序章その1
週末の深夜2時過ぎ
男がネットゲームに講じていると…
「頑張って イェイ イェイ イェイ イェイ〜」
ハイテンションな着メロと共に1通のメールが…
「瑞穂からだ、こんな時間に一体?」一抹の不安を抱いて男は携帯を開いた。
『逢いたいよ、今すぐに…』
たった一言の短いメールだったが、男は動揺していた。
何が有ったのか?
今まで数ヶ月のやり取りで瑞穂から逢いたいだなんてメールが来るのは
初めてだったし、しかも深夜。
男はその後、何度かの瑞穂とのメールのやり取りの中で「理由」(わけ)を
聞き出そうとしたのだが、ただ一言『逢いたい』」の一点張り。
とにかくそれから、ネットでフライトの予約を慌てて取り、
翌朝一番の便で名古屋から札幌に飛ぶ事に決めた。
食卓の上に 「父は急遽 娘。紺に逝く事になったので食事要りません、んじゃ!」
と、短い置手紙を残して家を後にした。
年間で数十回も娘。紺で遠征している男にとって、突然家を空けること
ましてや休日だし…そのことに家族が何の疑いも持たない事を確信しての
行動であった。
数ヶ月前の握手会で、周りから失笑を受けた男だったが、
その時にプレゼントと共に手渡した手紙の内容に好感を抱いてくれた瑞穂は
そのあと、僅か一週間後に突然のメールを送ってくれた。
「おぢさんアリがと→。これからも色々相談に乗ってね〜〜☆」みづほ。
男は超喜んだのだが、「おぢさん」扱いにちょっとがっかりとしていた…
でもそれ以来何度となく、たまには他愛も無い事や、くだら無い事のやり取り
も有ったが、男は悩める少女の良き相談相手になっていた。
当然男はそれ以上の事を求める事も無く、ただ彼女からのメールに対して
だけ返信する事を心がけていた。
だから、それ以上の感情はお互い全く無い筈だったし、無いと信じていた。
なのに、突然『逢いたいよ』だなんて…
男にとって、とても長い時間に感じたフライトも終え
無事に新千歳空港へと降り立った。
「とにかく急ごう。」そう男は呟き、彼女の待つ空港外れのバス停へと
小走りに向かった。
「穂別行き」
一日一便しかない路線なので朝一のこの時間には、誰も居無く…
そこには、「おさげ」に帽子の彼女が一人、男の到着を待っていた。
(とても可愛げな様相だった。)
不安な気持ちのまま、男はバス停に向かった。
そこには、一人寂しげな(そう見えた)「瑞穂」が立っていた。
不安な気持ちがいっぱいだったからこそ、
男は真っ先に「何か有ったのか?」
そう聞いたのに…
彼女は言った。
「おぢさん。前から瑞の言う事は何でも聞いてくれるって言ってたから…
だから、それが本当かどうか、ちょっと試してみたんだョ。」
そう言うと彼女は、ぺろっと舌を出し無邪気に笑った…少女の様に。
そう言われた男は、その時彼女に対して初めて「愛しい」という
気持ちを覚え…
それどころか、何の感情も抱いていない筈だった彼女が、自分自信の中で
とても大きな存在になっていることに気づいていた。
「おじさん!瑞 おなか空いちゃったよ。」また屈託の無い笑顔でそう言った。
「早起きしてここまで来たから、朝ごはん食べて無いんだョ、何か美味しい物
ご馳走してョ!」
そんなお願いなら、全然問題無かった。
男はレンタカーを借りて函館へと向かった、これで2回目の「2人きり」…
助手席の彼女は、とても上機嫌で、ここ最近の悩める少女の面影は
一見感じられなかった。
既にお昼近くになってしまった時間だったが、2人は町外れの
ちょっと小洒落たカフェで遅い朝食を取ることにした。
「あ〜美味しかった、ご馳走様でした お、じ、さ、ん!」
彼女はお茶目にそう言った、遅い朝食だったけど、シェフお勧めパスタセット
それにケーキと、想像以上に平らげたのにはびっくりと言うよりも感激して
しまっていた男だった。
店を出ると、更に男は車を南に走らせた。
30分程走って、
「さあ、何処へ行こうか?」
男がそう尋ねても返事が無い…?
横目で助手席を見ると
彼女は小春日和の暖かい日差しを受け、うたた寝をしていた。
隣に居るのは…
間違いなく「天使」だった。
「天使」は、相変わらず助手席で気持ち良さそうに寝ていた…
うたた寝というよりは、それはもう「熟睡状態」だった。
「仕方ないよな、昨日も日帰りで東京へレコーディング行って来たみたいだし、
ここの所レッスンもきついみたいだし…」
男はそう思い、彼女を起こさないように、安全運転で車を走らせていた。
初めての時はこんなんじゃ無かった…
男は2ヶ月前に初めて彼女と逢った時の事を思い出していた。
まるで普通の「メル友」みたいな乗りで、逢おうかって事になり
日曜日に札幌に飛んで、僅か数時間の出会いだったけど、
お互い何の感情も抱かず、単なる相談相手の関係でその日は終わったけど…
でも今、助手席には…
男の事を信頼し切って「熟睡」している彼女の横顔が有った。
それから男は、更に1時間位走って、
海の見える小高い丘に「天使」を連れて行った。
相変わらず彼女は熟睡状態で無防備な状態だったが、男には
もうこれ以上何も望む物は無かった…
とにかく至福の状態で、月並みな感情だが、このまま「時間が止まれ」と
ずっと、愛しい「天使」の寝顔を眺めていた。
北海道の遅い春の心地よい風が、ウィンドウを少しだけ開けた
二人の車を通り抜けて行った。
彼女はまだ、すやすやと寝息を立てていた。
男は、眼下に広がる海を見ながら、お気に入りのCDを彼女の休息の
邪魔にならないように、ほんの小さな音で聞いていた。
「良い曲だね…」
寝言?と思って助手席を見ると、彼女は大きなあくびをしながら、目の前の
壮大な景色に釘付けになっていた。
「ここ何処?」
彼女がそう聞いたのだが、男にはここが何処なのか、ナビに任せて
来たこの場所が一体何処なのか、さっぱり解からなかった。
函館では無い事だけ解かっていたが…
でも、2人っきりな状況にはもってこいの場所なのには間違い無かった。
「いつから起きてたの?」
男がそう聞くと、
「良い気持ちで寝ていたら、波の音に合わせてとても良い曲が聞こえて
来たので、ちょっと聞きいってたんだョ。」と彼女は言った。
「そっか、ごめんね。CDかけたんで、起こしちゃったんだね。」
「うぅん、そうじゃないから大丈夫だって。」
「それより、その曲もう一度聞かせてよぉ。」
彼女の気遣いを感じ、お気に入りの曲を気にいってもらい
ちょっと嬉しい男だった。
彼女に歌詞カードを渡し、この曲が女性にとっての究極の恋愛ソング
っていうか恋愛を超えた「愛」の歌だというコメントを添えて
もう一度その曲を再生した。
「おなじ星」
動けなくなる…。
何度抱きしめ合っても
胸が"ギュン"ってなるよ
"恋してる"とか"好き"とか
そんな気持ちじゃ済まされないんだ
胸の奥で ささやく声に
はげまされて ここまで来たよ
星の数ほど訪れる巡り合いの中で
あなたが 私をたったひとり愛してくれたから
もう迷わない
くやしくて涙こらえる夜も 微笑む朝にも
やわらかいあなたの声に 抱かれてる…
そう、この匂い…。
耳の後ろの匂い
昔から知っている
シーツの中で
合えない日の分まで 肌を 重ねて
私の瞳に眠る光を
あなたが引き出してくれてよ
何があっても
この腕がちぎれそうになっても
離さない 守るは ずっと2人で生きてゆこうね
たとえあなたが 女に生まれていたとしても
私の心は 必ずこの場所
たどりついてるわ
響いてる……
遠くてもあなたの声が
この東京で
交差点や駅のホームとか
あなたと私は きっとすれ違ったりしていた
離れた空の下で
同じ時間 同じ星を見上げて
タメ息もらしてたかもね
もう 離さないで
星の数ほど訪れる巡り合いの中で
気付けば こんなに いつも近くにあなたがいたよ
やっぱりそうね
くやしくて涙こらえた夜も 微笑む朝にも
やわらかいあなたの声に 抱かれてた
聞き終えると「ふーっ」っと、大きなため息をついて
彼女は言った。
瑞もこんな恋愛してみたいなぁ、誰かステキなひと現れないかなぁ…
「目の前に居るじゃん」ってボケかまそうとした男だったが
躊躇して、「そうだね〜いずれ現れるよきっと…」って返すのがやっとだった。
「そうだよね、まだ早いよね恋愛なんて…」
笑いながら、そう言った彼女だったが、
男は、彼女が眼下に広がる大きな海の、ずっと遠くのほうを…
一瞬だけど、何だかとても寂しげな目で見ていた事に気付いていた。
しばらくの間、2人は車窓からの壮大な景色に見とれていたのだが
「おじさん。外は寒いかなぁ、ちょっと出てみようよ。」
そう言い終わると同時に彼女は助手席を降りて、小走りに運転席のほうに
まわりドアを開け、男の手を引いた。
普通の恋人同士なら、何の変哲も無い彼女の行為だったのだが、男は焦っていた。
あまりにも彼女の手が柔らかく、暖かだったから…
でも…「考えすぎだよな、絶対。ちょっと彼女に逝かれちゃってるかな?」
そう心で呟き、誘われるままに車外へと出た。
中はあんなに暖かかったのに、海からの風が冷たく
春の遅い北海道の5月はまだ肌寒かった。
しばらく2人は散歩をし、ちょっと他愛の無い話で盛り上がったり
してたその時…
もちろん悪戯なのだが、彼女が後ろから、男を池のほうに突き飛ばした。
これも良くある「恋人同士」の行動パターンだが、「お返し」をすると
彼女に触れてしまう事になるので、さすがにそれは自嘲し、情けない
笑顔で彼女を叱った。
さっきまで天使だった彼女が、目の前で「あっかんべ〜」をしているその
姿を見て、男は自分の心を惑わす『子悪魔』に感じていた。
小悪魔は男の困った様相を見て、とても嬉しそうにはしゃいでいた。
それから2人は、さっき彼女の熟睡中に男がコンビ二で買っておいた
軽い昼食を車中で取っていた。
「こんなのも、恋人同士みたいで良いよね。」
そう言った彼女は、また微笑んでいた。
2人は食べ終わってから、時間もかなり過ぎてきていて、最後にもう一度散歩でもって
事になって、更に肌寒くなってきていた車外へと出た。
さっきまで暖かい日差しをくれていた太陽は、既に西の空へ傾いていた。
2人並んで海を見ていると…
「ところで、おじさん。瑞の事、瑞穂ちゃんて呼ぶの止めて欲しいよ。」
「どうして、瑞穂って呼んでくれないのかなぁ?」
「ライヴの時には、みずほ〜!って呼び捨てで叫んでるくせに。(w」
「なんか、子供扱いされてるみたいだし。」
彼女はまた、意味深げな事を言う…
「だって、事実おじさんの子供みたいな歳の差じゃん。」
「だし、ライヴの時は誰だってそう叫ぶだろ?」
「それに、恋人同士じゃあるまいし、呼び捨てなんて出来ないよ。」
そういい返した男だったが、ちょっと言ってから「しまった」と思っていた。
するとすかさず、
「じゃあ、恋人同士になれば良いじゃん、そうすれば瑞の事『瑞穂』って
呼んでくれるんだよね。」
彼女のまたも、突拍子も無い言葉だったが、
男はどうせまた冗談か、良くて照れてるだろうと思い、彼女の顔を
じっと観た。
ところが、むしろ怒っているようだった。
「どうして駄目なの、結婚している人とは恋人同士になれないの?
おじさん 瑞の気持ち、解かっていた筈なのに…
いつも、なんでも質問には答えてくれるのに。」
「なのに、全然瑞の事は聞いてくれなかった…
それで寂しくって、メールいっぱい送ってたのに、いつも返事
ばっかりで、だからすごく辛かった。」
「学校の事や、お仕事の事だって、おじさんが瑞のほうをちっともみて
くれないから…だから余計悩んでいたのに」
心の中のものを一気に吐き出した彼女は、男の胸に飛び込み…
そして泣いた。
それでもまだ男は「後戻りできない道」の入り口でとどまって
彼女に胸だけを貸して、やり場の無い両手をどうしようか困っていた。
しばらく泣いて、彼女は男を見上げ泣き顔で訴えていた。
天使でも小悪魔でも無く、一人の愛しい「女性」だった。
「これは、神様がくれた運命なんだ…」
男はそう思い、彼女を包み込む様に、強くそして優しく抱きしめた。
「ありがとう…」彼女はそう言い、自分のよりも先に
男の涙を指で拭った。天使の笑顔で。
男は、会社と自宅に有りがちな理由でフライトが遅れるという連絡を入れ
翌朝の便で名古屋へと戻った。
2004年5月
序章その1 完