TOP10 HITS OF LAST CENTURY
Presented by meantime

■ Billboard HOT100 May 4, 1991

01 Baby Baby - Amy Grant (A&M)
02 Joyride - Roxette (EMI)
03 I Like The Way (The Kissing Game) - Hi-Five (Jive)
04 Here We Go - C+C Music Factory presents Freedom Williams & Zelma Davis (Columbia)
05 Touch Me (All Night Long) - Cathy Dennis (Polydor)
06 I Touch Myself - Divinyls (Virgin)
07 Cry For Help - Rick Astley (RCA)
08 Rhythm Of My Heart - Rod Stewart (Warner)
09 You're In Love - Wilson Philips (SBK)
10 I Don't Wanna Cry - Mariah Carey (Columbia)

 平成3年5月第1週、ビルボード誌HOT100のナンバー1は、エイミー・グラントの 「Baby Baby」でした。

 エイミー・グラントは1970年代後半から活躍を続ける女性シンガー。その活躍 の場が“コンテンポラリー・クリスチャン・ミュージック(以下CCM)”という リスナーを限定するジャンルであったため一般のチャートに登場することはあり ませんでしたが、80年代半ばにA&Mに移籍し、アプローチをポップ寄りに変更。 ピーター・セテラとのデュエット「The Next Time I Fall(86年米1位)」の大 ヒットでその名を広く知られるようになりました。

 その彼女が91年に発表したアルバム「Heart In Motion」からのファーストシ ングルとしてリリースされたこの「Baby Baby」は、当時生まれたばかりだった 彼女の娘を題材に書かれた曲で、その内容とプロモーションビデオに登場した彼 女の親しみやすいイメージがリスナーの共感を呼びヒットを記録。彼女のポップ 転身を快く思わなかったCCMリスナーも少なからずいたようですが、それとは比 較にならないほど多くの新しいファンが彼女のアルバムを買い求め「Heart In Motion」は300万枚を超えるセールスを記録しました。

 同アルバムからは「Baby Baby(米2位/英25位)」「That's What Love Is For(米7位/英60位)」「Good For Me(92年米8位/英60位)」「I Will Remember You(米20位)」とヒットが続き、グラミーにもノミネート。彼女は90 年代前半のポップシーンを代表する一人となりました。以降もグラントは90年代 を通じてヒットを放ち、途中94年の「House Of Love(米37位/英46位)」で共 演したカントリーシンガー、ヴィンス・ギルと不倫の末結婚(2000年)し、CCM 系のラジオ局から締め出しをくらうなんてこともあったようですが、現在もなお クリスチャン市場に重点をおいた活動を続けています。

 続く2位はこの時期を代表するポップグループ、スウェーデンの(当時)夫婦 デュオ、ロクセット。89年にアメリカで発売されたアルバム「Look Sharp」で、 そのわかり易いポップさが非常にウケた彼らは「The Look」「Listen To Your Heart」、大ヒット映画「プリティー・ウーマン」サントラの「It Must Have Been Love(90年)」とナンバー1ヒットを連発。続いて発表したアルバム 「Joyride」のタイトル曲であるこれもナンバー1を獲得し、彼らの人気はまだま だ続くかに見えました。89年から91年にかけて発表した7枚のシングルのうち、6 枚までをHOT100の1位か2位に送り込むというとんでもない活躍を見せた2人でし たが、不幸にもこういったタイプのポップ・ロックが徐々にラジオから閉め出さ れ始めた時代だったため、この年の後半には人気は失速。92年の「Church Of Your Heart(36位)」を最後に以降TOP40に登場することはありませんでした。

 3位はテキサスから登場したニュー・エディションタイプのR&Bグループ、ハ イ・ファイヴ。彼らは最大のヒットであるこの「I Like The Way」をはじめ90年 代前半に幾つものヒットを放ちましたが、際立ったキャラクターがなかったため か、この時期物凄い数登場したティーンR&Bグループ群に埋もれてしまった印象 があります。リードボーカルのトニー・トンプソンは後にソロとして独立しまし たが、95年の「I Wanna Love Like That(米59位)」をスマッシュヒットさせた のみの成績に終わっています。

 さて、この時期のダンスシーン、特に非R&B系のダンスものはそれまでの80年 代的ないわゆる“ユーロもの”から次の段階に移行していました。“ハウス”と いう言葉がヒットチャートファンの間で話題になり始めたのは87年M/A/R/R/Sの 「Pump Up The Volume(米13位/英1位)」の頃からと思われますが、当時チャ ートで非常に異質だったこの曲が、やがて似たテイストのダンスヒットが相次ぐ ことで、80年代末にはヒットチャートの流れの一部をしっかりと占める程の存在 となっていました。

 そういった状況で非常にわかりやすい形でハウスサウンドを提示し、アメリカ でも日本でも大変なヒットになったのがプロデューサー、デヴィッド・コールと ロバート・クリビレスのユニット、C+Cミュージック・ファクトリーの「Gonna Make You Sweat (Everybody Dance Now)(90年米1位/英3位)」。ビデオの中で はやたら男前に見えたラッパーのフリーダム・ウィリアムスと「Everybody Dance Now!」の掛け声が非常にインパクトのあるこの曲はよりたちまちダンス・ アンセムと化しました。続くこの「Here We Go」では前曲でスターになったフリ ーダムと、プロモーション・ビデオで口パクしていたモデルのゼルマ・デイヴィ スをフィーチャーした形で、これもヒットを記録。続いてC+Cの二人はフリーダ ムをソロとして成功させることを目論みましたが、残念ながらそれは失敗。様々 なメジャーアーティストのプロデュースやリミックスの傍らユニットはデヴィッ ド・コールが亡くなった1995年以降も続きましたが、この年に生まれたヒット以 上のものを生み出すことはありませんでした。

 この時期は“グループ”ではなく“ユニット”という概念 〜プロデューサー 主導で、作品に参加するアーティストは代替可能〜 が一般化した時期で、C+C のように実際には歌っていない“メンバー”のフィーチャーも「ビジュアル・イ メージも含めてプロデューサーの作品」という新しいアイディアとしてヒットチ ャートにもたらされました。この頃は他にもテクノトロニック(このユニットも 歌わないモデルのフェリーをフィーチャーし、ラッパーのYa Kid Kの売り出しに 失敗したという共通点を持ちます)とか、スナップ!とか、各国の野心あふれる プロデューサーによる“ユニット”が次々と登場。この流れはJ-POPシーンにも 少なからぬ影響を与え、“プロデューサー+子飼いのアーティスト”という形態 のユニットが続出、特に90年代の一時期我が国の歌謡シーンを制覇した「TRF (Tetsuya Komuro Rave Factory)」なんてのは、名前からしてもC+Cの存在なく しては生まれなかったものでしょう。

 ダンスシーンが新しい流れを形成していた時期“ユーロビート”なアーティス トはどうなったのでしょう?その例の一つが5位のキャシー・デニス。デビュー 当初はプロデューサーD MOBの“ユニット”的な形でヒットチャートに登場しま したが、やがて独立。このタイプのアーティストとしてはなかなか健闘し、92年 までに8曲のチャートヒットを放ちました。以降も本国イギリスで活動を続けて いた彼女の名前が、再びアメリカのヒットチャートに登場したのは、同じく復活 組カイリー・ミノーグの「Can't Get You Ou Of My Head(2002年米3位)」のソ ングライターとして。カイリーの復活同様、このことに感慨深い思いをした方も 多かったことでしょう(?)

 そしてこの週7位、カイリー・ミノーグと並ぶ“ユーロビートの大スター”リ ック・アストリーは、かつてのプロデューサーと決別し、アダルトなシンガーと して再出発を図っていました。内省的なバラード「Cry For Help」はユーロビー ト時代から定評のあった彼の豊かな声質を生かした作品で、これで彼のイメージ チェンジは成功したかに思われましたが、残念ながらそれは続かず、この曲を最 後に彼はアメリカのヒットチャートから姿を消しました。

 90年代は“ロック”というカテゴリーが大きく変容した時期で、それまでロッ クのメインストリームを占めていたようなアーティストが急速にラジオから締め 出され、代わってそれまで“モダン・ロック”などと呼ばれていたタイプのもの のみが“ロック”と規定されるようになります。なので前述のロクセットのよう な“ロック”グループはマーケット上の居場所を失うことになりました。6位のデ ィヴァイナルズなどもその類い。80年代にオーストラリアからアメリカに進出を 果たしたロックバンドは数多くあり、中でも大きな成功を収めたのはINXSでした が、ディヴァイナルズもそういった流れの中の一組。ヴォーカルのクリスティー ナ・アンフレットのルックスも話題になったこのグループの「I Touch Myself」と いうちょっと際どいことを連想させる歌の内容は、リスナーの関心を引き大ヒット となりました。が、この手の“他愛ないロック”がヒットチャートで活躍する時 代はもうすぐ終わりに近づいていました。

 今の感覚だとピンとこないかもしれませんが、当時は9位に登場しているウィ ルソン・フィリップスも立派な“ロック”アーティスト。元ビーチ・ボーイズの ブライアン・ウィルソンの娘であるウェンディとカーニー、ママス&パパスのジ ョンとミシェル・フィリップスの娘、チャイナという“カリフォルニア・コネク ション”が生んだ3人のグループという話題性もあって彼女たちのファーストア ルバムからは3曲のナンバー1が生まれ、トップアーティストの仲間入りを果たし ました。この時期はビーチ・ボーイズの「Kokomo(88年米1位)」のヒット(作 曲クレジットにはジョン・フィリップスの名前もありました)も記憶に新しく、 長い間不安定な精神状態にあったブライアン・ウィルソンもソロアルバムを発表 して復活への第一歩を踏み出し、更にウィルソン・フィリップスの活躍と、ビー チ・ボーイズ好きにはなんとも嬉しいことが色々と起こったものでした。結局彼 女たちの活躍はチャートマニアが言うところの“一枚屋(ファーストアルバムか らはたくさんヒットが出るが、セカンドアルバムのファーストシングルが最後の メジャーヒットになる)”で終わりとなり、グループは分裂しました。近年の状 況を見ると、人気の突出振りがグループの分裂を早めたといわれたチャイナの噂 は殆ど聞かず、一番地味だったカーニー(そのルックスから、彼女がママス&パ パスのママ・キャスの娘だと思い込んでいた人何人かに会ったことがあります が、違います。ブライアン・ウィルソンの娘です)が“痩せた”という話題でメディ アに頻繁に登場しているのは、どうにも皮肉な気がします。

 で、ロック系ラジオ局から締め出されたそれまでのロックアーティストの受け 皿は何が務めたかというと、かつては“反ロック”の旗振り役だった“アダル ト・コンテンポラリー”。その乗換えをうまくこなし、大変な成功を収めたのが 8位のロッド・スチュアート。彼は88年のアルバム「Out Of Order」以降キャリ ア何度目かピーク期が続いている時期で、この年にリリースした「Vagavond Heart」も大ヒット。この絶好調は93年の「MTV Unplugged」まで続きました。

 最後10位は“90年代のチャート女王”マライア・キャリー。彼女はR&Bとアダ ルト・コンテンポラリーチャート両方で成功を収めるという絶妙なマーケティン グ戦略でヒットを連発、ファーストアルバムから「Vision Of Love」「Love Takes Time」「Someday」そしてこの「I Don't Wanna Cry」と4曲を立続けにナ ンバー1に送り込むという離れ業をやってのけましたが、まさかこの勢いが10年続くとは、当時は誰 も予想していませんでした。


(2003.5.6)

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