で本当に売れているアーティストが、アメリカのチャートに継続的にヒット曲を送り込むことは非常に稀であることを考えれば、アメリカ進出の前には言葉だけでない大きな壁 があると考えるべきなのでしょう。

 さて、当時人気絶頂期にあったニューキッズの曲がもう一曲このチャートに登 場しています。9位の「Tonight(米7位/英3位)」は大ヒットアルバム「Step By Step」からのカット。88年に発表したアルバム「Hangin' Tough」が800万枚を超える売上を記録し、一躍全米のアイドルとなった彼らはその後立て続けに作品をリリース、この年には8億6000万ドルなんてとんでもない収益を上げました。

 しかし、アイドル市場は非常に生もので、彼らも「アイドルはせいぜいもって3年」のセオリーどおりこの曲を最後にアメリカでTOP10入りすることはありませんでした。何度も書いていますが、90年代はアイドル受難の時代で、彼らもその後“NKOTB”と名前を変え、ヒップホップ色の強い作品を発表したりしましたが、それは失笑を買っただけでしたし、後続のバックストリート・ボーイズも、この“氷河期”があけるまで活動の場をヨーロッパに求めざるを得ない状況が数年前まで続いたのでした。

 4位は当時の洋楽界のトップアーティスト、ジョージ・マイケル。「Praying For Time(米1位)」は前作「Faith」の成功を受けて大変な期待をもって迎えられたアルバム「Listen Without Prejudice」からのファーストカットで、当然のことながら大ヒット。しかしアルバムセールスは思ったより伸びず・・という話は何週間か前に紹介済み。彼はこの後暫く可哀相な境遇に置かれることになります。5位には90年代のヒットチャートの女王、マライア・キャリーが初登場。この年から昨年まで続いた(今年はちょっと無理かな・・?)11年連続ナンバー1ヒットの出発点となったこの「Vision Of Love(米1位/英9位)」の時は、後の“女王”ぶりは想像できないスマートで、ちょっと垢抜けないお姉さんだったんですがねぇ・・。彼女の変貌ぶりは時代を追って紹介していきましょう。

 6位は当時“旬”のアーティストM.C.ハマー。この時代を代表するヒットア ルバムとなった「Please Hammer Don't Hurt 'Em」がアメリカ国内だけで1000万枚を売り上げ全世界的にブレイクした彼、そこからのファーストカット「U Can't Touch This(米8位/英3位)」のプロモビデオで見せたユーモラスなパフォーマンスで洋楽ファンの心を捕え、一躍日本でも人気者となりました。続いてリリースされたチャイ・ライツの70年代クラシック(71年3位)のリメイク「Have You Seen Her(米4位/英8位)」も当然のことながら好感をもって受け入れられます。

 今考えてみても不思議ですが、当時の彼、そして同様にブレイクしていたボビー・ブラウンの人気は異常で、ヒップホップやR&Bスタイルのファッションを真似る男女を“ボビ男”“ハマ子”と揶揄する記事も見かけられるほど(冗談ではなく本当にメディアに登場した言葉です)の影響力を持ちました。R&Bアーティストが我が国のファッションリーダー、という状況が現在想像できますか?レコード会社も彼を“洋楽アイドル”に仕立て上げようとかなりの努力をし、見た目が似ている、というだけでコント赤信号の小宮孝泰を“MCコミヤ”に扮させシングル「遣唐使です(“Can't Touch This”にかけている点に注目)」を発売したり、ハマーのシングルをアニメ「お坊っちゃま君」の主題歌「レッツ・ゴー・ハマちゃま(この曲の原題未だに知りません)」として発売したりと、思いつく限りの策をめぐらしました。

 しかし、その期待に本人が応えてくれませんでした。彼は成功をおさめた途端に“セルアウト(商売のために日和った芸風になること)”と言われることを恐れて、ヤンキー丸出しの振る舞いを公の場でも続け“達者なエンターテイナー”を期待していたファンの失望をかいます。また作品もかつてのサービス精神旺盛な作風からより“リアルな”ものに移行しようとし、元々その方面に資質がある訳ではない彼は物凄い勢いでスターの座から転落していきました。その後彼のエンターテインメント路線はショーン“パフィ”コムズとウィル・スミスが更に大きな成功とともに受け継いでいくことになりますが、ハマーも自分の分をわきまえていれば、それなりの成功を続けられたのに・・と今も考えることがあります。

 7位はポーランド出身の女性シンガー、バーシアの「Until You Come Back To Me」。日本でも人気が高かったイギリスのグループ、マット・ビアンコのボーカルを務めていた彼女は80年代後半に独立、この曲はセカンドアルバム「London Warsaw New York」からのカット。この時期ラジオではこの曲に加え同アルバムから「Baby You're Mine」と「Cruising For Bruising」がよくかかっていましたが、日本では手堅くカバーのこの曲がシングルとして選ばれた模様。アメリカでは「Cruising 〜」がヒットを記録しました(米29位)。彼女の作品はこの後もラジオを中心に好評を博していくことになります。

 8位は依然好調、ジャネット・ジャクソンの「Black Cat(米1位)」。前年発表されたアルバム「Janet Jackson's Rhythm Nation 1814」から6枚目のシングルカットとなるこの曲もナンバー1ということで(更にいえば次の「Love Will Never Without You」もナンバー1を記録)彼女は完全にスーパースターとしての地位を確立しました。今回のチャートに登場しているアーティストのうち、一体どれだけが現在も第一線で活躍を続けているかを考えれば、その成功は驚異的といえるでしょう。

 最後10位は女性トリオ、ウィルソン・フィリップスの「Release Me(米1位)」ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンの娘、カーニーとウェンディ、そしてママス&パパスのジョン・フィリップスの娘、チャイナの3人で結成された二世グループということでデビュー当初一部の音楽ファンに注目された彼女たちでしたが、それが予想外のブレイクを果たし、ファーストアルバムからはこの曲をはじめ3曲がナンバー1を記録。新しいスーパーグループの誕生か?と期待を持たせましたが、続くセカンドアルバムでは早くも失速、グループは分裂しました。普通のポップスがヒットチャートで生き残り辛い時代になってきていたのでした。

 そういえば皆が楽しみにしていた(?)ブライアン・ウィルソンの来日公演、例のテロ事件があって延期になってしまいましたね。ことがブライアンに関するものなので「出来るときにやってくれればいいよ。」という姿勢はファンとしては出来ているのですが、既に購入しているチケット、これが使えるのはいつのことになるやら・・という不安は結構あります。「戦争が終わるまでやらない。」なんて言い出さないことをひたすら願うばかりですが。。

(2001.9.26)

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