Excess

 

さびしい事、と他者

寂しいことってなんでしょう?寂しいもんは寂しいって感じではあるけどさ。

他人が居ないと自分も無い。だって人々の中で生きてるんですもの。他人は自分を写す鏡だと思うし。

でもあたしは、出来ればなんでも一人で出来て、他人とは一切関わらずに生きていけたら、と、よく思う。

だって、人との関わりって、痛みを伴うことがあまりにも多いもの。

拒否されるのも、すごくつらい。だから人は嫌い。自分は少し好き。

とは言っても、自分を解るためには他者は絶対必要なんだけど。

それに長く一人で居ることは辛い。自分が解らなくなるから。

 

自分に素直に生きていきたいと願う私は、あまり自分の感情を隠さない。

そんな私を受け入れてくれる人が絶対に必要。そうでない人も必要。

だってあたしは、人に自分をさらけだして、相手の中の自分を見ることで自分を知ることをするのだもの。

さらけ出された方は迷惑だろうけど。あたしはある程度リスクを負って他者に心を開くんだから、相手を受け入れようとしてるんだから、

あたしが全然見えない相手は、不誠実で、あたしを嫌ってて、受け入れる気が無くて、人の心の解らない奴だと判断する。

あたしが中に居ない相手は嫌い。(あたしに孤独感を運んでくるし。)あたしを必要としない人達は、好きじゃない。

好きじゃないです。そういう知り合いは、いらない。

否定とか不快の感情をあたしに対して持ってるのはいいの。あたしが、その中にあたしを感じられれば。

そういう否定感情に対しては、あたしの行為になにか問題があったと考えて、思い当たるところがあれば反省するわ。

人を見て自分を直そうとするのよ。前向きでしょ?

 

心の中にあたしを内在する他者が傍に居ないと、あたしはもう、ものすごく寂しい。

自分の中の自分だけでは駄目だし、足りない。

そして受け入れ役はいつも男の人。あたしにとって大事な他者はいつも男。

多くの女は陰湿で汚いから嫌い。綺麗でいい子はすごい好きだけど、女の子に対してはどうも自分を出しきれない。

元々あたしは女に嫌われるし。ツワブキとEIEは男に嫌われるし。

そんなこんなで、他者はあたしにとって、たとえ部分的でもあたしを型創るモノだから、

そいつらが居ないと自分が薄くなるって感じがするのよ。それがあたしの”寂しい”ってことかしら。

多くの他者はあたしの存在の為に存在してるって感じかしら。

そういうあたしも、他者と、自分の存在の為に生きている。

こんな考え方をあたしは正しいと思っている。

またすこしブルーだわ。うそうそ

 

しょにょイチ  かわいさ

高校生ぐらいの頃にはあまり思わなかった、というか、男のひとの繊細さとか、かわいさとか、あまり感じなかった。

たぶん、そんなのは自分でも相手に求めてなかったと思うし。身体的にも精神的にも幼かった私は、

たよれる感じとか、たのもしさとか、なんか、強さを求めてたヨウナ気がする。相手の弱い面とか、あまり見たくなかった。

受け入れることは出来たけど。でもあれから何年か経って、すこしだけ成長した私は、自分より大きくて力強くて、

ごはんをいっぱい食べるくせに妙につまらないことで傷ついたり、落ち込む男の人のことをかわいく、

そしていとおしく感じるようになった。もちろん、その人に私が愛情を感じていることと、

そんな弱い姿を見れるのは私だけという前提があってのことなんだけど。

やっぱり、なんかギャップがあるといいわね。そういうのって、なんか。

ツワブキも、幼い見かけにナイスなボディーとか、清純そうなのにエッチなのとか、そういうギャップが好きとか言ってた。

なんか、いやらしい。ちがうわ。私のはそんなんではない。でもまあ、差異は差異よね。

その時自分にしか知り得ないであろう差異は、愛情のスパイスにもなるのね。

私も少しは大人じみてきたのかしら?。そうなのかしら?あたしはまだ子供で居たいけど。

はあ。なんだかブルーな気分。

 

 

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