2000年8月から9月にかけて、6週間にわたってBBCラジオ2でトム・ジョーンズの特集が放送されました。その一部を原井さんが訳して掲示板に書いてくださったのでまとめてここにご紹介します。(原井さんの話)
さて、木曜日の朝にBBC Radio2でやったThis is Tom Jones,お聴きになった方は いらっしゃいますか。私の場合、8月31日は最初の10分ほどはミスしてしまって20分位しか 聴けなかったのですが、トムのインタビュー部分はかつてBBCでやった放送からの 再利用らしく、またかかった曲も声をかぶせずに全曲通しては1つもなくて、 ちょっと期待はずれでした。でも、聞いていただけでも全部で12曲もかかり、 すべて短縮版だったり一部分だけでしたが、話の内容に合わせての選曲で なかなか面白かったので、ちょっとご紹介します。引用符で囲ったのがかけた 曲名です。(9月2日)
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第3回:8月31日 ・トムの話で、ポール・アンカがシーズ・ア・レディを書いたいきさつ
ポールが、
「My Way という曲を書いたが、良かったら歌って見るかい? ただ、これはシナトラに先に話してあるので、もし彼が断ってきたら の話だけどさ」
というわけで、My Way はシナトラに行き、ポールは別の曲を書いてやると She's A Lady を作ってくれた"She's A Lady"
・テレビの This is Tom Jones が大変な人気となる
"Bright Lights" (Live)
・トムがその収録の合間に浮気していたことが妻のリンダにばれる
(という内容かと思いますが、自信なし)"One-Night-Only Love Maker"
・ジェリー・リー・ルイスとトムの仲
"What'd I Say" (これはジェリー・リー・ルイスの歌)
・ゴードン・ミルズのとんでもなく豪華な暮らしぶり
大邸宅に住み、ペットにベンガルトラ3匹、シベリアンタイガー2匹、チータ2匹、黒ヒョウ、ゴリラ、等々を飼っていたそうです!
・ポップスターからラスベガススターへ
"Love Me Tonight" (Live)
・トムの話で、ラスベガスでのシナトラとの思い出
シナトラがシーザースパレスでショーをしたとき、客席で見ていたトムを
「世界一の歌手が来ています」と紹介し、トムは立って挨拶をする。
その後楽屋に行ったら、一緒に酒でもということになり、トムの家族や友人の一団はシナトラと彼のボディーガードと共にシーザースパレスのバーへ。そこでシナトラは客を出してロープで仕切り、貸し切りにして楽しく語り飲み明かしたそうです・・・"Whatcha' Gonna Do"
"What A Party"・トムの話で、ラスベガスでのエルビスとの話と彼のドラッグ狂いについて
"Memphis Tennessee" (エルビスの出身地はメンフィスですよね)
"Yesterday"・1972年からトムの追っかけをしているファンの話
彼女の膨大なコレクションの紹介と、ラスベガスのチケットを得るために炎天下に8時間も並んだ、等
"I Can't Stop Loving You"
・トムがラスベガスで大フィーバーを呼ぶ
当時フラミンゴホテルにトムを出演させた興行師の話で、ニューヨークで彼のショーを見て感動して契約し、フラミンゴの初日もすばらしいショーとなり大成功。翌日シーザースパレスのオーナーと会った際、
「世界一の歌手は誰だと思うかね」と聞かれ、「シナトラ?」「ノー、本物の歌手だ」「バーバラ・ストライザンド?」「ノー!君はちっとも分かっちゃないね。昨夜フラミンゴでトム・ジョーンズのショーを見たが、彼こそ間違いなく世界一すごい歌手だよ!うちでも彼をやろう!!」トムがラスベガスで大成功を収めた秘密は何でしょう、とアナウンサーに聞かれ、 興行師曰く、
トムは非常にユニークでエネルギッシュでセクシーでハンサムでスタイルが良くて、そして何よりダイナミックな声を持っているからだ。普通の歌手は曲を与えられた後、歌手が曲を作りあげ、曲が歌手を作り上げるものだが、トムの場合は違う。彼の歌は誰もカバーしたがらないが、それもそうだろう、誰も彼のようには歌えないからね!"ダンス天国" (Live)
・次週の予告
ラスベガスの話をもっとと、あまりにも高い税金のためトムがアメリカに脱出した話等をやる
"Get Ready"
第4回:9月7日 "If I Only Knew","Breathless","Situation","Ain't That A Lot Of Love", "Tennessee Waltz",
歌のジャンルについて
これらを少しずつ立て続けにかけたあとで、トムの話:
「あらゆるジャンルの歌を歌うのが好きなんだ。自分の喜びのため、そうせずには いられないんだ」"I Get A Kick Out Of You"
アメリカへの移住とホームシック
トムの話:「随分たくさん稼いだが、アメリカで得たお金の大半は84%という 高い税率のおかげで税金に持って行かれた。それでイギリスからアメリカに 引っ越すことにしたんだ」
73年にはアルバム"Body And Soul Of Tom Jones" が出たが、イギリスで31位、 アメリカで93位にとどまった。<p> "Ain't No Sunshine"トムはふるさとを後にして陽光溢れるロサンゼルスに住むこととなる。
ラスベガスの興行師の話:
「彼はすごいスーパースターとなったが、いったん ステージを降りると、偉ぶらず、庶民的で、家族を大切にする、とってもいい 人間なんだ、尊敬するよ。ある時はウェールズにいるいとこたちをベガスに呼び 数日間一緒に過ごしていたなあ」トムの話:,b.「アメリカに行ってもウェールズのことは一時も忘れない。アメリカは 言葉も同じだし、文化も基は同じだから、イギリスの大型判といった感じで違和感が ないんだ。ヨーロッパ大陸は言葉も文化も違うから、距離的には近くてもかえって 遠くに来た気がするんだ」
"Danny Boy"
ラスベガスでの生活
興行師の話:
「トムはラスベガスでは完全に昼夜が逆転し、午後4時頃に起きる 暮らしとなった。ステージも一晩に2回を週6日というハードなもので、 初めの頃は週7日だった・・・」トムの話:
「仕事のない時はジョギングしたり、家にあるジムでパンチングや ウェイトリフティングなどで体力づくりさ」ビッグ・ジム・サリバン(トムのギタリスト)の話:
「普段はホテルで缶詰 だから、気晴らしは一緒にゴルフ、あのペブルビーチでもやったよ」
"Proud Mary"
ゴードンのエピソード
(誰かの話):
「ゴードン・ミルズについて、本当かどうか分からないが 有名な話がある。あるホテルにチェックインしたんだが、そこの経営が 苦しかった。そこで彼はそのホテルを買い取り、外から帰ってきた経営者に こう言ったね「今から私がオーナーだ、君はクビだ」レズ・リードの話:
「ある日ゴードンはトムをニューヨークのクラブに 連れて行ったんだが、そこは当時黒人しか入れない高級クラブで、マービン・ゲイ などが歌うようなすごいところなんだが白人はタブーだった。しかし、トムと ゴードンは特別入ることを許可されたんだ。トムの歌はものすごくソウルフルで 黒人そのものだからね」"You've Lost That Lovin' Feelin'" (「ふられた気持ち」)
アメリカのステージとファン
トムは年間500万ポンドもの収入を得るまでになったが、活動のメインは アメリカだった。そこでは女性ファンが彼を追いかけ回っていた。 600回もトムのステージを見たファンの話、等々。
トムの話:
「有名になり、ステージでスポットライトを浴びていると、いつ 撃たれるかもしれないし、とんでもない女性ファンに面食らったりもするが、 いちいち気にしていたらやってけない世界さ」映画と有名税
70年代後半になりレコーディングが一時ストップすると、映画出演の話も 出てきたが、、役所はどれもセクシーなシンガーというものばかり。
トムの話:
「ただ映画を作るためだけというような映画には出たくなかった。 エルビスは彼の名が目当ての映画に数多く出た。彼も本当の演技をする役を やりたかったのだが、そうはいかなかった。だから、ちゃんとした映画の話 でないのなら避けた方がいいと思ったんだ。
その点、フランク・シナトラは俳優としても歌と同じくらい一流だったね。"My Way"
トムは超有名人となり、どこに行っても人だかりができるようになった。
トムの話:
「一人ではどこにも行けなくなったよ。行く前に行き先を考え なきゃならないし、マクドナルドにも気軽に行けないのさ」"It Takes A Worried Man"
幼なじみのダイ・ペリーがトムのボディーガードになる。
スターダムに上り詰めて何年もたったが、トムはウェールズの愛国者であり続けた。
"I'm Coming Home"
第5回:9月14日 "This is Tom Jones!"のコールの後で
"If I Only Knew""Help Yourself""Sex Bomb""A Boy From Nowhere" "Green Green Grass Of Home" をひとつまみずつかけた後ポップヒット
トムの話:
ライブショーをやるにはヒット曲がなければならない。ポップ ヒットがあればより多くの人がライブを見に来てくれるからね。
当時はR&Bシングルを出そうとは思わなかったんだ。アルバムにそういう曲は 入れてたし、ライブでもやれたからね。ホームシック
57年にポンティプリッドで結婚したトムとリンダだったが、LAのベルエアー に越してきてからはライフスタイルが一変した。ひどいホームシックにかかって LAに住むのが苦痛になることも度々だった。
"I (Who Have Nothing)"
故郷を懐かしむため、彼らはフィッシュ・アンド・チップス(イギリスの大衆的な ファーストフード)のレストランの常連となった。
電話ボックス
トムはウェールズの郵便局前にある古い電話ボックスがお役ご免となることを知った。
トムの話:
譲ってもらえないかと思って郵便局に電話したらOKしてくれてね。 考えてみたら、マークが生まれたときもこの電話で知らされ、マークの息子、 つまり僕の孫が生まれたときもこの電話で知らせを受けたんだ。国は違っても 同じ電話ボックスでだよ!"If You Need Me"
デイリー・ミラー問題
イギリスではデイリーミラー誌にトムについての一連の記事が載り、トムと 彼のマネージメントについてひどいことが書かれていた。ゴードン・ミルズ 門下のアーティスト、一時はエンゲルベルト・フンパーディンク、ギルバート・ オサリバン、そしてトムがそうだったのだが、彼らに関するものだった。 その記事ではトムに対してではなくゴードンに対して非常に厳しいことが書かれており 彼が所属のスターたちの稼いだお金を握っている、というものだった。 トムはその記事をストップさせた。
トムの話:
世間の評判とは波のようなもので、ある時は高く持ち上げたかと 思うと、次の瞬間はどんと落とされる。活字になるというのは怖いことだよ、 みんなが読んでしまったことは取り消せないからね。カントリー時代
77年にトムはエピックレコードと契約し、カントリーの道へと進まされた。 "Say You'll Stay Until Tomorrow" がUSAホット100で15位になったが、 トムはイギリスの多くのファンから切り離されることとなった。
"Say You'll Stay Until Tomorrow"
ベルエアーの家と10年ぶりのイギリス・ツアー
ディーン・マーチンから買ったベルエアーの家に住むことで、トムとリンダの 故郷は遙か遠くになってしまったが、83年、ついにトムは74年以来初めて イギリスでツアーをすることになった。
何百人ものファンが空港でトムを出迎え、トムとイギリスとの感動的な再会 となった。彼は自分のルーツを忘れてはいなかった。"Pledge My Love"
マタドール
トムは再び表舞台に立った。そして、マイク・リアンダーのミュージカル 「マタドール」のアルバムで数曲歌うこととなる。
トムの話:ゴードンに言ったんだ、もうカントリーはイヤだ、時間の無駄だよ、 早く現代の音楽に戻らなくちゃ、と。そう言ってまもなくこのマタドールの話 が来たんだ。ああ、これがチャンスだと思ったね。
マイク・リアンダーとエディー・シーガルが闘牛士エル・コルドベスを扱った このミュージカルを書いたとき、この歌を誰に歌わせたらいいかと思ったんだ。 ちょっとオペラっぽいからね。オペラ歌手になっていたら?
ビッグ・ジム・サリバンの話:もしトムがオペラの勉強をしていたら今までで 最高のテノール歌手になっていたと思うよ。
レズ・リードの話:ジム・サリバンの説には反対だね、ハハハ。トムは クラシック歌手には絶対ならなかっただろう。声がダメだからじゃないよ、 彼の声は文句なしさ。彼の歌い方はフレーズの中で瞬時に声の調子を変える んだ(ここの部分はよく分かりません)、でもクラシックではそれは認められない。 ジム、だから僕はその説には賛成しかねるね。
"A Boy From Nowhere"
A Boy From Nowhere は87年4月に2位となり、彼は「マタドール」の 舞台に立つことはなかったものの、UKチャートでは過去15年間で最高の ヒットとなった。
ゴードンの死
しかし、トムの復活劇が始まりかけたその時、危機が訪れる。トムをスター ダムにのせたゴードン・ミルズがガンのため86年7月に死亡したのだ。
レズ・リードの話:
ゴードンが腹痛を訴えるので医者に見てもらえと何度も 言ったんだが、頑固でなかなか行こうとしなかった。トムの話:
ゴードンが死んだとき、感じたのは苦痛だけだったよ。マネージャーが いなくなったということは頭に浮かばず、ただ親友が亡くなったという悲しみしか わいてこなかった。あまりにも突然だったからね。ガンが見つかってわずか 1ヶ月でこの世を去ったんだ。すごいショックだったね。"If"
ゴードンの死でトムに訪れた危機を救ったのはごく身近にいた人だった。
トムの話:息子のマークとはいつも一緒に行動していた。ある時彼がこれを レコーディングしたらどうかと持ちかけたんだ。よし、彼を信頼してやれる だけやってみようと決めたのさ。ラスト・リゾートの「キス」
トムが有名なジョナサン・ロスの「ラスト・リゾート」というTVショーに 出演し、プリンスの「キス」を歌ったことで、ことは大きく動き出した。
"Kiss" (「ラスト・リゾート」より)
アート・オブ・ノイズのアン・ダドリーの話:
トムにコンタクトを取ったら まだレコーディングの具体的な計画はないと知ったの。それで演奏部分の 音を作ってトムのところに送り、ずーっと待ち続けたわ。そしてついに 返事が来た。まだトムと会ったことも話したこともなかったのだけど、マーク から電話が来て、16回テープを聴いてこれはいけるとなった、と言うの。"Kiss" (スタジオ録音版)
トムの話:レコーディングして聴き直したとき、これはヒットするぞとピンと 来たね。アート・オブ・ノイズはすばらしいよ。若者もどんどんCDを買って くれて、これでまた現代のポピュラー音楽の流れに戻ったと実感したね。
この「キス」の新しいバージョンはイギリスで88年に5位になり、それまでの 20年間で初めて若者に支持されることになった。
第6回:9月22日 "This is Tom Jones!"のコールに続いて
"If I Only Knew","Shake","Carrying A Torch","Turn On Your Love Light","Baby, It's Cold Outside" をメドレーでかけた後コンテンポラリー・ミュージック
トムの話:
大抵の音楽は好きだ。昔の音楽にこだわっていてはダメだね。 若者に、今どんなのを聴いてるの?と尋ねるようではおしまいだ。常に 新しい音楽に耳を傾けなくちゃ、だって今現在もすばらしい音楽がどんどん 作られているんだから。チーフタンズとのテネシー・ワルツ
90年に「キス」でステージ歌手から音楽のトップシーンに戻ってきたトムは 息子のマークのマネージメントによりターゲットを若者に変えながらも、 オールドファンをしっかりつかんだまま離すことはなかった。
"Tennessee Waltz" (チーフタンズとの共演)
チーフタンズのパディ・モロニーの話:
トムとは非常に楽しみながらやれたね。 彼はこの曲ですばらしい仕事をしてくれたよ。終わりの方を聴いてもらえば チーフタンズとトムとのいい関係が分かってもらえるだろう、すばらしい アドリブさ。パディとトムは90年代初めのTV番組 The Right Time で出会って以来親しく 付き合っている。
パディの話:
トムがチーフタンズを番組に呼びたがってくれてね。 グリーングラスなどをメドレーでやったんだが、リハーサルからすごい盛り上がりで 番組スタッフも
「全く違うアーティストの組み合わせなのに、これはすごい ライブだ!」と大興奮さ。
そしたらディレクターが「OK!さあこれからマイクをつけて本番だ!!」
それで同じライブを繰り返したわけさ、ハハハ・・・。若者との共演
トムは60年代のTVショー以来いつもデュエットを楽しんでやってきたのだが、 The Right Time でもすばらしいデュエットをいくつもやった。たとえば ソウルの巨匠サム&デイブのSam Mooreとや、ダリル・ホールなどと歌った のだが、若者のバンドEMFとも世代のギャップにもかかわらずすごい共演を したのだった。
トムの話:
"Unbelievable" を彼らとやったんだ。僕は彼らから見れば父親ほどの 年だが、とても楽しく歌えたんだ。だけど、これはお遊びじゃなくまじめなんだ と受け入れてもらえるか、ちょっと不安だったよ。しかし彼は前年のグラストンベリーフェスティバルで既に若者に大受けすることを 実証済みだった。
トムの話:
話がきたとき、すごい、やろうじゃないか、と思ったよ。
話には聞いていたが一度も行ったことはなかったからね。
オーティス・レディングの曲や、グリーングラスなどをやって、「よくあることさ」 でしめたんだが、2,3曲目をやってるとき若者たちがそこらじゅうから集まって 来てね。丘の向こうから群衆が攻め込んできたような感じで、何かすごい感覚 だったね。"Hard To Handle"
快楽天国
この成功を弾みに新たなアルバムを作ることになり、世界で最も尊敬を集める プロデューサーの一人、トレヴァー・ホーンにコンタクトが取られた。
トレヴァー・ホーンの話:
いい声をしていればカバーもいいものが作れるんだ。 トムの声は普通の人の2倍はあるからね。「じゃあ、こちらの準備が出来たら 電話するから、来て歌ってくれるかい」とトムに言ったら、「ああ、電話してくれたら いつでも行くよ」と言うんだ。それで、夜10時頃「用意が出来たよ」と 電話したのさ。"If I Only Knew"
その結果生まれたシングル"If I Only Knew"は94年11月にイギリスで 11位になった。
トレヴァー・ホーンの話:ラップと歌のコンビネーションがリズムに乗って 実にうまくいったね。彼の声は紛れもないウェールズ人特有のものだね。 それに響きが管楽器とそっくりなんだから、びっくりだよ。
この歌はトムがインタースコープレーベルに移籍後最初に出たアルバム "The Lead And How To Swing It" に収録されている。これはイギリスで 55位になったが、それに続くアルバムはついに発売されることはなく、 トムはインタースコープと手を切った。
映画「マーズ・アタック!」と「フル・モンティ」
そのころ、トムは映画「マーズ・アタック!」に本人役で出演する。 その後、トムにスポットライトを当てることになった映画「フル・モンティ」 が作られた。
"You Can Leave Your Hat On"
98年ブリット・アウォード
クライマックスのストリップシーンで流れたこの歌も入っているサントラ 「フル・モンティ」は98年の Brit Awards でベスト・サウンドトラック賞を受賞し、トムが代表してステージで受け取った。
そのセレモニーでトムはロビー・ウィリアムズとデュエットし、熱いショーを 繰り広げる。"ダンス天国" (Brit Awards '98より、ロビーとのデュエット)
トムの話:
ロビーは昔の僕の格好をしようと革のジャンパー、パンツに ブーツ姿。僕がロビーくらいの時そのままさ。ロビーの話:
トムは昔からすごく尊敬していたんだ。ジョン・レノン、 フランク・シナトラ、サミー・デイヴィスJr.らと共にヒーローさ。 伝説的な人と一緒に歌えるなんて、本当におそれ多いことだよ。リロードの誕生
みんながトムと歌いたがるようになり、その結果として生まれたアルバム 「リロード」はデュエットを集めたものとなり、ロビーとのデュエットも 収められた。
オール・マイン"Are You Gonna Go My Way"
トムの話:
「キス」でのアート・オブ・ノイズとの共演やブリットでの ロビーとのデュエットが好評だったので、今度のアルバムはデュエット集に したらどうだとなったんだ。ソロよりそちらの方が面白いんじゃないかとね。共演アーティストは99年の人気歌手人名録のように豪華な顔ぶれとなった。
これはディヴァイン・コメディとの "All Mine"
"All Mine"
ディヴァイン・コメディのニール・ハノンの話:
ポーティスヘッドの歌を やろうということになってね。彼らの2枚目のアルバムのこの曲がジョン・バリー ばりで好きだったんだ。トムの声はとんでもなく高く長く響いてね、
「オール・マ−−−−−−−−−イン!」って。
普通はデュエット集を作るとなると昔からのシンガーとやりがちなんだが、 こういう若手アーティストたちと共演したというのはとても賢いやり方だったね。 カタトニアのケリスもステレオフォニックスもすばらしいしさ。僕もウェールズ人 だったらよかったな。
トムはすごい存在感がありながらもとても人間的でね。彼こそ生まれつきの スターだね。おまけにゾクッとさせるような声をしているんだもの。 こんなすごい歌、きっともう二度と聴けないよ。バチカンとホワイト・ハウスとセックス・ボム
20世紀から21世紀への節目に(注:2000年を21世紀と誤解している国が 世界中にあるようです)トムはすごいところに出演した。なんと、ホワイトハウスとバチカンである!
しかしながら、トムはセックスボムであり続けた。"Sex Bomb"
ムース・Tの話:伝説的な人と一緒にやれてとても光栄だよ。母もトムの 大ファンでね、「ワー、サインもらってきて!」と大騒ぎさ。
トムはかっこよくってね、音楽についてたくさん語り合ったよ。
これを録音したとき、きっとすごいヒットになるという気がしたんだ。 トムは今まであった歌手の中で一番仕事が速くてね、録音も信じられない くらい早く終わっちゃったよ。すごい人だ。
この歌は彼のルックス、声、動きのすべてを合体させて作り上げたんだ。 だからすごい魅力的だろう。ガールフレンドはあまり近づけたくないね。"Sex Bomb" は夏の初めに1位となり、ポンティプリッド出身の伝説的な男性に ふさわしい歌となった。
ウェールズのジョーンズ・ザ・ヴォイスのこれから
世界的な大スターとなってから40年が過ぎても、こころにはいつもウェールズが あり、また Jones The Voice はいまだにステージに女性が下着を投げずには おられない魅力を持っているのである
誰かの話:
トムは歌うために生きているような人だから、のどの続く限り 歌い続けるだろうね。"It's Not Unusual"
トムの話:
ラスベガスは68年以来毎年行ってるんだ。来年もまた来てくれるかい、 と言ってくれるから、はい、とサインをするのさ。今は一晩に1ステージだから きつくもないしね。誰かの話:
トムはまさにウェールズ人でね、伝統的な男声合唱の流れを 引き継いでいる。ウェールズの大使役を立派に務めているね。ロビーの話:
彼は男性全体の大使なんだ。ただのウェールズにとどまらずね。トムの話:
僕はウェールズ人だ。そこで人生について学んだしね。この ウェールズなまりも変えようとしなかったし、これからもこのままだろうね。
[BBC Radio2: This Is Tom Jones (Tom Jones in His Own Words)] BBC Radio 2 web site,2000年9月21日
このページはゲストの原井さんのご好意により作成しました。 Mari