「生きるか死ぬか」


  「コンコンコン」
 担当の職員に聞くと、「置いて行け」と言った。
 「お聞きになった後に「いい」「悪い」の一言だけ言って下さい。その言葉を是非聞きたいんです。」
 イ・スマン先生のお宅は事務室の4階だった。女性職員が4階にデモテープを持って行った状態だったけれど初めはお聞きにならなかったようだ。そうして2〜3時間経っただろうか。僕が余りにも頼むから2曲くらいを聴いてすぐに降りて来られた。
 「お前、舞踊団だって言ったか、合唱団だって言ったか?」
 初めにおっしゃった言葉だった。それから「お前見た顔だけど何処であったっけ?」と言うではないか。『たった一度会っただけなのに顔を覚えてるなんて』と感激だった。
 「声は基本的に黒人的な感じが伝わってくるのがすごくいい。歌としてはちょっと足りない部分は練習すればいいし、そんな感じが分かってるのが重要だろ。」
 先生はすぐにどうすればいいのかと聞いた。
 「はい?」
 専属の歌手にすればいいのか、同業の条件ですればいいのかについての質問だった。
 「歌手として受け入れて下さい。学びながらやりたいです。そうといってすぐに契約をしたのではない。今考えてみれば先生なりにテストをしたようだ。
 「この曲じゃなくてもっとある?聞いてみることが出来るか?」
 「はい、明日持ってきます。」
 「そう?いいよ、明日!」
 夜をすっかり明かしてGroove.kと一緒に作った曲だ。他の曲をまた録音した。録音整備なんて形無しだった。
 次の日ざっと聞いてみておっしゃった言葉。
 「もっとない?」
 「お望みでしたら明日もう10曲持ってきます。」
 次の日も徹夜した。そして翌日正確に持っていった。その時気に入られたようだ。約束を守るのか、そうでないのか・・・今も先生は約束を守らないことと、嘘をつくことを一番嫌がる。
「死ぬか生きるかだ。」
 自分なりには人生の目標を決めて飛び込んだ以上命を懸けなければならないと悲壮な覚悟が出来ていた。先生も一人の家族を受け入れるに当たって相当に深思熟考なさった。
 その後一月ほど経っただろうか、昼間電話が来た。
「何してる?」
「昨日の晩遅くまで踊って来たので寝てます。」
「昼飯でも食って出てこい。」
「・・・・・・。」
 93年4月19日、今も正確に覚えているS.M.との契約の日だった。ついに歌手になったのだ。