TOP10 HITS OF LAST CENTURY
Presented by meantime

■ Billboard HOT100 December 27, 1997

01 Something About The Way You Look Tonight/Candle In The Wind 1997 - Elton John
02 You Make Me Wanna... - Usher
03 How Do I Live - LeAnn Rimes
04 Together Again - Janet
05 It's All About The Benjamins - Puff Daddy & The Family
06 My Body - LSG
07 Feel So Good (from "Money Talks") - Mase
08 Show Me Love - Robyn
09 Truly Madly Deeply - Savage Garden
10 My Love Is Shhh! - Somethin' For The People feat. Trina & Tamara

 平成9年12月最終週のビルボード・ナンバー1は、当時まだ独身だったエルトン・ジョンの「Candle In The Wind 1997」と「Something About The Way You Look Tonight」のカップリングでした。

 ミーンタイムのメールマガジン第1号が発行されたのは1997年11月のことで、近年の紙面では想像もつかないかも知れませんが、当初は私(八亀)が毎週最新のシングル・チャートを解説していました。なのでこの時期のチャートは非常に印象深く、メルマガ最終号にあたって当時のチャート状況を振り返ってみよう、という企画で締めることにします。で、早速思い出したのですがメルマガがスタートした最初の2ヶ月くらいは、エルトンのこのモンスター・シングルがずーっと1位を記録していて、開始早々毎週書くネタに困り非常に苦労したのでした。。

 ダイアナ英国皇太子妃が皇太子と正式に離婚したのは1996年8月28日のこと。この離婚劇に関するゴシップ報道合戦は凄まじいものがあり、一時は我が国のワイドショーでもほぼ毎日話題が取り上げられるほどの過熱振り、“パパラッチ”というそれまで耳慣れなかった言葉が世界的に一般化したのもこの騒動があってのことでした。で、この過剰報道が離婚からほぼ1年後の1997年8月31日にパリで交通事故による元皇太子妃の死という一大悲劇を引き起こします。現在も様々な陰謀説がメディアで紹介され続けているこの事件の真相は未だ明らかにされていませんが、好奇の対象から一変して“悲劇のプリンセス”となった彼女に、世界中が追悼の念を表したのでした。

 彼女の葬儀はそれから約1週間後の9月6日に執り行われ、そこで彼女の親友として知られていたエルトン・ジョンが「Candle In The Wind」の改作バージョンを手向けとして演奏し、そのシーンは世界中に当時中継されました。この曲のスタジオ・バージョンが「Candle In The Wind 1997」として発売されたのはそれから数日後のこと、そのタイムリーさからシングル盤はレコード産業史上前例のない勢いで売り捌かれ、9月11日付のHOT100で初登場1位に輝いた時には既に「1,100万枚出荷済」のマークが付けられるという異常事態。世界各国でこれに似たような現象が見られ、我が国でもオリコンで歴代数少ない洋楽のシングルナンバー1となりましたし(発売日の様子はTVのワイドショーでも紹介され、日本の「エルトン・ジョン・ファンクラブ」会員がサクラとして銀座のレコード店の前に行列を作ったのでした)、カナダでは実に35週間、その後暫く期間が空いて一周忌の時期に更に10週間ナンバー1を独走するという、まさに空前絶後のチャート・アクションを見せました(本国イギリスは意外に薄情で、5週間後にはスパイス・ガールズがこのシングルを1位の座から蹴落としました)。ある時点までに全世界で3,700万枚を売り上げたというこのシングルは(今後メディアも変わるので)恐らく永久に「音楽史上もっとも売れたシングル」の座を守っていくこととなるのでしょう。

 この週の時点でこのシングルは12週目のナンバー1、いい加減セールスも落ちてきましたが、今度はカップリングに収録されていた「Something About The Way You Look Tonight」の方がラジオで人気を呼び、いつの間にやらシングルのA面B面がひっくり返って更に1位を継続。この状態は結局都合14週間に及び、この年の年間チャート1位にも輝きました。で、あれから8年。英皇太子は今年4月にこの悲劇のそもそもの原因であったカミラと再婚し、エルトンは「同性市民パートナー法」がこの12月に施行されたことを受けて先日結婚しました。8年の歳月を考えさせられますね。

 2位以下の顔ぶれを見ると、現在同様R&B/Hip Hop系のアーティストが強いのですが、メンツ的にはそう古い訳でもなく、かといって相変わらずシーンの最先端にいるようなアーティストは少なく、微妙なところです。などといいつつまず2位は現在もシーンのトップを走るアッシャー。彼のブレイク作であるアルバム「My Way」から生まれた「You Make Me Wanna...」は、「Candle 〜」のあおりをくって2位に終わりましたが、文句なくこの年を代表するヒットの1つになりました。このアルバムでR&Bシーンで一大センセーションを巻き起こした彼は、それに続くアルバムが出るのに時間がかかり(次作がリリースされたのは2001年でした)ちょっと心配させられましたが、今世紀に入ってからの彼の活躍はご承知の通り。彼ももう10年以上のキャリアになるんですね。

 3位はポップ・チャートとは無縁だった90年代半ばのカントリー・シーンで、例外的にシングルを売りまくっていたリアン・ライムス。「How Do I Live」はダイアン・ウォーレン作の映画「コン・エアー」主題歌で、映画ではトリーシャ・イヤウッドのバージョン(最高23位)が流されましたが、全米のラジオでは圧倒的にリアンの勝ち。この曲は1年以上(結局69週間にも及びました)に亘ってヒットチャートの上位に居座り続ける記録破りの成績を残しました。この年はまだシングル盤が発売されていないとHOT100に登場できない、という“悪しき慣例”がまかり通っていた時代で、限られた曲しかチャートに登場できないという事情があったのかやたらと長期間チャートに居座る曲が多く、ジュエルの「You Were Meant For Me/Foolish Game(65週間チャートイン)」や懐かしのダンカン・シーク「Barely Breathing(55週間)」あたりの曲が長期滞在を競っていました。話をリアンに戻すと、この時彼女はまだ10代。その垢抜けないルックスに口の悪い洋楽ファンは“ヤング天童よしみ”なんて愛称をつけたりしてましたが(?)その後すっかり“お色気シンガー”に変身、カントリー以外の路線にも果敢に挑戦していきました。彼女はこの翌年FMラジオのイベントのため来日を果たしステージでこの曲を披露しましたが、今思えば無理をしてでも観ておけばよかった・・。

 4位にはジャネット・ジャクソンの「Together Again」が。90年代半ばにヴァージン・レコードに移籍しその地位を更に磐石のものとした彼女はこの年問題作「The Velvet Rope」を発表。過去に負った様々な心の傷をすべて吐き出すような、重い雰囲気に包まれたアルバムの中で例外的に明るいメロディ(60年代シュープリームスのヒット曲を思わせる・・)を持つこの曲でしたが、その内容は若くしてこの世を去った友人に「またあの世で一緒になろうね。」と歌ったものでした。この時代最も成功した女性アーティストの一人である彼女は、2001年にはヴァージンに移籍してきたマライア・キャリーを派手に打ち負かし、そのスランプからマライアが立ち直るにはなんと今年までかかったという、そんなドラマも我々に見せてくれたのでした。

 ・・こんな調子で書いてるといつ終わるかわからないので、省略できるところは出来るだけ飛ばしていきましょう。5位には現“P.ディディ”パフ・ダディとその一党の「It's All About The Benjamins」。ど派手な“大ネタ路線”で一世を風靡した彼は、この年の約3分の1の週をチャートのトップで過ごすという活躍を見せました。この「〜 Benjamin」はデイヴ・グロールやロブ・ゾンビーをフィーチャーしたロック・サウンドが話題になった曲で、カップリングの「Been Around The World」もデヴィッド・ボウイの「Let's Dance」使いが印象的でした。そして7位には彼の舎弟メイスがランクイン。彼はパフ・ダディ関連の作品に必ずといっていいほど参加しており、そのヒット曲の数はかなりのものなのですが、今調べてみるとメインとして放ったヒットは意外なくらいに少ないですね。「Feel So Good」はその数少ない“メイン・ヒット”の第一弾で、この時期「バッド・ボーイ」からリリースされていた作品で覆面シンガーとして活躍していたケリー・プライスのボーカルがフィーチャーされていました。

 6位にはこのところあまりニュースを聞かない3人、でもいつでも戻ってきそうな雰囲気の3人、ジェラルド・レヴァート、キース・スウェット、ジョニー・ギルによるスーパー・グループ「LSG」の「My Body」。濃厚なバラードでしたがこのユニット、いずれまた再結成があるかも知れませんね。ちょっととんで10位にはプロデューサー・チーム、サムシン・フォー・ザ・ピープルの「My Love Is Shhh!」、フィーチャーされていたトリーナ&タマラは兄のジェシ・パウェルとともに他にも幾つかのヒットを残しています。

 残る8位と9位の2曲は、広義の“アイドルもの”。80年代末から90年代後半にかけての約10年間は、アメリカのヒットチャートは「アイドル冬の時代」にあたり、バックストリート・ボーイズなどは海外に活動の場を見い出さなければならないほどの状態でしたが、その状態にまず風穴を開けたのがスウェーデンのロビン。彼女の成功がなかったらブリトニーやアギレラの活躍はなかったでしょうし、プロデューサーのマックス・マーティンが全米チャートを席巻するようなこともなかったでしょう。もっと再評価されるべきアーティストだと思います。オーストラリアのサヴェージ・ガーデンも世界の辺境の地(失礼)から不毛なHOT100にピュア・ポップを送り込んだグループで、当時のヒットチャート・ファンには大変有り難い存在でした。「Truly Madly Deeply」は約1年間ヒットチャートに居座った大ヒットで、何度も上下を繰り返してTOP10内のすべてのランクを記録するという珍記録も作りました。


(2005.12.27)

Flashback Home 


copyright (c) 2000-2003 by meantime, all rights reserved.